後ろの席の飛川さん

小説始めました

後ろの席の飛川さん〝019 トイレで芽生える友情もある〟

生理現象とは不思議なもので、時間の法則性があるようだ。三時限目の休憩時間。決まってボクはトイレに駆け込む。明光中学に入学してからというもの、これがボクの習慣になっていた。 隣のクラスの中原君も、ボクと同じサイクルで生きているようだ。毎日のように、トイレで彼と顔を合わすけれど、言葉を交わしたことは一度もなかった。 まぁ、別のクラスの生徒である。率先して、ボクから話しかける相手でもない。「なんでやろ? モテないなぁ~」 これが彼の口癖だ。いつも前髪を弄りながら、鏡に向かって呟いている。まるで白雪姫の継母ままははのよう。気持ち悪いとボクは思った。 獲物を狙うトラの目で、津島君を追う姿はそこになく、モ...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝018 ウィスキーボンボンも、食べすぎに注意しましょう〟

酔っぱらった美少女の隣で、飛川ひかわさんの声が荒れていた。スマホに向かって吠えている。「ばあちゃん! 忍に奈良漬け食べさせたでしょ。どうして、そんなことするのかな。今、こっちは大変なんだから!」 飛川さんのスマホから「ごめんねぇ」の声が漏れている。なんか……おばあちゃん、ごめんなさい。ボクは、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。 スマホを切ると、真っすぐボクを見つめる飛川さん。その顔から、いつもの幼さが抜けている。「忍の両親はね、岡山の人なの。だから、忍は岡山弁が抜けないの。方言が恥ずかしいってね、サヨちゃんと上手く話せなかったの……。忍はね、心を開いた人だけに、本当の自分を見せる子なの。私の知る限...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝017 おいしい奈良漬けは、食べすぎに注意しましょう〟

前の席の広瀬さんは、ミステリアスな美少女だ。ポーカーフェイスで、ほとんど言葉を発しない。 ただ、例外もある。 コソコソと早口で、飛川ひかわさんだけに耳打ちをする。そして、屈託のない笑顔を見せるのだ。このふたり、どんな会話をしているのだろうか? ボクの悪口じゃないことを祈る。「ねぇ、きいちゃん」 後ろの席の飛川さんは、いつもの笑顔で問いかける。「放課後は、真っすぐ帰るの?」「ええ、そのつもりですけれど? 中間テスト期間は、海洋生物研究会もお休みだと聞いていたので……」 まさか……お休みだから、釣りに行こうとは言うまいね?「だったら、うちに寄ってくれる?」 飛川さんの家は学校に近い。行くのは別に構...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝016 七つの海は、女の涙でできている〟

ボクへの誕生日プレゼントを発端に、姉ちゃんの初恋の相手が、桜木さんだと発覚した。でもそれは、ボクの想定の範囲内。うどん県は、日本で最も狭い県である。讃岐の田舎じゃ、あり得ないことでもない。むしろ、その逆。コミュニティは小さい。よくある話だ。「姉ちゃん、それから?」 姉ちゃんの恋バナに、ボクは耳を傾けた。「ウチの高校じゃ、桜木先輩は、神童って呼ばれていたんだ。成績は群を抜いていて、常に学年トップだった。てか、全国模試でも上位だったらしい」 桜木さんは、ボクの目から見てもそんな感じだ。「沈着冷静で、いつも穏やか。そして、あのフェイス。ウチのような隠れファンは多かったと思う。でも、目に見えない壁を感...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝015 見かけで人を判断してはいけません〟

十三本のロウソクの火を吹き消して、誕生日の歌をみんなで歌って、ケーキを切り分けると歓談かんだんタイムが始まった。 鼻の下を伸ばした飛川ひかわさんは、尾辻おつじさんにべったりだ。「いつも主人がお世話になっています。未来の妻の月読つくよです。ほほほほほ……」 お客さんに、微笑みかける飛川さん。隣で終始無言の広瀬さん。そして、お客さんの苦笑い。 ボクにとっては、何もかもが非日常で、実感がまるで湧かない。さしずめ、映画を観ているような感覚だ。ボクはというと、芸能人の記者会見のように、ゆきさんと近藤さんから、鬼のような質問攻めだ。「黄瀬きせ君、彼女とかいる?」「もう、アケミちゃん。そんなのハラスメントに...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝014 誕生会の送迎は、事前に連絡を取りましょう〟

