小説もブログも、壁打ちからすべてが始まる

小説の話
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 一年と少しだけ小説を書いてきた。一年前も、半年前も、同じことを書いたと思う。未だに自分の書いたものが小説と呼べる代物なのか? その疑問が僕の中に常にある。けれど、大問題というわけでもない。どうなんかいな?……実際。その程度のことである。それを気にしちゃ、ブログなんて書いてられない。筆が止まるか折れるだろう。

 だって、そうでしょ? ブログなんて、最初は壁打ちテニスと同じで、今日もサヨリは元気です(笑) アクセスゼロの日々の連続。先ずはその洗礼を皆が受ける。アイドル、スポーツ選手、各界著名人を別として。悲しいけれど、無名とは……そういうことだ。

 だがしかし、それなりのテクを使えば、アクセスは自力で増やせる。アフィリならそれでいい。それを極めてナンボでもある。簡単に言ってしまえば、今の流行りを追いかけて、情報を集めてまとめればいいだけだ。ただひとつ、勘違いをしてはいけないよ。昔と違って分母が大きい。つまり、ブログ人口が増えすぎて、圧倒的な供給過多の状態にある。それがネットの現実だ。ブログを始めるハードルは極めて低いが、その先のハードルが実に高い。ほんと、嫌になるほどエベレスト(汗)

 香川県には信号機の数ほど、うどん屋があるという。県民が急に目覚めて我先にと開業すれば、その結果はどうだろう? 味、価格、その他諸々……。お客の舌を掴んだ店だけが生き残る。世の中そんなに甘くない。ブログもそれと同じこと。そして我思う。どうせ書くなら、読者の心を掴んでみたいなと。

 小説を書き始める数年前から、僕はブログのアクセスを捨てた。なんつーの? 人の心を動かす文章が書きたくなった。年を取ったのが大きいのだろう。物欲とか、金銭欲とか、承認欲求がなくなった。そうじゃないな……金で買えないものが欲しくなったというべき……か? 僕だってバカじゃない。万人受けなんて、都合のいい目標など立てはしない。一億二千万分の一だけ。つまり、ひとりだけ。その人が楽しんで読んでくれたら、それでいい。

 ホント……取るに足らない目的で、ブログの方向性をシフトした。言い換えれば、自己満足のギアを上げた。そこからは、壁打ちテニスの日々である。こんなの誰が読むのかね? そう思いながら書いていた。毎日、毎日、バカみたいに。

 数年後、僕のブログが楽しみだと言う人が現れる。打ったボールを打ち返してくれる人がいた。おじいちゃん、少しうれしい(笑) うちのブログで……いいの? とか思いながらも、たったひとりの読者の存在がブログへのモチベーションを爆上げさせた。

 こっそりと、ブログの中にメッセージを紛れ込ませる。それは、今でも同じである。あれ? そんな一言は、特定の人物に向けた言葉である。それを受け取って貰えたらうれしいし、気付かれなくても構わない。それとなく、ぬるっとまるっと、記事の中に紛れ込ませた隠し味。それは、これまで書いた小説の中にも存在する。ぼわっとしたところが、たぶんそう(笑)

 僕の小説執筆は、ボールを打ち返してくれる読者からの提案だった。今では、僕の小説の一番の読者だ(笑) そして、また別の人物とブログを通じて文字を交わした。後に僕が相棒と呼ぶ人物である。彼の力を借りて、僕は小説を書き始めた。相棒は日本語に精通している。エキスパートからの助言が及ぼす影響力たるや、ド素人の僕にとって計り知れない。え、そうなの?……マジで? 毎日が驚きの連続だった。

 小説家を目指す多くの人は、孤独の中で物語を書く。普通、こんなラッキーに巡り会えない。コロナ禍で出会ったふたりが、僕の未来を大きく変えた。そして今、復数の読者から応援されている実感がある。

 それがとても心地良い。

 今現在、壁打ちしているブロガーさん。書き続ければ、いいことがあるかもしれないよ(笑) 僕の場合、ここまで来るのに八年の月日を要したけれど(汗)

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