昭和

雑談

潮だまりの化け物

小学生時代。僕には、釣りエサを買った記憶がまるでない。 1970年代。オトンを含めた大人たちは、マムシとか、ゴカイだとか……財力に物を言わせ、釣具屋でエサを買っていたのだが、そんなの海に行けばナンボでも落ちていた。お金を出して、これ買うか? それがとても不思議だった。ちなみにマムシは、毒ヘビではなくて、平べったいミミズのような生き物だ。ゴカイは、青いミミズのような姿をしている。そのどちらの姿も気持ち悪い。「これ(マムシ)、いくら?」 それとなく、知ってるオッサンにエサの値段を訊いたことがある。正確な価格は忘れたけれど、そんなの、プラッシーがナンボでも買えるやないか! 幼心に殺意を覚える金額だっ...
雑談

1979年の大みそかは、日本全国酒飲み音頭

僕にとって、思い出というか、印象に残っている大みそかの夜がある。それが、1979年の大みそかだった。僕個人としては、小学生最後の大みそかでもある。だから、より印象に残っているのかもしれなくて、今日もサヨリは元気です(笑) 僕の中学入学を機に、我が家はド田舎から引っ越した。新しい家は、歩いてスーパーに行ける場所にある。ちょっと聞いてもらっていいですか? 歩いてスーパーって、凄くね? もうこれは……都会と呼んでもいいっすか?  とっぷりと日が暮れた大みそか。たぶん、ドラえもんを見ていた僕は、オトンに連れられスーパーへ買い物に行った。夜の信号機が珍しい。自動車のヘッドライトさえもが煌めいて見えた。 ...
雑記・覚書き

竜とレディーボーデンと凧の話

───2022年、去年の寅とら年。 大空に浮かんだ雲に竜の姿を僕は見た。 それは、自家菜園を始めた初日の話。それを皮切りに、友人との距離が大きく縮んだ。友人は、僕のブログの読者であった。僕と友人との距離を縮めたのは、竜ではなくて畑の方。偶々偶然、友人が自家菜園をしていたのだ。その知識とキャリアは、プロの域に達していた。否、野菜の研究者と呼ぶべきか? 突然、始めた自家菜園。それに友人は、少し興奮気味だった。コロナ禍、桃畑、オカンの怪我……偶然の要素が重なって、畑に着手した僕だって驚きが隠せなかった。……こんなことって、ある? スタートが遅れた菜園で、トウモロコシの実を収穫する頃。突如、友人から小...
雑記・覚書き

【昭和の】三越大蝋人形展【想ひ出】

巨大な水車がそこにあった。 水車をタイヤに例えるのなら、タイヤとアスファルトとの接地面。水車に水を当てる部分。その面に沿って海老反り姿勢。両手両足に打ち付けられた太い釘。回転している痩せこけたオッサン。それが昭和の三越大蝋人形ろうにんぎょう展、クライマックスの展示物であった。 こどもの頃。まぁ、昭和の話だけれど。三越は特別な場所であった。春休み、夏休み、冬休み。何かしらのイベントが五階だか六階で繰り広げられていた。大昆虫展、大恐竜展、大アマゾン展…。必ずと言ってよいほど『大』という冠が添えられてる。その、どれもこれもが魅力的に見えた。 三越の夏は特別で、テレビの告知CMが頻繁に流される。真冬の...
雑記・覚書き

【昭和】スプライトの想い出【1リットル瓶】

市の総体だか、県の総体だか、記憶が定かではないのだけれど、競技の真っ最中に見慣れた顔が立っていた。──こんなところで、何やってんの? 時代は、金八先生第二シーズンの頃である。別の中学に制服姿で凸するなんてどうかしている。 まぁ、あちらさんは女子高生。中坊なんて関係ないか……。きっと、彼氏とでも来ているのだろうな。こいつはモテモテ美少女だから、単独行動など考えられなくて、今日もサヨリは元気です(笑) どの男を連れてきた? そんな事を思いながら、僕は横目でチラ見すると、こっちに向かってめっちゃ手を振っている……馬鹿なの? それともお姉さん気取りなの? こちとら競技の真っ最中だし、野球とかサッカーと...
エンタメ・テレビ

Gメン75はやっぱり〝面影(おもかげ)〟

土曜の夜ドラと言えば、みなさんは何が思い浮かぶのだろう? 金田一少年? 銀狼? フードファイト? 同情するなら金をくれ? ネットなきテレビ時代なら、このあたりになるのだろうか? 僕はと言えば、さらに時代が遡って〝Gメン75〟だけは外せない。ちょうど、小学低学年の頃、Gメンはドリフの後、天気予報、カールのCM、そしてチェルシーのCMを通過してから始まる刑事ドラマであった。 とは言え、小学生である。ドラマの内容など記憶に薄い。親が見ていたから見ていたのだろう。オープニングとエンディングに流された映像が、今思えば神がかっていた。だってそうでしょう? ただ、滑走路(たぶん)を歩いているだけなのに、何故...
エンタメ・テレビ

九月六日は、松崎しげるの日。

気弱なトミーとの掛け合いが面白くて、水曜日の午後八時になると、テレビのチャンネルをTBSに合わせて、今日もサヨリは元気です。これが分かるアナタ、そりゃもう、お友達です(笑)
エンタメ・テレビ