五月七日は、ボクの誕生日である。その前日、ゴールデンウィークの最終日。 お昼のうどんを済ませたボクが、部屋で三島文学を満喫しているのは、偶然ではなく必然だった。飛川ひかわさんの邪魔はない。それを見計らったかのように、ボクのマンションのチャイムが鳴った。「ガクちゃん。広瀬さんって子が、玄関にいるんだけど。それが、とても美人なの……」 予期せぬ美少女の訪問に、ママが驚いたのは語るまでもないのだが……。 何事も、度を越せば恐怖である。ママの複雑な表情が、そのすべてを物語っている。広瀬さんが美少女すぎるのだ。だからママに罪はない。「ボクが話すから大丈夫だよ、ママ」 玄関へ飛び出すと、広瀬さんが立ってい...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝013 女の子の顔に傷がついたら大変です〟

ボクの同情心などつゆ知らず、声を荒げる飛川ひかわさん。「忍、代わって!」 広瀬さんから手際よくスマホを奪うと、飛川さんはテレビ通話に切り替えた。ボクにも会話が丸聞こえだけれど、気にも留めずに話を始める。「ちょっと、桜木君でしょ? 余計なことをしてくれたのは?」 甲高い声で、怒りをスマホにぶつけている。「なんのお話でしょうか?」 こっそりスマホを覗くと、そこには眼鏡をかけた男性が……飛川先生と同じくらいか? どう見ても……ボクが桜木君と呼べる年齢ではない。「ベルトの少女」 ぽつりと呟つぶやく広瀬さん。「あぁ、その件ですかぁ。春休みのうちに、T大の新入生を調査して、手を打ちましたが、何か問題でも?...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝012 体育館裏の正義の味方〟

───ゴールデンウィーク前日。 放課後の体育館裏で、ボクは三人の男子生徒に囲まれていた。辺りを見渡し、ボクは監視カメラを探すのだが……ない!「ようやく会えたね、黄瀬君。監視カメラがないのが残念だ。さぁ、お兄さんたちと遊ぼうよ」 三年生を意味する青いネームプレートに、忌まわしき過去の記憶が蘇る。───林 小五の二学期。ボクを登校拒否にまで追い込んだ、クラスメイトと同じ苗字に背筋が凍る。「三年一組の林です。小学校で弟がお世話になったようで、兄としてはお礼をしないと……でしょ?」 目の前で、不敵な笑みを浮かべる男こそ、ボクをいじめたクラスメイトの兄である。しかも一組、頭もキレる。 体育館裏の倉庫は、...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝011 七月に、人類が滅亡するってホントかな?〟

今ボクは、飛川家のダイニングテーブルの前に座っている。ボクの隣にゆきさんが、ボクの前には飛広コンビが座っている。アウェイでプレイするサッカー選手。その心理が、よく分かる。 飛川先生はキッチンで、アジフライを作っている。飛川家では、女子をお姫さま扱いをする習わしなのか? 先生だけが働いているのが、とても気まずい。 それよりも、ボクは他所さまのお宅に伺うことにも慣れていなくて、なんだかとても居心地が悪い。借りてきた猫のように背中を丸めて、ボクは一点を見つめている。猫の箸置きが……愛らしい。「ど?」 真っすぐな目で、ボクに問う広瀬さん。きっと、今日の感想を訊いているのだ。ボクには、彼女の心が見えてい...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝010 胃袋に魚を入れるまでが釣りだから〟

広瀬さんがこよなく愛する小説家は、広瀬さんの身近な人だった。その衝撃にたゆたう暇を、飛川さんは与えない。 というよりも、さっきから殺気立っている。釣りはもっとこう、のんびりするもの……でもなさそうだ。「きいちゃん、時は来たれり!」 そう言うと、海を指さす飛川さん。飛川さんは、軍人さんか?海面に視線を落とすと、なんだこれは? 魚の群れが、まるで巨大な生物のように海中をうねっている。飛川さんは、これを見越して「潮目がいい」と言ったのか。 慣れた手つきで、飛広コンビが巧みに短い竿を操って、ジャンジャン魚を釣り上げる。これぞ、瀬戸の釣りガールって感じであった。 釣りの仕掛けは単純で、小さな針が五本付い...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝009 海には保護者同伴で行きましょう〟

