023 青き絶望
ボクがここへ来てから二十二日目の夜。
タロウが守る木の方角で、青色の蛍火が見えました。青い蛍火は、待つ人に忘れ去られたことを意味します。
「サヨリ兄さん。タロウちゃん、大丈夫っすか?」
チョコはとても不安げです。でも、猫と同じで犬も蛍火の影響は受けません。
「大丈夫だよ、チョコちゃん。蛍火の影響を受けるのは人間だけだから」
「そうっすね。安心したっす!」
幻想的に輝く蛍火を、周りの人たちが無言で見つめています。この世界に暮らす人たちにとって、赤き光も青き光も、悲しい光に見えるのです。青き光は人間にとって、絶望の色に見えるのでしょう。トビちゃんも例外ではありません。
「お父ちゃんは、そんな人じゃないから」
ボクは言いました。
「大往生さまの言葉は間違いないっす!」
チョコも言いました。
「うん」
蛍火を見つめながら、弱々しい声でトビちゃんが頷きます。しばらくすると、蛍火の光が消えました。金色に輝く天国の階段は見えませんでした。
「あの人は、転生の道を選んだのね……何度見ても、やりきれない……」
トビちゃんが、か細い声で呟きました。
転生の本質は、愛する人の記憶を消すこと。大好きな人も何もかも……記憶のすべてを無に帰して、新たな人生を歩むことを意味します。つまり、転生とは自分自身の消失です。この世界の人たちは、最もそれを恐れています。
「トビ姉さんは、大丈夫っす!」
チョコがトビちゃんを勇気づけます。蛍火を見ていた人たちは、湖のほとりに向かって歩き始めました。大切な人が恋しくなって、顔を見たくなるのです。だから、ボクらも湖に向かいました。
「あら、トビちゃんとおチビちゃんたち」
ボクらを見つけたサチさんが、おいでおいでと手招きをしています。
「「サチさんだぁー!」」
ボクらは、サチさんの所へ駆け寄りました。
「見たかい?」
サチさんがトビちゃんに小声で訊きました。
「はい」
「何度も見たけど、青の蛍火は堪えるねぇ。うちの旦那は、そろそろだから、赤も青もないけどねぇ……トビちゃん、大丈夫かい?」
「ありがとうございます、大丈夫です」
トビちゃんが明るく答えました。その明るさはわざとだけれど、トビちゃんの元気な声で、ボクはうれしくなりました。
「さぁ、お月さまの様子を見ましょうね」
「「うん!」」
トビちゃんが、湖の水面に手をかざします。お父ちゃんは、やっぱり今日も、パソコンに向かって何かを書いています。毎日、お父ちゃんを見ていたボクには分かります。これはブログじゃありません。ふと、ボクの頭に心ちゃんの顔が浮かびました。
「トビちゃん……もしかして。お父ちゃん、小説を書いてる?」
ボクが訊くと
「はい! 書いてます」
トビちゃんの顔に微笑みの花が咲きました。
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