飼い猫信長と野良猫家康(裏切り者)

ショート・ショート
猫の話
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───裏切り者……信長の心は怒りに震えていた。

 屋根の上、仲睦まじく語らう猫。それは紛れもなく家康とケイテイの姿であった───それを目撃した信長は、怒りで身も心も震えていた。ジジイのくせして、お前は孫ほど若い女に手を出すのか? なぁ、家康。そうなんだな? お前、生粋のロリコンなんだな! 初めて外の世界で信頼した男の裏切りに世界のすべてが歪んで見えた。歪みのはてに信長は誓う。俺の殺すリスト。最初に書く名は〝家康〟であると……。

「じゃ、またね♡」

「せやな……お前も、頑張れや」

 ケイテイが屋根から降りるや否や、信長は家康に駆け寄った。

「裏切り者ぉぉぉぉぉ!!!!」

 やんのかステップで威嚇いかくする茶トラ猫を、キョトンと見つめるキジトラ猫。ユーチューバーならメシウマな展開が、今まさに繰り広げられようとしていた。これはもう「ドローンを飛ばせ!」のタイミングである。

「なんとか言えっ! 家康!」

 状況を把握できない家康は、面倒くさそうな声を出す。

「何を息巻いているんじゃ、秀吉!」

「信長じゃ! からかってんのか? いつもいつも、俺のこと!」

 家康は信長の怒りにガソリンをぶちまけた。やってやる、やってやるぞっ! 信長は姿勢を低く構えている。幾度も修羅場を潜り抜けた家康は、それにまったく動じない。

「なんやお前。このクソ暑いのに熱くなるな。こっちの方まで暑くなる。うーん……ふぁ~」

 初夏の日差しを受けながら、家康は後ろ足で耳の裏を掻き始め、口を大きく広げて欠伸あくびする。欠けた犬歯が、野良猫の生き様を物語っていた。

「お前。ケイテイちゃんと、どんな関係や?! さっきまで、何を話してた? 俺……俺が……ケイテイちゃんは……俺の嫁になる女やぞ! な……そうだろうぉぉぉ!!!」

 女を取られた悲しみに、友を失くした悲しみに、信長は泣いていた……猫だけにドラ泣きだった。

「だから?」

 だから? その意味を信長は知っている。知ってるぞ、それ。人間の女が使う武器やろ? ご主人様が、偶にママに言われるヤツだ。男に使う言葉のやいばや。そうなんか? そうなんやな? 俺のことを嘲笑あざわらいながら、今まで俺の話を聞いていんだな? こうなったら───戦争や!

「死にさらせぇ~、老いぼれぇ~」

 信長は家康に襲いかかったのだが、家康はひょいと信長の攻撃をかわす。何度も襲いかかろうと、信長は家康に触れることすらできなかった。信長と家康との戦闘力の差は歴然だった。その証拠に、最初の位置から、家康はほとんど動いていないのだ。信長の動きを瞬時に見切り、家康は最小限の動きで信長の攻撃を避けている。これが、温室と野生の差。二匹の経験値と格闘センスはレベチであった。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 さっきまでの勢いはどこへやら。信長は息を切らせている。

「まぁ……ボンボンの割には頑張った方かな?」

 そう言うと、家康はゆっくりと前足を畳んで香箱を作った。猫の香箱姿勢は、リラックスと同時に戦闘態勢の意味も持つ。信長の敗北は火を見るよりも明らかだった。

「家……康……はぁ、はぁ、はぁ……殺す、必ず殺す」

 ヤンチャ盛りの若猫は諦めない。

「秀吉は青いのう……青い、青い」

 老猫が鼻で笑う。

「何度でも言う、俺は信長じゃ!」

 もはや、カンフー映画のワンシーンである。これから秘拳伝授に進むと思いきや、家康は信長の息の根を止めようとしていた。てか、止めた。

「ケイテイは、ワシの娘じゃけど。何か?」

 家康の告白に、信長の時が止まる。

「……え?」

「ケイテイはワシの娘じゃ」

「なんで、言わなかった!」

 信長の問いは当然だ。

「お前が訊かなかったからじゃけど?」

 家康の返事も当然だった。

 怒りの矛先を失った信長は、大きな欠伸をしながら空を見た。それは猫の気分転換。自分が原因で気まずい雰囲気になったとき、よく見かける猫の仕草。これで、信長の気持ちがリセットされた。彼の中では、すべてがゼロへと帰結した。

「なぁ、家康ぅ~……」

 信長は、いつもの調子で話しかける。

「なんや、秀吉」

 家康も、いつもの調子で返事した。ただ、いつもと違うのは、秀吉の響きに、信長がツッコまなかったことである。すべてを受け止め信長は問う。

「これからは、お前を〝パパ〟と呼んでもいいですか?」

 信長の問いに、家康は何も答えなかった。カラスの鳴き声が聞こえたら、ご主人様が帰ってくる。それまで、信長は家康の隣に座っていた。もうすぐ瀬戸の海に日が沈む。屋根の上、無言で座る猫二匹。

「あわわわ……エモい、エモい! スケッチブック、スケッチブック」

 ランドセルからスケッチブックを取り出して、猫の絵を描く少女がいた。屋根の上に茶トラとキジトラがいることを、少女は数日前から知っていたのだ。情報源はアケミ(JK)である。いつでも猫と仲良くなれるように、ポッケの中に二本のちゅーるを忍ばせている。

「茶色の子、お家に帰っちゃった……」

 太陽が見えなくなると、信長はトボトボと姿を消した。

 その翌日も屋根の上。いつもの二匹の姿があった。

「なぁ、家康ぅ~!」

「なんや、秀吉」

「信長やって、言うておろうがっ───あ、ケイテイちゃん! いつ見ても可愛ええなぁ……」

「おい、信長。そろそろ、閻魔えんま様に会いに行くか?」

 ケイテイに見惚れる信長に、不敵な笑顔で問う家康。閻魔様とは何者なのか? 家康が見つめる小高い山。その山を徐々にどす黒い雲が覆い始める……。

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