ベンツを操るおっぱいゾンビが、広い国道から狭い山道へと進路を変えた。ボクらを乗せた赤いベンツだ。 山道に入った途端、車内がシーンと静まり返った。頑なに、ゾンビを否定するボクだとて、この沈黙には並々ならぬ恐怖を感じる。 あの飛川ひかわさんが、ひと言も喋らない……。 ボクは密かに腰を浮かせ、ドアのレバーに指をかけ、逃亡準備に取りかかる。こんなところで、喰われるものか! アップダウンを繰り返した山道の先で、ウインカーを上げ速度を落としたおっぱいゾンビが、小さな駐車場でエンジンを止めた。 船着き場、漁船、堤防……どうやら、目的地は漁港のようだ───人がいる! こんなうれしいことはない。車窓から見える人...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝008 担任教師の落とし方〟

目の前で繰り広げられる、恋愛ドラマをボクは見た。 デートの誘いを直視するなど、最初で最後の見納めだ。その興奮が冷めやらぬうちに、午後の授業が終わってしまう……。 ボクの後ろの席では、五枚の入会届をニヤニヤ見つめる飛川ひかわさん。いかにも悪代官って顔をしている、悪い笑顔だ。 デートをキメた津島君は、その場で入会届にサインした。平岡君は、活動不参加を条件にサインした。 平岡君にサインをさせたのは、他でもなく津島君だ。結局のところ、ボクの出番はどこにもなかった。 午後の休憩時間で、ブログ王が三冊売れた。お客は男子のみである。広瀬さんとお近づきになれる。そのチャンスは、ブログ王だけある。きっと明日から...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝007 広瀬さんの闇バイト〟

後ろの席の飛川ひかわさんが、食事を済ませて席を立つ。「きいちゃん……私。必ず生きて帰るから」 大げさな、死にはしない。職員室でお叱りを受けるだけだ。「飛川さん、御武運を」「うん、月読つくよがんばる!」 大きなリュックを背たろうて、飛川さんは職員室へと旅立った。飛川さんがいない教室は、驚くばかりの静けさだ。 これぞまさしく読書タイム。喜び勇んで〝仮面の告白〟に手を伸ばす。中学生のボクにとって、三島作品は刺激が強い……だが、そこがいい。いただきます。 本に視線を移すや否や、前の席の広瀬さんが、ボクの方へ振り向いた。無言で見つめる眼差しに、ボクは気まずさを感じてしまう。いつ見ても美しい顔だ……。「本...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝006 おっぱいゾンビ〟

四月も半ばを過ぎた頃。飛川ひかわさんが事件を起こした。「ねぇ、きいちゃん」 後ろの席の飛川さんは、いつも笑顔で問いかける。「ゾンビの知り合いっている?」 満面の笑みを浮かべる飛川さん。勉強のしすぎで壊れたか?「そうですね、今のところ……いませんね」 ボクは冷静に対処する。「私、ひとりだけいるの。ゾンビの知り合い」「そ……そうなんですね」 重症だ、後で保健室の先生に相談しよう。カウンセリングが必要だ。「あれれぇ。きいちゃん、反応が薄いのね」 この場合「ぎょえぇぇぇ!」っと叫べばよかったのか?「ゆきちゃんって名前なの」 新キャラのお出ましだ。一時間目のチャイムまで五分ある……少し遊んであげるとしよ...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝005 こいつはダメだ〟

明光めいこう中学に入学してから早いもので、一週間が過ぎ去った。ボクは相変わらずのボッチだけれど、イジメなき世界は素晴らしい。「ねぇ、きいちゃん」 後ろの席の飛川ひかわさんは、いつも笑顔で問いかける。「きいちゃんは、小説を書かないの?」 教えてあげよう、飛川さん。小説家は、ハイリスクでローリターン。割に合わない職業なのだ。断言しよう。『オモロない』のひと言で、ボクの心は闇落ちすると……二発も喰らえば息絶える。「ボクには、そんな才能ないですからね。やっぱり、作家先生のサポートがしたいかな……」 飛川さんは残念そうな顔をするのだけれど、ボクにはボクの道がある。「小説を読むの───そんなに好きなら、何...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝004 先駆者、飛川月読〟