木綿のハンカチーフと島田紳助

野球放送が中止の日。つまり、球場が雨の夜。その時間帯に差し替えられるのが電リク番組であった。冬期のシーズンオフ時。ゴールデンタイムの時間帯のラジオ番組は電リクだらけになった。ネットも、ゲームも、娯楽無き、小学生にはウハウハで、今日もサヨリは元気です。
雑記・覚書き

覚えていますか?、起京堂

1970年代、インベーダーゲームが日本を包んだ少し前。琴電瓦町駅から2つの横断歩道を渡ると、そこがアーケード街の入り口である。時は高度成長期、いつだって南新町アーケードの中は芋を洗うような活気があった。店も、照明も、看板さえもが輝いてみえた。
ぐるめ・試食

ドンドン餃子とは何か?

伏石のマルナカの手前にある小汚い店。これ、酔っぱらいのオッサン行きつけの立ち飲み酒屋というやつじゃやね?、ドンドンって何だよ?。そんな感じ。友人に押し込まれるように入店すると、そこに広がる今日から俺は!!。リーゼント、パンチパーマ、紫のマスク...学ラン軍団チャハーン喰ってる。こえーよぉ〜、めっちゃ見てる...無料と危険は隣り合わせ。虹の橋が薄っすら見えた。
雑記・覚書き

初めてファックスが訪れた日

ファックス襲来から数日後、ファックスの前で社長が頭をひねっていた。新品なのに壊れたの?。まぁ、当時で言えばファックスは超高級精密機械である。ちょっとした事でも壊れそう。恐れ多くてファックスになど近寄りも出来なかった。高校生が気安く触って良いものじゃない。
雑記・覚書き

若い頃なら24時間熟睡した事だってあるよね?

己が存在する時間軸が分からない。今はいつ?、時の迷子、一種の錯乱状態。ガシャっと部屋のドアを開いて階段を駆け下りる。そうだよな、あの頃は急な階段でも駆け下りていたよな。転ぶ気すら起こらない。「40年後は無理だよ」そう、過去の自分に教えてやりたい。ドタバタと階段を駆け降りるとそこがリビング。ドアを開いて我が家に1台しか無いテレビの向こう。そこはやっぱりサザエさん。何故、サザエ...。混乱の極みであった。
雑記・覚書き

コノシロの魚群キタ!!!

誰かの声。そこを目掛けて条件反射で突き進む。そこに脳が付け入る隙など無かった。森羅万象、無我の境地。本能だけが僕らの体を支配した。小3ひとりが入れるスペースに、数人のガキが頭を突っ込と異彩を放ついつもの海があった。
Kindle・書籍

病院で 母の診察待つ時間 こんなところにサラダ記念日

だから手に取りさらりと読んだ。歌集ならではの読み易さある。7月6日が登場するのは125ページ目。消しゴム1個80円、サザンはすでにひとつのジャンル、お土産には讃岐うどん。この感じ、この感じ。当時の空気を脳で味わう。女性ならば尚更であろう。予想に反してあとがきまで読み干せた。
雑記・覚書き

屋島山上でクリスマスイベントとかしないの?

クリスマス。それは奇跡が起きる日、何でもありです。ある者は街に出向き、ある者は仲間と集い、ある者は家族と団欒、ボッチにだって何が起こるか分からない。ワンチャンの可能性だってゼロじゃ無い。
エンタメ・テレビ

初めての深夜ラジオは明石家さんまのヤンタン土曜日(1979)

これが深夜放送というやつ?、なんかドキドキする、知らんけど。ヤングタウンは関西圏の人なら誰もが知ってる人気番組。スピーカーの向こうでは、お兄さん、お姉さんらが集まってガヤガヤやってる雰囲気だった。僕の知らない世界が開いた。30分後、別の世界が開く事も知らずに…。
エンタメ・テレビ

令和の時代に昭和の「ど根性ガエル」が再放送?

小学生時代、夕方枠の再放送で何度も見たど根性ガエルである。それは「奥様は魔女」や「トムとジェリー」と同レベルで何度も再放送が繰り返された。朝の再放送は「カリメロ」とか「レッドビッキーズ」が多かったかな?、後者はもちろん、若き日の林寛子の方である。咄嗟に僕は、リモコンの画面表示ボタンを押した。
インターネット・SNS・ブログ

サムライマックが執筆料?

振り返るとマックの袋が揺れていた。否、回転してると言うべきか。ぐるぐると時計回りに回っている。袋の中身はサムライマック、炙り醤油風ベーコントマト厚肉ビーフの方だった。
エンタメ・テレビ

花山大吉と白黒の夢

焼津の半次は男前である。大きな目、筋の通った鼻、紛れもなく美男子である。当時の時代劇なら主演でもおかしくない面構え。それが顔芸しているのだ。時代劇よりも焼津の半次が気になって1話と2話を視聴した。
雑記・覚書き

子供の頃、亀は道で拾うものだった

山で拾ったのか、海で拾ったのか、隣の家から持ってきたのか、そもそも納屋にあったのか。それは忘れてしまったのだけれど、庭の隅っこのツボに水を入れて、せっせと亀を拾ってはツボの中に入れていた。