サヨちゃんを追いかけて、四国の大学へ進学したのんちゃんには夢があった。それは、サヨちゃんと本場のうどんを食べること。それが叶う前日の夜。わたしは、明日の予定をサヨちゃんに訊いた。そう……わたしがまだ、小学五年生だった頃の話である。
「サヨちゃん。明日もグリム? グリムでのんちゃんと会うの?」
わたしは訊いた。
「明日は、のんと一緒にゲンちゃん行くけど。のんちゃん、ずっと我慢してたんだって。さぬきうどんを食べるのを。だから、食べさせてあげようかと思って。ツクヨも行くか?」
「あわわ……」
わたしは一瞬、固まった。わたしだって五年生。子どもみたいな野暮などしない。わたしに構わず行ってこい!
「いーよ、サヨちゃん。うどんは、ふたりで楽しんで。わたしは、忍ちゃんと遊ぶから。そっか、そっか。明日はデートか……にゃはははは。では、ご武運を!」
ドタドタドタ……。
「どしたぁ? ツクヨ……」
速攻、わたしは階段を駆け上がる。このスクープを、わたしの部屋からグループメールで飛ばすのじゃ。どんな顔するかなぁ、わたしのオッツー。
───サヨちゃんは明日、のんちゃんとゲンちゃんうどんでデートですにゃ。
メールを飛ばすと反響がしゅごい。つまり、明日のわたしは忙しい。みんなの期待を胸に秘め、オペレーションを遂行するのだ。わたしは遠足の前日の気分で眠りについた……。
「ツクヨ、ほんとにゲンちゃん行かないの?」
翌日、サヨちゃんがわたしに訊いた。気兼ねせずに行ってこい! 戦隊、ライダー、魔法少女。わたしの日曜日は忙しいのだ。
「大丈夫でーす」
わたしは今、テレビ鑑賞に忙しい。
「そっか……じゃ、俺。のんを駅まで迎えに行くから」
そう言い残すと、サヨちゃんは家を出た。わたしもオペレーションを始めないと。家から駅まで十五分。駅からゲンちゃんうどんまでも十五分。今から三十分の余裕がある。魔法少女を見てから家を出て丁度いい頃合いだ。わたしは魔法少女を満喫してから家を出た。
「なにやってんの?」
ゲンちゃんうどんの店陰にゆきちゃんがいた。
「ツクヨちゃん、おはよう。昨日は連絡ありがとね」
ゆきちゃんが、わたしに向かって手を振っている。
「ゆきちゃんおはよう。お化粧がとてもキレイにゃ」
ゆきちゃんのおめかし姿がうらやましい。なんだかすっかり大人の感じだ。
「ありがとう」
わたしも大学生になったら、ゆきちゃんみたくキレイになれるかな? 見惚れていると、ゆきちゃんは辺りをキョロキョロしている。
「で?」
ゆきちゃんがわたしに訊いた。
「なんにゃ?」
わたしは答えた。
「サヨちゃん、まだ?」
そっちか。
「もうすぐ来るよ。少し待とうよ、ゆきちゃん」
「それもそうね」
ゆきちゃんが、ばあちゃんみたいな顔で言う。きっと、サヨちゃんのママになった気分なのだろう。心配げな表情だ。
「───来たぁ!」
ここから、100メートル向こう側。ゆきちゃんが、コンビニの前を通過する二人の姿を発見した。なんだよ、なんだよぉ……カップルじゃん。
「な、にゃにゃにゃ」
目をこらして見ているわたしの手を、慌ててゆきちゃんが引っ張った。
「こっちよ、ツクヨちゃん」
わたしたちは、ゲンちゃんうどんの裏に隠れた。もうね、気分はスパイだ。アーニャわくわく。
「で、これからどうしよう……」
ゆきちゃんが困り顔。
「こっちから入ればいいじゃん」
幼稚園の頃から、勝手知ったるゲンちゃんうどん。次はわたしがゆきちゃんの手を引っ張って、裏口から店に入った。
「エッちゃんまいどぉ! 事件です」
「あら、ツクヨちゃん」
わたしを見て、エッちゃんがにっこり笑った。エッちゃんは、ゲンちゃんうどんの女将さんだ。店主はゲンちゃんだけど、実質のナンバーワンはエッちゃんだ。
「これから、サヨちゃんがデートに来られる。だからわたしには、それを見届ける義務があるのです。店主に、そうお伝えくだされそうろう!」
わたしの敬語は完璧だ。
「かしこまった───アンタぁ~!」
エッちゃんはノリのいいおばちゃんだ。だが、時すでに遅し……ゲンちゃんの動きが止まっている。
───飛川君。お姉ちゃん元気?
