ふたりで石あかりを歩いた夜。
俺は彼女の部屋で一夜を明かした。そして俺は、出会ってしまった。〝のんちゃん親衛隊〟と呼ばれる謎の組織と。それを語るには、時計の針を昨夜まで戻さねばならない……。
───俺とのんは、いい感じだった……。
石の置物が並ぶ細道。それぞれが少しだけ、ほのかな灯りで道を照らす。休日はイベントで賑やかな石あかりロードも、平日の夜になると人はまばら。ひっそりと静まり返っている。俺の耳に聞こえるのは、リンリンと鳴る虫の音と、のんが歩く下駄の音。カランコロンの音色が心地良い。のんが奏でる音ならば、一生でも聞いていられる。のんが歩を進める度に、白い浴衣に描かれたひまわりが、そよ風に揺れているようだ。
「サヨちゃーーーん! カエルさんが、おるぅぅぅ~!」
いい感じの……雰囲気が……。
ツクヨの大声で雰囲気が台無しだ……。道の両端に並べられた石の置物を、のんと一緒にしゃがんで眺める。猫だったり、カエルだったり、狸だったり、亀だったり……。同じ物はひとつもない。のんは置物を眺め、俺は彼女の横顔を見つめる。
「あ、この子。先輩に似ている……」
キツネの置物を指さして、のんの横顔が微笑んでいる。
「……先輩?」
「そう。わたしのお部屋のお隣に住んでいるの。とても優しい先輩よ。細くて、背が高くて、金髪なの。三縁さんと、お友だちになれるかな?」
キツネ先輩は、男なのか? 一抹の不安が、俺の脳裏をかすめた……。
「そうだね。お友だちになれたらいいね」
笑っちゃいるけど、嘘である……。
キツネの置物を眺めるのんは、太陽の光とはまた別の、大人びた表情を見せている。長いまつ毛のその奥で、煌めく瞳に、俺の魂が吸い込まれそうだ。俺は心に決めていた。今夜、のんに告るのだ。小説家への切符を手に入れた俺は、無敵の人になっていた───告白するなら、今しかない。
「……のん」
「……はい」
「サヨちゃーーーん! カメさんが、おるぅぅぅ~!」
だ・か・ら。いい感じの……雰囲気が……。
ツクヨは、現場実況に余念がない。その度に、のんはツクヨに手を振った。忍はツクヨの隣で、真顔で俺を睨んでいる。なぁ、忍さん。俺……なんかしましたか? やっぱり苦手な忍であった。ゆき姫は自撮りに夢中のようだ……ブロガーを諦めて、インフルエンサーにでもなる気だろうか?
「ねぇ、三縁さん。新作は順調ですか?」
のんのさりげない言動で、空気が変わる。
「決定打がね……思いつかない……」
俺は悩みを打ち明ける。
「輪廻転生の決定打?」
「そう……」
「わたしも一緒に考えます。三縁さんの、お邪魔じゃなければ……」
そう言うと、のんは俺につむじを見せた。
のんは、リアルタイムで新作原稿を読んでいる。それは、のんにとって当然の権利だ。だって、そうだろ? 新作だって、のんのために書いているのだ。お邪魔だなんて他人行儀な……それよりも何よりも、のんの指摘はいつも正しい。
「のんがお邪魔なんて、思ったことないよ。一度も……」
彼女が本気で小説を書けば、旅乃琴里を超えるかもしれない……たぶん、のんは天才だ。凡才の俺なんて、のんの足元にも及ばない。俺はそう考えている。
「うん、ありがとう。それでね、主人公が納得してないじゃないですか? 自分が転生していることを……」
「そうだねぇ~」
薄暗い石あかりの中で、あーでもない、こーでもない。会話の焦点は輪廻転生になっていた。さしずめこれは、作家と担当者との会話である。俺の担当者の青葉さんとだって、こんな会話なんてしたことない。だからさ、もっとこう、ロマンチックな……。
「のん……楽しい?」
「はい。三縁さんと一緒に考えるのが、とても楽しいです。わたし、中学からの夢が叶った感じです」
俺の思いとは裏腹に、のんの声はアゲアゲだった。コロコロした丸い声で、とても楽しそうに話すのだ。わずか三十分の道のりを、俺たちは、倍の時間をかけて歩いた。その間、終始のんは笑顔だった。
結局、告白のタイミングなど何処にもなかった……。
石あかりの終点で、見慣れた黒い高級車が駐車している。それは、ゆきの父親の車である。その後部座席に、ツクヨと忍が座っている。俺たちに向かって、メッチャ手を振りながら。助手席に座るゆきが、車窓を開けて俺に告げた。
「サヨちゃん。わたし、ツクヨちゃんと忍ちゃんを連れて帰るね。のんちゃんのエスコートは任せるわ。それと……分かってるわね? うふ♡」
何が……ですか?
