少なくとも一年前まで、僕にとってユーザー辞書は資産であり宝物だった。
数年前の記事に目を通すと、やたらとユーザー辞書に関しての記事が多く見られる。勿論、僕のブログの話だ。ユーザー辞書の目的は時短にあった。ブログに使う語彙を検索すれば(サイト内検索で容易に可能)、その理由は歴然だ。
───同じような語句が多いこと(汗)
これがそのまま理由となる。効率よく記事を書くのに、ユーザー辞書が手っ取り早かったからだ。同じ言葉で構成しているのだから、打ち込む文字が一文字でも減れば、それだけ短時間で記事が書ける。記憶させた文字には誤字脱字の心配もない。そして僕自身、人生の中で最も不得手なのが作文である。語彙の少なさと文章の下手さ。それは、決定的で絶望的なウイークポイント。どうしたって辞書に頼ってしまうのは、力無き者にとって当然の策である。
つまり、僕のユーザー辞書の中身には、単語ではなく文そのものを記憶させている。その恩恵は大きく、代償も大きかった。自分の作り上げたユーザー辞書が消失したら?……そう考えるだけで、恐怖を覚えるほどである。僕の心のより所は、紛れもなく長年育てたユーザー辞書に他ならない。
とはいえ、小説を書き始めると語彙の数も多くなる。レベチと言ってもよいくらいだ。目新しい言葉を使うたびに、ユーザー辞書に登録する。だって、そうでしょ? 枯れた脳は覚えちゃくれねぇ。そこは、阿呆の戦略だと割り切っている。使えるものは全て使う。その手段は間違いではなくて、今日もサヨリは元気です(笑)
そんな宝物の出番が、すっかり見られなってゆく。辞書を活用するのは、小説の登場人物の名前と、メアドとブログアドレス程度に留まった。のん(ブログ王のヒロイン)には、ニックネーム(のん)に加えて、本名の早川花音と、ペンネームの旅乃琴里。その三つの名前が存在する。飛川三縁は、仲間たちからサヨちゃんと呼ばれていたり、オッツーには、尾辻正義という本名がある。
ブログ王だけならそうでもない。けれども現状、三つのストーリーが同時進行で動き始めると、咄嗟に名前が出ないこともある。君の名は? たとえるのなら、盆正月。おじいちゃんちに遊びに行くと───ほら……お前の名前は、なんだっけ? 間違って名前を呼ばれた経験を持つ読書もいるだろう。半世紀ほど前、僕もそんな体験をしたことがある。
時の流れの恐ろしさよ……その現象が僕の中でも起こるのだ。そして裏では、更にふたつの物語が進行中だ。どうしたって無理が生じる。だからコツコツと、キャラクターに関する情報をユーザー辞書に記憶させる。もっと、僕の頭がよければ……とはいえ、時すでに遅し。自然の摂理(老い)には抗えない。だからそれは、思うまい。
そんなユーザー辞書の出番が激減した背景には、一年間の積み重ねがあるのだろう。他でもない、読書である。相棒からの本に加えて、メジャーな小説を読み始めると、まぁ、世の中には知らない言葉があるわけで。それはソシャゲーガチャで、レアカードを引いたようなものである。このキラカード、何処かで使えるのに違いない。そう思いながらノートに残す。
今週から読み始めた文豪たちの語彙は、これでもかと多種多彩だ。それを巧みに使い分ける。その文章には華があり、軽快で、美しく、読めない文字さえ読める不思議。たぶん、文脈と漢字の雰囲気で読んだ気になるのだろう。どこを切り取ってもキレッキレだ。さらに脳内で、初めて文章がビジュアル化された。すると、物語の解像度が高くなる。すげーな、文豪! そう思えるのも、これまで読んだ書籍のおかげ。いきなり文豪と遭遇したとて、ここまでの衝撃はなかったはずだ。書くことをしなければ、ここまで凹むことも決してない。
太宰がぁ~とか、三島がぁ~とか。学生時代、教室で語らう同級生との会話を思い出す。そのインテリっぷりがいけ好かなくて、余計に文豪との距離を取ったのだが、その真意が理解できた途端、書くことに恐怖を覚え、書くことが身の丈に合わない気にもなる……心の奥底から吹き出す震えは、初めて巨像を見たアリのようであった。こてんぱんとは、このことだ。
太宰で筆が折られ、三島で指の骨が粉砕され、生爪を剥がされ、ノートの文字が血の赤に染まり、自分が取るに足らない人間に思え、絶望に打ちのめされる。もう……小説書くの、やめよっか。そこまで心が落ち込んだ───怖えーわ! 文豪。
とはいえ、こっちにはこっちの事情がある。一瞬であろうとも、笑わせたい人がいる。たとえ指の骨が砕け散ろうと、その程度ならかすり傷。心までも折られやしない。ルパンの如く、いただけるものは、いただく所存でございます───そいうことだよ。な、相棒(笑)
まぁ、この話は置いといて。言葉のみに着目すれば〝へぇ~(驚き)〟とか〝はぁ~(ため息)〟の連続だ。転がること、寝返りを打つことを〝輾転〟と書くらしい。これは、人間失格(太宰治)で見つけた熟語だ。なんだかそれが気に入ってちゃって……字面と音韻がいいんだわぁ~。そんな語彙が、僕のノートの中に幾つもある。
これらの語彙を現代に使えるのかどうか? それは僕には分からない。そこはしれっと使ってみながら、相棒の判断を仰ぐことにしよう。「ダメです」と言われたら、鼻水たらして泣くのだけれど、泣いた思いは記憶に残る。心に燻ってる語彙ならば、いつかはクラウンくらい、使ってみたくなるものだ……隙を見ては平然と、しれっと、さらっと、何度でも。僕は何処かで再チャレンジするのだろう。
というわけで、辞書に登録した語彙の数々。それが、セピア色に色あせて見えると、自然とユーザー辞書に頼らなくなっていた。これを進化と捉えるか、自己満足と呼ぶかは別として、本を読む時間を強引に作る行為。それは、僕なりの進歩だと思う……文豪は、読めば読むほど凹むけど(汗)
コメント
ほんとにさー
太宰とか、芥川龍之介とか読むと
凹む。
そうそう、マジで凹む(汗)