014 ヨネさん
ボクがここへ来てから、三日が過ぎました。トビちゃんと湖の水面を覗くと、ヨネさんちの豪邸でお父ちゃんが庭の掃除をしています。お父ちゃんは便利屋に務めていて、ヨネさんはお父ちゃんをご贔屓にしてくれるお客さんです。
そして、ボクにちゅーるをくれる心優しき人なのです。ボクはヨネさんが大好きです。
「ここ、お庭が広いから草刈りだけでも大変ね。大丈夫かしら……お月さま」
不安げに、トビちゃんが言いました。
「お父ちゃんは大丈夫だよ。それに、ヨネさんちの旦那さんは、大きな会社の社長さんだから。ボク、一度だけヨネさんの別荘にお仕事に行ったことがあるよ。別荘の場所が遠くて泊まり込みだったから。お父ちゃんは、ボクを残して行けないって。ヨネさんのお仕事を断ったけれど、ヨネさんがボクも一緒でいいからって言ってくれて、特別にボクを連れていってくれたの。ヨネさんが別荘にね、ボクのトイレも用意してくれたんだ」
「お月さま、大人気ですね。サヨリさんも大人気です」
ボクたちが、仕事に汗するお父ちゃんを見ていると、ヨネさんがお庭に段ボールを抱えてきました。
「便利屋さん。これ、食べてくれる?」
段ボールには、大きく〝サッポロ一番〟の文字がありました。サッポロ一番は、お父ちゃんが大好きなインスタントラーメンです。
「え? それは有り難いですけれど……どうして僕に?」
ヨネさんは、畏まった顔で言いました。
「この度は……ご愁傷様でした。サヨリちゃんと、随分と長いこと過ごしたんでしょ?」
「中学からですから、二十年ほどになります」
「そう、そんなに……とても、大切にされていたのね。でも、サヨリちゃんも幸せだったわね。人間なら大往生だもの」
「そうですね……ありがとうございます」
お父ちゃんは微笑みました。
「便利屋さん、少し痩せた? ご飯……食べてないでしょ? ダメよ、ご飯だけは食べないと。だから今日、便利屋さんに渡そうと思ってね。お手伝いさんに頼んで、サッポロ一番を買ってきてもらったの。あなた、好きでしょ? だから、受け取ってもらえないかしら?」
ヨネさんも微笑みました。
「それはそれは……お心遣いまでいただいて、ありがとうございます。でも、どうしてサヨリのことを?」
「ここは小さな町よ。風の噂で聞いたのよ。便利屋さんには、いつもお世話になっているし、サヨリちゃんだって可愛かったもの。だから、心配だってしちゃうでしょ? 何はともあれ、まずはご飯よ。そうだ、お昼にお寿司でも食べましょうよ。そうね、そうね。今から出前を頼むわね」
ヨネさんがポッケからスマホを取り出すと
「いえ、ラーメンだけで十分です。ヨネさん、ありがとうございます。でも、これ以上はお気遣いなく。他の社員の手前もありますから……」
お父ちゃんは、恐縮したように言いました。
「あら、残念だわね」
ヨネさんの目が寂しげです。
「でも、ラーメンは食べるのよ。約束よ。もう、秋なのにねぇ~。いつまでも暑いわね……じゃ、缶コーヒーだけでも飲んでくださいな」
ヨネさんは、冷えた缶コーヒーをお父ちゃんに手渡しました。
「はい。缶コーヒー、いただきます」
お父ちゃんは、その場で缶コーヒーを一気に飲み干すと、仕事に戻りました。草刈り機のエンジンを回して、手際よく作業を再開します。ヨネさんは、少し安心したような顔で、家の中に戻りました―――今日の作業は、一時間ほどで終わったようです。軽トラの荷台が、刈り取った雑草でいっぱいです。
「ヨネさん。作業終了しました。ありがとうございました」
仕事を終えたお父ちゃんが、ヨネさんに挨拶をしました。
「あらあら。お庭が見違えるようだわ。また連絡するから。その時もよろしくね。そうね……今年は暖かいから、まだまだ草が伸びそうね。次は、来月の後半かしらね……」
「そうですか、後半ですか……」
お父ちゃんの顔が曇ります。
「どうしたの? ご予定でもおありになるの?」
「いえ……サヨリの四十九日の頃だなと思って……すみません」
「いいのよ、いいのよ。その日は外すから、重なっちゃったら遠慮なく教えてね。その前に、何度かお手伝いをお願いしたいし」
「分かりました。お心遣いありがとうございます。遠慮なく、ラーメンいただいて帰ります」
お父ちゃんは、ヨネさんからもらったラーメンを、軽トラの助手席に乗せました。会社に戻ったお父ちゃんは、社員のみんなとラーメンを分け合うと、自分の取り分をロッカーの中に仕舞いました。
お父ちゃんは嘘つきです。今日も何も食べていません。ご飯を食べないお父ちゃんに、トビちゃんの顔から徐々に笑顔が消えました……。
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