「じゃ、のんちゃん。またねぇ~」
「ゆきちゃん、メールするねぇ~」
へぇ~……のんとゆきとは、メアド交換してたのか。カラオケで、ふたりの距離が縮んだようだ。てか、小五コンビともツーカーなのだろう。放課後クラブの〝女子部〟って感じだな。俺は少しうれしくなった。
のんがスマホを軽く振ると、ゆきたちを乗せた車がゆっくりと動き始めた。残された俺とのんは、駅に向かって同じ道を引き返す。そこでの会話も、新作の話題で消費された。告れなかった……。のんと一緒に電車に乗って、のんが住む白いマンションの前に立つ。結局のところ、今日の俺もヘタレであった……。
のんが住むマンションは、この辺りでは高層マンションの部類に入る。とは言っても、七階建てだ。玄関ロビーのセキュリティも万全で、
「のん……今日はありがとう。また、グリムでね」
そう言って、駅に戻ろうとする俺の上着の裾を、のんの細い指が引き止める。これぞまさしく、ドラマであるやつ。なんだ、なんだ。いい感じになってきた……。
「三縁さん。わたしのお部屋で、お茶でも飲みませんか? もっと、三縁さんと話がしたいの……おいしいコーヒーもあるの」
キターーーーー! 告白チャーンス!!!
俺はふたつ返事で、マンションのロビーへ入っていった。学生専用マンションは、オートロック完備でセキュリティも万全だ。でも、お家賃が……お高そう。ロビーの奥に設置されたエレベータに乗ると、のんは三階のボタンをポチッと押した。
「わたしのお部屋はね、三〇三号室なの。なんかねぇ~、三縁さんの〝三〟に合わせてお部屋を決めたの。だから、お気に入りのお部屋です」
はにかみながら、のんが言う。もう、こんなチャンスに恵まることなどあり得ない……このまま、エレベーターに閉じ込められても───俺が許す! そこで俺は腹を決めた。俺は今夜、男になる! のんの部屋の前で、のんが小声で俺に言う。小声なのは、お隣さんへの気遣いなのだろう……。
「あのねぇ~。着替えるから、少しだけここで待ってて」
そう言うと、のんは部屋の中に入っていった。部屋のドアが閉まると同時に、三〇二号室と三〇五号室のドアが開き、部屋の中から隣人が飛び出した。どちらの部屋からも女だった。ここは学生専用マンションである。つまり、ふたりとも女子大生だと考えていいだろう。
「アンタぁ~、花音に何しに来たのよぉ~? 送り狼ってやつなのか~い?」
三〇二号室の女は、スリムジーンズにTシャツ姿。俺の見立てじゃユニシロだ。細身の長身で、肩まで伸びた金髪が印象的だ。夜だからだろうか? すっぴんで眉毛はない。けだるそうな声なのに、鋭いキツネ目で俺にむ。俺はアナタを知っている。こいつが噂のキツネ先輩か……この調子だと、お友だちになれそうもないな……。
「さぁ、お引き取りください。可愛い後輩の迷惑だから!」
三〇五号室の女は、白い上下のスエット姿で、頭からすっぽりとフードを被っている。小柄で真面目そうなメガネっ子だが、俺に敵意を持っているのは明らかだ。その大きな特徴は、小柄なのに……胸がデカい。そして俺は、お前を知らない。でも、そのタヌキ顔。これからは、タヌキ先輩と呼ぶことにしよう。キツネとタヌキか……覚えやすい。
「いや……その……」
こんなところで、女性ふたりに絡まれるとは予想外。謎のプレッシャーに恐怖を覚える。怯む俺の顔をキツネ先輩が覗き込む。カツアゲか? カツアゲなんだな!
「アンタさぁ~、飛川三縁?」
飛川三縁の響きに、巨大な胸……タヌキ先輩が駆け寄った。にゅーっと、背伸びをしながら俺を見ている。
「ホントだ、のんちゃんが大好きな飛川三縁だ!」
それは、うれしい。でも、俺の認識が正しければ、フルネームで呼ばれる奴は、敵視されているのに決まってる。てか、どうして俺の名前を知ってるの? 忍のような厳しい眼光で、キツネ先輩が俺に言う。どうも苦手なタイプだな……。
「ウチらはねぇ~、のんちゃんの親衛隊なのよぉ~。のんちゃん親衛隊は〝のんちゃんの操を守る〟を、主たる目的として結成された秘密組織なのよねぇ~。だから、帰ってくんなぁ~い?」
悪の組織の……お間違いでは? てか、今どき〝操〟って……。キツネ先輩と話しているうちに、タヌキ先輩はスマホを取り出し、画面に何かを入力している。
「隊長! 二十秒後、応援部隊が駆けつけます」
応援部隊まで……あるの? てか、のんちゃん親衛隊って、どんだけ巨大な組織なんだよ?
「おっけぇ~」
不敵に微笑むキツネ先輩。この先、俺はどうなるのか? 目に見えぬ不安が俺を襲う。それと同時に、俺の中で燻っていた謎がひとつ解けた。これまでのんに……あの可憐な美少女に。まったく男っ気がなかったのは、親衛隊の存在があったからに違いない。どう見ても、こいつらの行動は武闘派だ。少なくとも、キツネ先輩の戦闘力は高い。そして、タヌキ先輩の連絡系統もスムーズだ。組織としても完成している。
───タタタタタ……。
非常階段に響く足音。ひとりか? いや、違う。……ふたつ……みっつ……。すまんな、オッツー。俺……封印を解くぜ……。
のんの部屋のドアを背にして、身構える俺がいた。
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