───食中毒になるのは、最も愚かな行為である。
その考えになったのは、目の前で食中毒になった光景を見たからだ。さしずめそれは、恐怖以外の何ものでもなくて「恐ろしいものを見た!」って感じである。
それは忘れもしない、中学1年の梅雨明けの頃。一緒に弁当を食べていたクラスメイトに異変が起きた。ボリボリと、無言で首を搔き始めたと思ったら、見る見る顔に発疹が現れて、そのまま病院送りになったのだ。それを目の当たりにした僕は、心配よりも恐怖が勝った。
1980年といえば、13日の金曜日を始めとした、ホラー映画大ブームの年である。放課後の教室では毎日のように、女子たちがキューピットさんをやっていて、全国を恐怖の渦に巻き込んだ〝口裂け女〟の噂と相まって。夕暮れ時には、どんよりとした気分になったものである。あの空気感は独特だった……。
そんな第二成長期で見た、クラスメイトの異変である。動揺しないわけがない。当然のように、その後の彼が気になるのだが、放課後になると、ひょっこり学校に戻ってきた。その顔は、いつもの元気な顔だった。
「大丈夫か? なんやったん?」
野球部のユニフォーム姿の彼に訊く。
「食中毒やって言われたわ。エビフライの油が悪かったらしい」
それ以来、僕が弁当のエビフライが苦手になったのは、当然の帰結である。
「で、部活やるんか?」
「部活は休めんからな。点滴打って戻ってきた」
数日、学校を休むのかと思いきや、これから部活をすると言う。そんな彼に素直に思う。すげーな、現代医学。あれが点滴で治るのだから。
市の大会を目前に、隙あらばレギュラーの座を! 彼にも、その気持ちが強かったのかもしれないし、動けるのなら部活に出るのは、これまた当たり前のことである。仮に誰かに止められても、彼なら今日の出来事を、顧問に隠してまでもやるのだろう。青春を野球に捧げる、リアル〝巨人の星〟である。
現代ならば、ネット炎上確定だ。本人がよくても、教師がそれを許さない。それだとて、真っ白に燃え尽きるまで、根性論で世界が回る。それが、昭和の風潮だった。
さっきまで元気だった友人が、食事の後に異変をきたす。これまで数人ほど見てきたのだから、やっぱり食中毒には気を使う。こと、梅雨時期になるとピリピリしするのも当然だ。いつだってヤバいと思えば、飯を抜く覚悟だって持っている。
これまで何度も書いているけど、桃畑のすぐ近くに畑がある。つまり、昼休みを有効活用しない手はなくて、水やりだけでも済ませておけば、畑のお世話が楽になる。つまり、桃の摘果作業の日になると、弁当が必要になるのだ。
とはいえど……いくらなんでも、飯抜きでやれるほど、桃の摘果作業は甘くない。でも、弁当は嫌である。だから胃袋をカロリーメイトで満たしていた。
今年になって、ふと思う。バナナだったらイケんじゃね? 冷蔵庫で冷やしておけば、半日くらい楽勝だ。それに加えて、バナナの皮は肥やしにできる。一石二鳥の妙案に、いざ鎌倉! の気分になった。
ところがどっこい、問題発生。予想以上に、バナナは腹持ちが悪いのだ。3時の休憩時間になると、どうしてお腹が減るのかな? 何かないか? 何かないか?……そうだ、畑のキュウリも食べようじゃないか。
もはや、キュウリは安定供給に入っていて、気を抜けば食べきれないほど溜まってゆく。それにアスパラを加えると、随分と腹が持つようになっていた。バナナ以外は、畑にナンボでもあるのだから、無料なところも有り難い。
永遠のようにも思われた桃の摘果。もう数日で目途が立つ。それまで、うどんは我慢して、摘果を終えたら讃岐うどんを食べにゆこう。待たせたね。もちろん、アニキも茶熊さんも一緒だべ(笑)
ちなみに、毎日のように収穫しているよつぼし苺。これをランチに加えたいけれど、我慢できずに食っちゃうんだなぁ……新鮮なイチゴは、うまいのだ(汗)

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