034 再会
―――空耳じゃない!
愛しい声が聞こえる向こうで、痩せた猫がうずくまっている。額にくっきりMの文字。サヨリと同じキジトラだ。近づくと、猫は俺を見上げて
「ア、アっ」
と、鳴いた―――刹那に二十年前の記憶が蘇る。サヨリだ! 俺は、いても立ってもいられない。
「抱っこ、しような」
俺が猫を抱き上げると、猫は俺の首の後ろに逃げ込んだ。俺の頬をペタペタ叩く、長い尻尾のその先が、カギのように曲がっている。何もかもが……サヨリだった。
「天国で、着替えるのを忘れたかい? お前らしいな……サヨリさん」
「ア、アっ」
その鳴き声が、俺には「ただいま」に聞こえた。猫の温もりと、毛触りと、小さな鼓動が首に伝わる。俺は猫を家に連れて帰り、体を洗って飯を食わせた。段ボール箱に古新聞を敷き詰めて、一夜のトイレも用意した。
「やっぱり、猫だな……」
猫は段ボール箱の中で香箱を作っている。
「うちの子に、なっちゃう?」
俺が問うと、猫は「ア、アっ」と鳴いて、俺の膝に飛び乗った。
「そっか、そっか。名前はサヨリでもいっかな、二代目になるけれど?」
「ア、アっ」
サヨリは鳴いて、俺の手の甲をペロペロ舐めた。猫特有のザラザラした感触が懐かしい。サヨリの顎をコチョコチョ撫でると、サヨリは大きく顔を上げ、うっとりした目で喉を鳴らす。
「ゴロゴロゴロ……ゴロ……」
その仕草までもが、サヨリと同じだ。こんな偶然もあるのだな。
―――猫は飼い主を選んで姿を現す。飼い主に寄り添い、支え、癒やし……その短い生涯を終える。飼い主から、深き愛情を受けた猫は、毛皮を着替えて転生し、再び飼い主の前に現れるという……。
時折、小さな頭を撫でていると、丸い毛玉は寝息を立てた。この子は、あの子の生まれ変わり。雨音響く秋の夜に、俺はサヨリの生まれ変わりを信じていた。おかえんなさい、サヨリさん。トビちゃんも、生まれ変われば……いいのにな。この猫は、天国のトビちゃんからの贈り物かもしれないな。
―――完成したよ、俺の小説。
俺は心にメールを飛ばした。二年の月日は人生を変える。心は結婚し、今では一児のママになっている。俺の事情を知る旦那さんとも、良好な関係が続いている。そして、俺は小説を完成させていた。次回、心夫妻と会う時に、トビちゃんの写真を見せてもらおう。トビちゃんと、正面から向かい合うために。
―――便利屋さん。あなた……小説、書いてみない? 息子の代わりに、息子の夢を叶えてくれない?
そうだ。ヨネさんにも、俺の小説を読んでもらおう。ヨネさんは業界経験者だから、きっと助言をくれるだろう。二代目サヨリが、俺の未来の扉を開いたようだ―――
「ヨネさんちのモモちゃんに、サヨリを合わせないとな。あの白猫ちゃんはべっぴんさんだぞぉ~。肉球が桃色なんだ……だから、モモちゃん」
サヨリの四十九日に生まれた白猫に、俺は因縁めいたものを感じていた。窓越しに外を見れば、すっかり雨が上がっている。夜空に浮かぶ月を見つめて、手紙の言葉に想いを馳せる。『月が綺麗ですね』……その答えは今も同じだ。
「トビちゃん、ありがとな……」
ブログを書き始めた俺の膝の上で、猫は小さく丸くなった。サヨリを膝に乗せたまま、俺はキーボードに指を踊らせた。いつになく、指の動きが軽快だった。静かな部屋に響くのは、サヨリが奏でる喉の音。トビちゃんが俺の隣にいるような、長い夜が過ぎてゆく―――
「よし、書けた」
命の灯火が消えるまで。否、この世を去った後でさえ……サヨリの身を案じ続けたトビちゃんも、この記事で喜んでくれるだろう。俺の言葉が天(そら)に届く。そう信じて、最後の言葉で締めくくる。今宵の最後の一行は―――
今日もサヨリは元気です(笑)
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