あるべきものが、そこにない……。
その現実に直面したら、アナタは何を思うのでしょう。僕にとって、それは耐え難きショックでした。きっと多くのお客さまが、僕と同じ衝撃を受けたでしょう。あてどなくさまよいながら、店内を探し回ったのに違いありません。少し不機嫌な顔つきで、店員さんに尋ねたりもしたのでしょう。
「ここにあった、アレは?」
「もう……ありません」
おしぼりですよ、おしぼりです。紙のじゃなくて布のやつ。夏は冷たく、冬暖かいおしぼりで、汗にまみれた顔を拭う。それは女性に嫌われる、オヤジのキモい行動上位ではあるのだけれど、そんなお昼休みのひと時に、小さな幸せを感じる人もいるのです。たかが、おしぼり。されど、おしぼり。それだけを楽しみに……そんなオヤジもいるのです。
屋島にキリンというセルフうどん店があります。店の黄色い外壁面には、大きなキリン模様が描かれています。どうして、うどん屋なのにキリンなのか? 昔からそうでしたから、それは、永遠の謎なのでしょう。お値段がお安くて、お昼ともなれば行列ができる人気店。低価格を例えるのなら、今日のチョイスで理解できます。かけうどんと、うずらの天ぷらと、しそのおむすび。それで420円……440円だったかもしれません。いずれにしても、とても、お財布に優しいお店です。それに加えて、お楽しみのおしぼりが、あったのに……。しばらくは、おしぼりショックから抜け出せそうにもありません(汗)
長年の習慣とは恐ろしいもので、あるはずのないおしぼりを、僕の目と腕が勝手に探し始めます。薬味の横、マヨネーズの上、コップのまわり……そんなところにあるはずないのに。どうしても、おしぼりを探してしまう。それが、オヤジという生き物です。
───おしぼりは、ありません!
その現実を受け止めて、おしぼりがあったテーブルを眺めながら、寂しくうどんを啜っていると、あのオヤジも、このオヤジも……おしぼりを探していました。細やかな幸せを、シワシワの手が求めている。僕の目には……そう見えました。とても切ない光景でした。
うどんを食べたその後で、仲間に残念な事実を伝えます。すると
「あぁ……キリンね。随分前からそうでしたよ。グループ店は、軒並みそうです」
と、今さらジローな口調で答えます。おしぼり消失。若い子らにとって、それは、大した出来事ではなかったようで、ジェネレーションギャップというか、感性の違いというか、そんな目に見えない壁のようなもの。それをちょっぴり……感じました。
「おい、キリンのおしぼり……」
僕らの世代。または、それ以上の先輩方の間では、未だに、おしぼりの話題に花が咲きます。分かっているのに探してしまう……そんな、オヤジたちの行動パターンは、もうしばらく続くのでしょう。気づけばふと、僕がサヨリの姿を探すように。
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