後ろの席の飛川ひかわさんは変わり者だ。その表現に問題があるのなら、先駆者せんくしゃと言い換えてもいいだろう。パイオニアだ。「きいちゃん、おはよう」 学校の下駄箱の前。甲高い声で、朝のあいさつをする飛川さん。「飛川さん、おはようございます……げっ!」 制服のスカートの下に体育のジャージをはいている。これって……セーフなの? 教室に向かって並んで歩くと、飛川さんが歩を進める度に、パカパカと上履きが音を出す。 飛川さんの制服姿は、上着の袖は指先まで覆い、スカートは膝小僧をすっぽりと隠す。上から下までブカブカだ。これもまた、小柄な飛川さんの成長を見越してのことであろうけれど……。 ボクは飛川さんの服装...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝003 便所飯の脅威は去った〟

平岡修斗ひらおかしゅうと君からの助け舟で、便所飯の脅威は免れた。平岡君に吸い込まれるように、ボクは彼の席へと移動する。「まぁ、黄瀬きせ君。ここに座んなよ。にしても、すげぇ~のな。飛川月読ひかわつくよだっけ? 夢が花嫁って、ピュアの申し子って感じだな。それとも、ウケ狙いかな? でも、あの子……どっかで見た気がするんだけどなぁ。思い出せないのがモヤモヤする」 平岡君が首をひねる。飛川さんの容姿に、ボクも同じことを感じていた。彼女は、芸能人や有名人の誰かに似ているのだろうか? そう言われたら……誰かに似ている。「そんなことより、飯だ、飯」 制服の上からもうっすら分かる筋肉が、彼の自信の源なのだろう。...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝002 学級委員長は瀬戸の花嫁〟

これから学級委員長の発表だというのに、飛川ひかわさんはネームプレート磨きに精を出し、広瀬さんは時が停止したように、ぴくりとも動かない。 我が明光中学は、ひとクラス三十名の三組編成で、受験テストの順位で振り分けられる。上位の三十名は、ボクが所属する一組だ。そして、新入生が慣れていない今回に限り、入学試験の成績トップが学級委員長に任命される。副委員長は二番手である。スクールカースト……いやだ、イヤだ、嫌だ……。そんなものになりたくない。 ボクは図書委員になると決めていた。夏は冷房、冬は暖房。設備環境が整う図書室で、ボクは三島文学を満喫するのだ。図書委員の肩書きさえ手にすれば、誰にも邪魔されることは...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝001 悪しき習わし自己紹介〟

001 悪しき習わし自己紹介 あがり症のボクにとって、自己紹介とは学校の悪しき習わしだ。刹那にボクの顔面が、血の赤に染まるのが分かる……ドクドクと心臓が波打って、焼けるように顔が熱い。ボクの後ろの席から伝わる、背中の振動と相まって、生き地獄とはこのことだ。早くお家に帰りたい。ボクの気持ちなどつゆ知らず、己の才能と知識を見せびらかすように、クラスメイトの自分語りが始まった。こんなの、自己紹介という名の自慢大会じゃないか! 承認欲求の塊に、ボクの叫びは届かない……憂鬱だ。 ボクが通う明光中学は、県下有数の進学校である。中学生といえどもプライドは高く、夢のスケールもかなり大きい。医者、学者、官僚、弁...
小説始めました

後ろの席の飛川さん〝000 ネームプレートの都市伝説〟

000 ネームプレートの都市伝説 卒業式の日。ネームプレートを交換したカップルは、将来必ず結ばれる─── 登校初日。小耳に挟んだ情報では、ネームプレートの争奪戦が、今年も盛大に繰り広げられたらしい。ふふふ……ぬるいな。実にぬるい。机上に彫られた謎の窪み。ボクはそれを見つめてほくそ笑む。 だって、そうだろ? 友だちいない歴、十三年目のボクである。この学校の誰よりも、現実の辛さを知っている。小学時代は給食だった。だから便所飯の経験こそないけれど、イジメの辛さは体験済みだ。それに、不登校……引きこもりの日々だって。 引きこもり生活で出会った文豪たち。三島も太宰も、苦悩ばかりの小説じゃないか。太宰の名...