明晰夢

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明晰夢(芥川)

放課後。  図書室で〝金閣寺〟を探していると、誰かが俺の背中をドスンと叩いた。呼吸を荒げたゴジラのような剣幕で、美藤が顔を近づける。この女……わけわからん。 「キューブぅ~! なんで勝手に教室を出たのよ! 探したでしょ? 約束したでしょ? 読書部を作ろうって! やる気がないなら返しなさいよ、イチゴ牛乳! ホント、これだから───男は信用できないつーの!」  お前、令和ならハラスメントな発言だぜ? 初夏の風吹く学び舎で、白昼夢でも見たのだろう。こりゃ、一足早い中二病だな……部員になると承諾した覚えはないのだが? 「オッケーした記憶はないし、イチゴ牛乳も返せない。俺がいつ、そんな約束した?」  俺...
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明晰夢(読書部)

一夜にして……という言葉がある。それが今朝の俺だった。教室に入った途端、俺に向けられた熱視線に歩みが止まる。ミュージシャンでもなく、アイドルでもなく、漫才師でもなく……言うなれば、ユリ・ゲラー(超能力者)でも見るような、好奇心たっぷりの眼差しだ───おい、そこの委員長。どうして俺に向かってルービック・キューブを振っている?  俺の隣のピンクメガネが、してやったりの顔をする。お前か? お前なんだな? 俺と本屋で別れた後。塾で六面揃ったルービック・キューブをひけらかしたか? 六面完成……俺の中学では、初の快挙。じっくりと一晩寝かせた噂に、尾びれ背びれがくっ付いて、登校中に広まった……と、いうことか...
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明晰夢(勇者の覚醒)

───しまった!  本屋で手にした金閣寺(三島由紀夫)。レジ前で、それを買えない俺がいた。財布に10円玉が10枚しか入っていない……もう、最悪だ。頭を垂れたレジ前で、俺の右肩を誰かが叩く。若き体は感度良好! 首が右に向かって反応すると、ホッペに誰かの指が食い込んだ……痛い! その指が、ホッペの中でグイグイ動く───マジ、痛てぇ! 「こんな手に引っかかるなんて……まだまだ子どもね、ルービック師匠。この本、貸してあげるから。ルービック・キューブのやり方、教えてね」  クスクスと笑いながら、美藤夏夜びとうかよが俺の後ろに立っている。 「そうそう。これを貸してあげようかと思って、戻ってきちゃった」  ...
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明晰夢(ルービック師匠)

三度の人生を経験した女。キタゾエが俺に手を差し伸べる。その手には、日本の未来を変える道があった。しかし、俺にはやるべきことがある。ひとりの女の死を看取りたい。だから俺は、キタゾエが差し伸べた手をためらった。 「どうしたんだい? ウチじゃ不服かい?」  キタゾエが不満げに言う。 「そうじゃないんだ……そうじゃなくって……」  キタゾエの考えには賛同している。令和から昭和へ戻れば、誰もが賛同するだろう。若き肉体は無敵で、それを操る脳は無限の可能性を秘めている。でも、俺にはそれができなかった。 「悪いな……キタゾエ。俺、どうしても会いたい人がいるんだ。その人の命が尽きるまで、その人の側にいたいんだわ...
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明晰夢(東京都知事)

───東京都知事だって?  キタゾエは確かにそう言った。だがそれは、決して容易な道ではない。たとえ、未来を知っているとしても……茨の道だ。一度目の人生で、彼女に何があったのか? 俺はそこが気になり始めた。 「お前の一度目に何があった?」  当然の質問だ。 「アンタにだって、分かってんだろ? この先、どんな未来がやってくるのか。ウチは思ったんよ……どんなに足掻いたところで、ロクな未来なんてありゃしない。だったら、ウチが変えるしかないじゃないか!」  なんか、お前……男前だな?  その考えには一理ある。少なくともバブル以降、日本の名声は落ちぶれた。私利私欲にまみれた政治屋と拝金主義の民衆が、こぞっ...
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明晰夢(四度目)

───リピーター?  それは、人生のリピーターという意味なのか? キタゾエ……お前、もしかして……。人生を繰り返す、ひとりぼっちの無理ゲーを、共に歩む仲間がお前か? 「どういう意味だ? そんな怖い顔すんなよ、キタゾエ。俺がクレイマーじゃないのは確かだが……」  もしかして……その思考が働くけれど、そのとおりだとは限らない。今は黙るが吉である。キタゾエの問いに、俺はとぼけた。 「隠さなくても大丈夫よ」  そう言うと、キタゾエはタバコの煙で輪っかを作った。上手いもんだな……大きく広がりながら浮かぶ輪っかを、俺はぼんやり見つめていた。 「何歳から戻った? ウチは還暦になる少し前だった……最初はね。め...
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明晰夢(リピーター)

「今日の帰りどうする? 本屋に寄る?」  教室の掃除当番をしながら、足立あだちが俺に声をかけた。いつでもチャンバラ遊びができるよう、足立は箒ほうきを持っている。俺たちは学校帰りに本屋に寄ったり、駄菓子屋に寄ったり、スーパーの屋上に寄ったりと、真っ直ぐ帰宅することをしなかった。だって毎日、新たな発見があるからだ。いつだって、新たな発見がそこにはあった。 「今日は、用事があっから帰るわ」  あのキタゾエに呼び出しを食らった俺である。それなのに、俺はキタゾエのことをあまり知らない。そこへ足立を連れてはいけない。もしかしたら……上級生に囲まれて、ボコられる可能性だって否めない。リンチなど、俺の中学で珍...
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明晰夢(昭和)

二度目の人生、最初の朝。  俺は自転車の前で絶句した。そうだった、そうだった。この自転車は……確かに僕のだ。 「かーっ! これで学校に行けってか?」  六段変速の黒いボディ。ダブルヘッドライト、テールランプ、ブレーキランプ、方向指示機まで完全装備。そう言えば聞こえもいい。だがこれは、スーパーカー自転車(ジュニア自転車)なのである。隣に佇たたずむ弟の自転車は、ランボルギーニ・カウンタックをイメージしたタイプ。ボタンを押すと隠れたライトがギュイーンと上がるタイプである。 「記憶からは薄くなったが、これはもう……デコデコのデコチャリだな」  これでも中身は還暦かんれき前。このデコチャリで中学へ行くか...
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明晰夢(序)

あの頃に戻れたら……  これが還暦ブルーというものか? 六十歳を前にして過去の記憶が蘇る。大人の記憶は曖昧で、幼い記憶は鮮明だ。認知症になると自分を若く思い込む。それが理解できる年になった。受け入れたというべきか……。  人生を振り返る夜。それは、誰にでもあるのだろう。あの頃に戻れたら……いや、もう人間なんて一度で十分。俺は人生を諦めていた。後は年老いて死ぬだけだ。  そんな俺にも、ひと目会いたい人がいた。数年前、彼女は先に旅立った。だから、あっちで会おうと心に決めた。言えずに終わった言葉があった。  とはいえ、俺の健康ばかり気遣った女である。何よりも、俺の長寿を願った女である。おいそれと死ぬ...