004 トビちゃん
───死ぬるーぅぅぅ。絶対、死ぬーぅぅぅ!!!!
ワシは今、虹の橋のてっぺんから、地の底に向かって落ちておる。チハルは地獄などないと言うておったが、このまま落ちれば地獄じゃろう。もしかすれば、チハルはあの世のペテン師じゃったのかもしれないのう……。
人間を信じたワシは、己の愚行に苦笑しながら、地の底へ向かって落ちていた……。
「お待たせしましたぁ~。トビちゃんだよぉぉぉ」
ワシに向かって飛んでくる、雷電のコクピットの窓が大きく開く。そこにパイロット帽をかぶって、ゴーグルをかけた女の子が、両手を広げて立っておる。ワシは思った。トビちゃんは、チハルよりも美人じゃのぉ……。ゴーグル越しでも、それは分かった。
ワシはロックオンでもされたかのように、トビちゃんの胸に向かって真っしぐら───バサっ! トビちゃんの腕が、ワシの体を受け止めた。
「初めまして、トビちゃんです。会いたかったです! サヨリさん」
トビちゃんが、ワシの体を抱きしめた。その感覚が、我が主殿と似ておった。
「お父ちゃん……」
ワシの口から言葉が漏れた。トビちゃんは、ワシの顔を覗き込み、にっこり笑うと、さらにギュッと抱きしめた。
「おどうじゃ……ん。ぐぐぐ……」
ワシは少し苦しかったが、それにも増して心地よかった。主の知人がここにおる。それだけで、ワシの気持ちはやわらいだ。すると、トビちゃんが呟いた。
「お月さま……」
そう。トビちゃんは、主をお月さまと呼んでいた。にしても……我が主はおっさんで、そこから年を換算すれば、トビちゃんだって、大人の姿のはずなのじゃが? どう見ても、チハルと変わらぬ容姿じゃの……
「それでは、お家までひとっ飛びです!」
オーバーオールの胸ポッケにワシを入れると、トビちゃんは、操縦桿を握りしめ、巧みに雷電を操った。どこまでも続く地平線と水平線に、あの世の広さをワシは感じた。
しばらく飛ぶと、雷電が巨大な穴の上を通過した。その底は漆黒の闇に包まれて、ともすれば引きずり込まれてしまいそうな、実に不気味な雰囲気が漂っておった。きっと、そこが地獄なのじゃろう。広い平地の所々に、小さな点の塊が見えておった。あれは人じゃ、人間の塊じゃ!
「この世界では、心が住む場所を決めるんです。ほら、あそこ。高層ビルが建ち並んでいるでしょ? ビルの中では、円とか、ドルとか、ユーロとか。人が紙切れを奪い合っています。そこは、お金が大好きな人たちが集まっている場所なんです」
「金は人格を変えるというからのう。食えもせぬものに、執着する気持ちなど、猫のワシには理解できんわ」
「そうですね、サヨリさん。彼らは、飽きることなく四六時中、寝ても覚めても、お金を奪い合っているんですよ。喧嘩が好きな人たちは、ほら、あそこ。今日も元気に殴り合っていますねぇ~、血みどろです」
あっけらかんと、トビちゃんが言う。
「テレビで見た偉い人が、大勢の人間に殴られておるぞ。あれぞまさに、地獄じゃな……」
「いいえ、それは違いますよ。あの人たちにとって、あの行為が幸せなんです。あの殴られている人だって、弱い人を見つけては、同じ行為をするのですから。気づかなければ、未来永劫、あそこから抜け出せはしないでしょう。でも、彼らにとっての天国だもの。きっと、あの争いが幸せなのだと思いますよ」
人間とは愚かな生き物じゃ……ワシはそう思った。そして、生まれたままの姿で抱き合う、男女の塊をワシは見つけた。獣のような、うめき声をあげておる。
「あれは、なんじゃ?」
「……」
トビちゃんの顔が耳まで赤くなった。ワシは、トビちゃんの反応にすべてを察した。ワシも長年生きた猫である。あれは、変態チックな交尾じゃろう……。気まずい空気が、コックピットを支配しておる。その沈黙の気まずさに、トビちゃんが口火を切った。
「あ、あれは……エロ……い人……たち……が……」
「みなまで言うな、みなまで言うな。ワシも分かっておるからのう……まぁ、あそこは永久に春なのじゃろうて。次世代を生み出すこともなく……ご盛んじゃのぉ~」
「えぇ……まぁ。なんだか気まずいので、上昇しますね」
雷電が高度を上げると、ふわふわした雲が広がった。コックピットから見下ろす景色は、綿菓子の上を飛んでおるようじゃった。
―――ゴゴゴゴゴ!
「なんじゃ? あれは!」
「あら、十蔵さん!」
その雲をかき分けて、巨大な何かが浮上した。その正体は、雲の切れ間で明らかになった。
「あれは、戦艦……ヤマト……じゃの?」
空を飛ぶヤマトの勇姿に向かって、トビちゃんが手を振っておる。
「こんにちは~。十蔵さんも、お迎えですかぁ~」
「あ、トビちゃんも?」
ヤマトの主砲の先端で、高校生くらいのイケメンが、腕組みしながら立っているのだが、何故に……緑のジャージ姿なのじゃろう?
「その子のお迎えですかぁ~?」
「そうそう。チョコって名前なんだ。トビちゃんのポッケの子は?」
「サヨリさんです! よろしくね」
十蔵の肩の上に、黒い子猫の姿があった。ワシが子猫に頭を下げると、子猫はワシにそっぽを向いた。最近の若猫は、会釈のひとつもできんのか? ワシは少しムッとした。
にしても、雷電にヤマトじゃと? 次にガンダムを目撃したとて、もうワシは―――驚かん!。
「サヨリさん。ほら、あそこ」
トビちゃんの指さす先に、巨大なホットドッグが飛んでいた……。
「なぁ、トビちゃんや……」
「どうしました? サヨリさん」
「互いにな、腹を割って話そうじゃないか」
「はい?」
今のワシには、知るべきことが多そうじゃ。
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