「八時やて言うたけど、十時半な」
───なんですと?
バディのヤツ。急にお客さんから言われて、声高らかに「分かりましたっ!」と答えたのだろう。お陰でこっちの予定は丸つぶれ……さて、どうしたものかね、二時間もの空き時間?
───あっ!
怒りの先で、その事実に気づいてしまう。コメダ珈琲店でモーニングしたことがない。前向きに捉えれば、このアクシデントは、きっと何かの思し召し。取りあえず、コメダへ向かおう。でもきっと、店内はおじいちゃんでいっぱいだ。
だって、そうでしょ? 僕の記憶が正しければ、朝のコメダの駐車場は、いつ見ても満車である。車種から推測すれば高齢者に違いない。てか、車のお尻に四つ葉やもみじの目印が……いうーて、僕よりも上の世代は、ガチで喫茶で打ち合わせていた世代である。だから、その習慣が抜けきらないのは想像に難くない。そして、個人行動ではなくてお友だちとに決まってる。つまり店内は、ざわざわなのだ……。
何ごとも経験だ……。
そんなぶらり散歩気分で、コメダに入店すると幾つも席が空いていた。予想に反して年齢層もバラバラだった。店員さんから「お好きな席へどうぞ」って。モーニングの時間帯に、こんなことって……ある? カウンター席を選んで座り、店員さんに注文する。「モーニングで……」その瞬間、一月十七日は記念すべき〝コメダで初めてモーニングの日〟となった。そうだ、マイブックにも記録しよう(笑)
これから二時間、これ幸い。ポッケから、三島の〝禁色〟を取り出した。これまで僕が読んだ本の中で、ぶっちぎりにぶ厚い本である。それがようやっと、ゴールへの射程に入っているのだ。この二時間で読み終える。だから、一気に読み終えよう。気合を入れて読み進め、読み進めながらふと思う。
小説好きに見えている光景とはどんなだろう?
小説の世界に没入……なんとなく、それは分かる。でも、実体験が伴わない。そういう意味で〝没入〟は、僕にとっての都市伝説。けれど、没入した経験が皆無かと聞かれたらそうでもない。のザ・ワールドなら五秒間だけ時が止まる。僕が小説の世界に没入できる時間はそれよりも短くて、数秒で現実の世界に意識が戻る。読書しながら何度もチャレンジするけれど、浮き輪をつけて海に潜るような感じで潜れない。書いている時は、三時間でも四時間でも、ゾーンに潜っていられるのに、読書になると要領を得ない。その原因は年のせいだな?
読書には、興味とか好奇心とか共感だとかを要求される。それが心の燃料だから。「このパターンなら、こう」「あのパターンなら、そう」なんとなく、経験則で先が読める。とはいえ禁色は、七百ページにも及ぶ大作である。「え、アンタがっそっち!」とか。「は、じいさん。それやる?」とか……昭和の古い常識で読み進めれば、そりゃ、ひとつやふたつの驚きもある。今ならば、それもアリだろうけど、ピュアな心で読めば驚くよ。そのギョっとした瞬間が、没入できるタイミング。この数ヶ月で、そのタイミングを理解した。
「あぁ……クライマックスじゃん!」
残りわずか百数十ページで、怒涛の回収が待っているはずである。書くならば、そう書くのに決まってる。二十分ほど読み進めると、すっかりコーヒーが冷めていた。トーストとゆで玉子を口に入れて、コーヒーで流し込む。すると、僕のスマホが鳴った。それは、読者の皆様のご期待どおり。
「十時半って言うたけど、今から来れるか?」
了解した───モーニング食べたから、お昼は抜こうな(笑)
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