いつもの言葉はどこへやら。ゲンちゃんはママの幼馴染で、わたしのことを幼稚園の頃から可愛がってくれるうどん屋さんだ。
「おい! 飛川君がぁ、女ぁ~連れてきたぁ」
声がデカい。
ゲンちゃんが振り向いて、わたしとゆきちゃんの姿を見つけた。すると、わたしらめがけて一目散に飛んできた。
「ツクヨちゃん。あの超絶美人、もしかして……彼女さんですか?」
人間は、パニクると敬語になる。
「うん、彼女です。たぶんです」
どうして、敬語になるのかな?
「素朴な中に都会の風を感じる美人さんが、飛川君の彼女なの? あの逸材をどこで見つけられたのでしょうか?」
今日のゲンちゃんは壊れていた。
「ネットで引っかけたらしいです」
ゲンちゃんが、小膝叩いてにっこり笑う。
「俺もネットやろうかな」
腕を組み、神妙な面持ちのゲンちゃんであった。阿吽の呼吸でわたしとゆきちゃんは、厨房の裏からふたりの姿を監視する。
「ねぇ、ねぇ、ツクヨちゃん。どうして、のんちゃんここにいるの? 休みを使って遊びに来たとか?」
そうだった。のんちゃんが、こっちの大学にいるの……誰にも教えてなかったっけ。
「のんちゃん、こっちの大学に通ってるの。ちょっと前にサヨちゃんから聞いたの。ごめんね、ゆきちゃん。言うの忘れてた……」
それに慌てたのがゆきちゃんだ。
「それって、押しかけ……ってことぉ? のんちゃん、行動力あるのね。でも、ロマンあるわ……ステキね」
ゆきちゃんの瞳がギラギラしている。こんなゆきちゃん、見たことない。
その間にもサヨちゃんは、のんちゃんにセルフうどんのレクチャーを始めた。初めてわたしをゲンちゃんうどんに連れて来た時のように。ゲンちゃん仕込みのうどんうんちくを、これからのんちゃんにご披露するのだろう。
トレイを持って、コップに水を入れ、天ぷらを選んで、うどんを注文する。セルフは、わたしたちの日常だけれど、のんちゃんの顔がキラキラしている。時折、手を叩いて「すごい、すごい」と言っている。
でも、その時のわたしは複雑な気分だった。
サヨちゃんの幸せは、わたしの幸せでもあるけれど、そんなふたりの姿が憎らしく思えた。サヨちゃんの存在が遠くに見えた。それは不思議な気分だった。オッツーに会いたいな……今すぐに。
「どんな感じ? ツクヨっち」
振り返ると、わたしのヒーローがいた。
「わたしの……オッツーぅぅう! 来たの?」
オッツーも心配になって様子を見に来たのだろう。わたしは、オッツーの腕にしがみ付き、オッツーの太い腕に頬ずりをした。わたしは知っている。理科の授業で習った。これを条件反射と呼ぶのだと。
その間にも、ふたりは並んで“たも(うどんのお湯を切る道具)”を持ち、シャッシャと麺のお湯を切っている。どういうわけか、なにをやってものんちゃんはサマになる。女として……違う。生物としてのステージの差。それをわたしは感じていた。その証拠に、エロおやじがチラチラとのんちゃんを見ている。おやじたちのエロ視線が、わたしには気持ち悪かった。そして、のんちゃんの美貌が羨ましかった。
サヨちゃんとのんちゃんは、奥の座敷に腰を下ろした。わたしから見えるのは、のんちゃんの顔だけで、サヨちゃんは背中しか見えない。でも、きっとデレデレの顔なのだろう。のんちゃんの顔がピカピカに光っているのだから。そう、あれは……なんだっけ? そうそう、スパダリ(スーパーダーリン)を見つめる顔だ。
厨房の中のメンバーは、一心同体の様相を見せた。わたしとオッツーとゲンちゃん夫婦は、座敷のふたりに目が釘付けで、ゆきちゃんはメモ帳になにかをガリガリ書いている。その理由は分からない。
───そうだ、動画、動画。
このスクープを逃してなるものか。アケミちゃんと桜木君にも見せないと。わたしはスマホを取り出して、うどんを食べるふたりの撮影を開始した。望遠モードにしたのはモチのロン。録画ボタンをタップすると、スマホの画面が真っ暗になった───壊れた? その理由はすぐに分かった。ゲンちゃんがレンズを手で塞いだのだ。ゲンちゃんが、にっこり笑ってわたしに言う。
「ツクヨちゃん。飛川君が、いくら君のおじさんだからって、それは褒められることじゃないよ。同じこと、自分がされたら嫌でしょ? たとえば、ツクヨちゃんと尾辻君とのデートなら?……嫌だよね」
オッツーとなら、喜んでぇ! わたしはオッツーと一緒ならガンガン撮影してほしいけど……。ゲンちゃんは大人の男なんだなぁ……女子の気持ちは分からない。でも、ここはゲンちゃんに従った。
「うん。ごめんなさい」
わたしはスマホをポーチに引っ込めた。
「ツクヨちゃんは、いい子だ。後でうどんを食べて帰りな」
そう言ってにっこり笑った。わたしは思った……ゲンちゃんは、いい人だ。
依然として、ゆきちゃんはガリガリとメモを取っている。その鋭い目とペンを動かす指の動き。わたしには、それが新聞記者みたいに見えた。
のんちゃんはサヨちゃんに全集中しているらしくて、すごくとても楽しそうだ。きっと、デートってこんな感じなのだろう。そんなことを考えていると、オッツーがわたしの背中を叩いた。いいのよ、オッツー。これからわたしとデートする?
