新人賞

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 喫茶グリムで執筆に勤しんでいると、俺のスマホにメールが届いた。第五回「虹色出版 ニューフェイス発掘大賞」からの選考結果のメールだ。待ちに待ったメールなのに、どうしてもメールをひらけない俺がいた。七月二十八日のことである。

「あら、飛川君。具合でも悪いの……顔色が真っ青よ」

 心配げに、グリムの奥さんが俺の顔を覗き込む。

「そりゃいかんな、熱中症かもしれない……」

 奥さんの後ろで俺を見る、マスターも不安げだ。いや……そういうんじゃなくて……。黙って俺が俯いていると、冷たい何かが額に触れた。

「よかった。熱はないようです。なんかねぇ~……三縁さん。心配事でもあるんですか?」

 のんは俺の額に手を当てながら、小首を傾けて自分の額にも手を当てている。

「あら」

「おっ」

「……」

 のんは自然にやっているのだが、俺は顔から火柱が吹き出しそうだ。母親が子どもの熱を計るように、のんが両手で俺の頬を優しく包んだ。ちょっ、ちょっ、ちょっ……もうダメだ。今にも俺の鼻から血が抜ける。出血多量で死ぬかもしれない。

 それを見たグリムの奥さんが、マスターの背中をバンバン叩く。なぜだかそれが恥ずかしくて、俺はメールの件をみんなに告げた。

「今、メールが来ました……新人賞の……」

「で、結果は?」

 グリムの奥さんがカウンターから前のめりだ。すかさずマスターが奥さんのエプロンの紐を握りしめる。これぞまさしく夫婦愛───かくありたい。のんは静かに俺の横に座った。のんは何も語らない。希望と不安が交差する。そんな瞳で俺を見つめている。みんなに見守られながら、俺はようやくメールを開いた───。

「あっ……大賞です……ね?」

 俺はメールに記された文字を丹念に読み返す。最後に、青葉さんからのメッセージがあった。新人賞への応募を俺に勧めた、青葉さんが俺の担当をしてくれるのか……。それは心強いのだが、夢にまで見た現実が現実とは思えない。スマホ画面を見つめる俺の手を、のんの指がぎゅっと包んだ。

「さすがです。わたし、ずっと、信じてました。三縁さん、おめでとうございます」

 そう言うと、のんの目から涙が溢れた。その涙を隠すように、のんはちょこんと俺の肩に額を当てた。女の子ってこんな香りがするんだな……てか、何やってんの? そこの奥さん。グリムの奥さんが抱きしめるポーズを俺に見せる。てか、メッチャポーズを見せつけている。口パクで「やれ、やれ」と言っている。

 それでも俺が何もしないものだから、ついにはマスターと抱き合い始めた───昭和パワー恐るべし! 不器用に、俺がのんの肩に手を回すと、カランカランとドアのベルが鳴り響く。

 ドアが開くと小さな女子が立っていた……ツクヨだった。ツクヨの後ろで、ポカンと口を開けたオッツーの顔と、俺たちに鋭い眼光を浴びせる忍の姿も。ツクヨが俺とのんを認識した瞬間、両手を頬に当てるや否や、ムンクの絵画のように大声で叫んだ!

「あーーーーーーーーーーー!!!! サヨちゃんがぁ、のんちゃんとぉぉぉぉ!」

 しまった! 今日は後から、オッツーと小五コンビが来るんだった。のんの肩に回した手を、俺はスッと引っ込めた。何事もなかった顔で、俺は天を仰ぐふり。のんは、俺の肩におでこを乗せたままだ。こんなの、逃げも隠れもできない状況じゃないか。

「あ、なんか……ごめんな。ツクヨっちと忍ちゃん、自販機行こう。新製品のいちごのジュースがあった……気がする。じゃ───後でな、サヨっち!」

 機転を利かせたオッツーが、ツクヨの目を塞ぎながら、入ったドアへと引き返す。猛烈にツクヨが抵抗したのは言うまでもない。「ライダーキック!」小さな足で、ツクヨはオッツーを蹴り上げている。すまんな……オッツー。この騒ぎに、のんは慌ててエプロンを目に当てた。そして、涙で潤む笑顔でみんなを出迎えた。

