「ホ〜ラ見ろ、オジさんのいうこときかないからぁ⤴︎。なっ?オジさんの言うことは大体正しいんだよ。オジさんの80%は正しさでできていまぁ〜す」by 松平片栗虎
アニメ銀魂42話「みみずにおしっこかけると腫れるよ」より引用
恋愛、仕事、結婚、健康…。人生の先駆者達の助言は大体正しい。それが身に染みた頃、僕らも良い感じのオジさんに仕上がっていた。時計の針を逆に回せるのなら回したい。是非とも全力で262,800時間ほど回してみたい。江戸時代へ行ってみたいとか、卑弥呼と会いたい、恐竜と触れ合いたい…。そんな無茶振りなどするつもりなど毛頭無い。たったの30年ほどの話だ。で、諸先輩方から噂に聞いていた五十肩になりました。あ、初めてまして、五十肩さん。お会い出来てだいぶ感動です。お手柔らかに…。
「五十肩が完治するまで」と書いて地獄と読みます
先ずは結論から。肩の稼働範囲が戻るまで約半年の時間を要した。左腕が上がらない、筋トレも出来ない、肉体労働もおぼつかない。そんな180日の間に育ったのはお腹の脂肪。狭まる活動範囲に反して広がるウエスト。そんなの要らね。
肩が痛くて上がらない状態が五十肩。だったら四十代は四十肩?。人生初のギックリ腰(椎間板ヘルニア)の洗礼を受けた三十代。病院のベットの上から天井を見ながらそんな事を考えていた。それを皮切りにオジさん達の予言がぞくぞくと具現化。ノストラダムスやジュセリーノを遥かに凌ぐ的中率。終わりの始まり、君と世界が終わる日に。そして迎えた初めての五十肩。こりゃ、たまらん。愛猫サヨリの夏の換毛期が始まるケセランパサランの季節の出来事。
「痛てっ!」その刻は、突然に、予告なく、容赦なく訪れた。悲鳴をあげる左肩の関節。肩の奥底からの切られるような鋭い痛み。持病のヘルニアに近い神経細胞へのダイレクトアタックに目が覚める。これ、骨ナントカって悪い病気じゃないのか…。俺…死ぬの…。来年の花は咲かないかも知れない。翌日、その予感は見事に外れる。
五十肩。それは毎度お馴染み肩凝りのパワーアップ版という認識しか無かった。この痛みはそれとは別格。もっとオジさんの助言を聞いておくべきだったが既に手遅れ。取り敢えず整形外科へ行くと「ハハハハハ、五十肩ですね。お大事に」どうやら死ぬ事は無いらしい。ハハハハハ…。先生、そこで笑うんだ。
五十肩は肩関節の炎症が原因。従って安静を強いられる。がしかし、根本的な原因は運動不足。安静しながらもストレッチをしなければ肩の筋肉が硬直する。寝ながら働け!。そういう事か。
「そっか、左手でふくんだ…」それからが大変で、左手が上がらない不便さ。どれくらい上がらないのかと言うと、夏休みのラジオ体操。両手を横に広げてお友達と間隔を取るでしょ?。その姿勢から左手だけが上がらない。何もしなければ痛みは無い。条件反射が働いた一瞬に牙をむくのが五十肩。トイレットペーパーが左側に配置される意味を激痛で理解し涙した。
着衣、脱衣、食事、うんち…。五十肩の呪いは広範囲に及ぶ。風呂で背中を洗うのにも人苦労。ロングタオルを使わないと腕が回らず洗えない。中には両腕とも五十肩になるケースもあるらしく、ほぼほぼ人生終わった感が否めない。「痛ててててててててててて」上着を脱ぐ順番を違える度に、僕は北斗百裂拳のような雄叫びをあげた。周りの失笑が心の秘孔を貫いた。あべし!。
転機が訪れたのは三ヶ月後。季節は移り空には大きな入道雲。ちょっとだけ肩の可動域が広がった。着衣も脱衣も楽になった。右手で左腕を上げると随分と上がるようになった。継続は力なりと言うけれど、毎日、ストレッチを続けた甲斐があった。日常生活に不便さを感じなくなった頃。サヨリの冬の換毛期が始まった。
「あ〜、清々しい朝。気持ちいい〜」そんなのは健康なんかじゃ無い。違う別の病気だ。健康とは何も感じない状態。肩の違和感が抜け切った頃の記憶なんてあるわけない。覚えているのは、モフモフ冬毛のサヨリだけ。
何が言いたいのかと言うと、考えたら人生ってオッさんになってからの方が長いじゃねーか!怖っ!。
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