「おい、あの子───忍って子じゃね? しばらく見ないうちに大きくなったなぁ。なんか、ご当地アイドルの可能性すら感じるよな。可愛いなぁ……ツクヨっちよりも大人っぽいし。今日のこと、あの子にも教えたの」
「教えた」
忍ちゃんは親友だけれど、オッツーに関して話は別だ。わたしはムスッとした声で返事した。にしても、忍ちゃんの様子がおかしい。わたしには分かる。その証拠に後ろ髪を束ねている。あれがあの子の戦闘モード……。
忍ちゃんがトレイにうどんを乗せて、一直線に座敷へと向かっていた。それは世界の憧れ、大谷選手の剛速球のような、迷うことなきど真ん中へのストレート。忍ちゃんから放たれるオーラに、わたしたちは息を飲んだ。本能的に嵐の前触れを、わたしたちは感じていた。
「ここからじゃ、声が聞き取れないな。ツクヨっち」
オッツーが小声で言う。わたしもオッツーと同意見だ。
「ねぇ、オッツー。窓の外からなら聞こえるよ」
「そうですわ。だって、窓が開いているもの」
ゆきちゃんナイス洞察力。
「オッツー、行くよ!」
わたしはオッツーの腕を引っ張った。
「オッケー」
厨房から飛び出して、我先にと座敷窓の外側へと移動する。窓は大きく開放されているのだ。だから、そこから会話が聞こえるはずだ。
「お前、誰や!」
忍ちゃんはサヨちゃんの隣に座り、開口一番でそう言った。ゆきちゃんのペン先が止まり、オッツーの動きも止まった。まったく動じないのがのんちゃんだった。
「あら、三縁さんの可愛いお友達ですか? 初めまして、わたし早川花音です。三縁さんのお友達です」
───お友達!
のんちゃんの肉声は、鈴のようにコロコロして柔らかいのだが、これまでのあれは……なんだったのか───わたしたちは無言で互いの顔を見つめ合った。オッツーはうな垂れて、ゆきちゃんも少し寂しげだ。そしてわたしは思った。さっきのスパダリ発言は撤回ですよと。
「そっか。友達か」
ポーカーフェイスの忍ちゃんは、シュークリームの試食となにも変わらない。淡々とうどんをすすっている。
「そういうことだ」
サヨちゃんがそう答えた。声のトーンが随分下がっている。表情に出さないけれど、のんちゃんからの“友達発言”に、それ相当のダメージを食らっているようだ。サヨちゃんが少し小さくなって見える。
「お名前は?」
「忍」
「忍ちゃん。可愛いお名前ね。お年は?」
「十一歳」
これまでと変わらずに、のんちゃんはマイペース。忍ちゃんも無表情でマイペース。均衡状態がしばらく続き、のんちゃんは、衝撃の一言を放った。あれは、拳なんてレベルじゃなかった。言うなれば……のんちゃんバズーカ。
「忍ちゃんは、三縁さんのことが好きなのね」
げげげげげぇ! わたしの親友がそんなこと。こんな時、わたしはどうしたらいいのだろう。たぶん、この場で最も動揺したのがわたしだった。
「……」
のんちゃんの問いかけに、忍ちゃんは答えない。ゆっくりと窓の外へ視線をずらし、窓ガラスに向かって声をかけた。
「お前ら、なにやっとん? ツクヨちゃんまで」
窓ガラスの向こう側。バツの悪い顔で立ち尽くす、わたしたち三人の姿がそこにあった。
「忍ちゃん、サヨちゃん好きなの?」
わたしの問いに、忍ちゃんは答えなかった。うどんを食べ終えると、なにも言わずに忍ちゃんは店を出た。
それは忍ちゃんからの宣戦布告。今日はこれくらいで勘弁したる。その気持ちに、のんちゃんだけが気づいていた。
時は流れてJK時代。忍ちゃんがわたしに言った。
───ツクヨちゃんだって、同じじゃない! 恋に年齢なんて関係ない。早川さんなんかに、ウチは負けない。だからお願い。ウチを助けて。
これが未来でわたしに告げた、忍ちゃんからの解答だった。
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