「あら、いらっしゃい。さぁ、みんな。座って、座って」

 三人を椅子に座らせたその後で、誇らしげに俺の受賞をみんなに伝えた。

「三縁さん、新人賞の結果が出ました。大賞です!」

 のんの言葉に、三人の視線が俺に集中した。

「サヨちゃんマジでぇーーー!」

 興奮気味にツクヨが叫ぶ。

「やったな、サヨっち!」

 涙ぐんだオッツーが俺に駆け寄る。

「……」

 安定の忍であった。

「今日はお祝い、貸し切りじゃ!」

 マスターの一声で、のんと奥さんが手際よく店を閉めてしまった。そこからは、酒もないのにドンチャン騒ぎだ。腰のタイフーンを回しながら、俺を応援し続けたオッツーも感無量になったのだろう。終始、オッツーは号泣だった。「よかったなぁー、よかったなー。サヨっち、頑張って書いたもんなー……」コーヒーのおつまみに、シュークリームを頬張りながら、そればかりを繰り返す。こいつは本当にいい奴だ。

「恋人には、こんな男を選べよ。ツクヨ!」

 オッツーの肩を抱きながらツクヨに言うと

「わたしのオッツーは───わたしのじゃ! ねぇ~、わたしのオッツ~ぅ」

 ツクヨはプーッとほっぺを膨らませ、オッツーの肩に回した俺の腕を跳ねのけた。

「そうじゃ!」

 ツクヨの声に忍の言葉が重なるのを、マスター夫婦が目を細めて眺めている。のんも喜んでくれたのだろう。虹色出版からのメールを、俺の隣で愛おしそうに読んでいる。メールを読み返しては、にっこり笑って俺を見る。のんの笑顔を見る度に、じわじわと受賞した実感が湧いてきた。のんが望んだ小説が、新人賞を獲得したと。一年前の俺に、この事実を伝えたら……俺は、どんな顔をするのだろう……。俺の引き出しに、新たなプロットがひとつ増えた。

「忍ちゃんも。サヨっちに、なんか言ってやれ!」

 オッツーが忍に言うと、ツクヨの横から忍が顔を出す。俺と目が合うと、忍は顔を引っ込めた。俺は思う……すごいのはオッツーだよと。

 オッツーがすごいのは、忍と普通に会話しているところだ。忍はオッツーと仲良しなのか? 俺以外なら、忍は誰とでも仲良しなのか……? やっぱり忍は苦手だ。一度でいいから、忍の笑顔を見てみたい。

「あ、オッツーさん。気がつかなくてごめんなさい。おかわりのコーヒーとシュークリーム、持ってきますね」

 のんの気配りへ、オッツーが口を開く前にツクヨの口が割り込んだ。

「すいませんねぇ、のんちゃん。わたしのオッツーに気をつかってもらって。主人は大きいから、いっぱい食べるんですのよ。ホホホホ……」

 手の甲を口に当て、笑うツクヨは嫁さん気取りだ。まぁ、以前のように会えないのだから、今日はしっかりオッツーに甘えさせてもらえ。のんも俺と同じことを思ったのだろう。ツクヨに向かって話しかけた。

「あら、ツクヨちゃん。オッツーさんの奥さんみたい」

「そう、お嫁になるのじゃ!」

 のんに向かって、ツクヨは大きくガッツポーズをして見せた。

「そっか、そっか。ファイトですね、ツクヨちゃん」

 のんもツクヨにガッツポーズをして見せると、ご機嫌さんで厨房に入った。厨房にのんが入ったのを見計らって、俺の隣に忍が座った。いつ見ても、整った顔立ちをしているのな……一瞬、忍の顔に見惚れた俺だが───それはそれ、これはこれ。無意識に、俺は心の防衛体勢に入っていた。忍の言動は、いつも俺の心臓をえぐるのだ。

「おい、お前」

 ほら来た……。

「ど、どうしたの……かな?」

 咄嗟に俺は笑顔を作る。俺のガラスの心は、次の一撃に耐えられるだろうか……? 忍は俺の顔を見上げて見つめている。なんだ、なんだ。忍の目が三日月のカタチになっている。若干、広角も上がっているような、いないような……。しばらくの沈黙の後、二枚の花びらのような忍の唇が動いた。

「なんか……お前、すごいな」

 忍が俺に向かって初めて笑った。

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