土曜日。
今日は喫茶グリムで新メニューのお披露目会だ。メニュー開発に貢献した、ツクヨと忍の小五コンビも招待された。ふたりは朝からツクヨの部屋ではしゃいでいる。きっと忍は、俺に見せない笑顔なのだろうなぁ……。
「なぁ、オッツー。頼まれてくんね?」
俺は事前にサプライズを準備していた。免許を取得したオッツーに送迎をお願いしたのだ。きっとツクヨは飛び跳ねて喜ぶだろう。あいつはオッツーと一緒なら、いつでも幸せを感じる子どもだから。
叔父贔屓を差し引いても、ツクヨは可愛らしい女の子だ。中学になれば、いずれ告られる日が来るだろう。彼氏ができれば〝わたしのオッツー〟からも卒業だ。そうなれば、俺が立ち入る余地もなくなる。こんなサプライズは今しかできない。俺はツクヨの笑顔が楽しみだったのだが……。
───プップー。
クラクションの音に、ツクヨと忍が外に出た。どうだい、どうだい、うれしいか? 俺はニンマリとほくそ笑む。すると、ツクヨがダッシュで部屋に戻った。ゆっくりと、忍が後からついていく。ツクヨの部屋が賑やかだ。どう……したの?
「おい、サヨっち。行かないの?」
待ちくたびれたオッツーが、玄関先から声をあげた。
「てか、どうしたよ? ダーーーって、ツクヨが部屋に戻ったけど? ツクヨと喧嘩でもしたのか?」
「オレの顔を見た途端、ツクヨっちが逃げてった」
オッツーも困り顔だ。ちびっ子だとて、女は謎だ。何を考えているのかさっぱり分からん。ツクヨだけならまだしもだ。今日は忍の鉄壁のガードが立ちはだかっているのだ。おいそれと手が出せない。
「取りあえず、居間で待とうか? コーヒー淹れるわ」
玄関で突っ立っていても埒が明かない。俺はオッツーに提案した。
「サヨっち、オレ、カルピスな。コーヒーは、あっちで飲むから」
「了解!」
俺たちが待つこと十分後。居間のドアから忍がニョキッと顔を出す。
黙って笑っていれば美少女なのに……ツクヨの純和風の顔立ちとはまた別の、忍には北欧の風を感じていた。くっきりした目鼻立ちは、のんに少し似ているところもあった。性格は真逆だけれど。高校生になって茶髪にしたら、かなりの美人に仕上がるだろう。アケミ好みの美少女顔だ。
「オッツー、こっち。お前は……いい」
忍がオッツーに向かって手招きをする。俺は思う……オッツーは、忍に名前で呼んでもらえるんだな。俺なんて、出会った時から、ずっと〝お前〟やで。
忍に呼ばれたオッツーは、ドアの向こうへ足を運んだ。なんだか俺はハブられた気分だ。
「ツクヨっち。そのワンピース、可愛いなぁ」
「ホントに、ホントにぃ~?」
「頭のリボンも可愛いぞ」
「うぃ!」
壁の向こうでオッツーとツクヨの声がする。そっか、そっか。ツクヨはおめかしをしていたのか。よかれとやったサプライズ。それが大きな仇となる。俺の家からグリムまでの二十分。そのことで、俺はずっとツクヨに責められた。
「サヨちゃんが、早く言ってくれないから、準備が遅くなったじゃん。女の子には準備がいるのぉ!」
いや、オッツーが来るまでジーパンとTシャツだったやん? それでええやん? ええんとちゃうの? その反論が、俺の喉元で交通渋滞を起こしていた。
ツクヨの愚痴に忍が合わせる。
「せや、お前が悪い」
言葉の暴力とはこのことだ。俺は反論できずに半べそだった。そしらぬ顔してオッツーは、ドライバーに徹していた。安全運転。その判断は正しいけれど、少しは助けてくれよと、俺は願う───叶わなかった。
針のむしろの二十分。グリムに到着する頃には、すっかり俺は悪人にされていた。
「三縁さん、いらっしゃい。ツクヨちゃんも、忍ちゃんも、オッツーさんも、座って、座って」
のんは可愛い。いつもの笑顔で出迎えてくれる───お前、誰や? 前回の、忍の言動が気になったけれど、今日は大人しくしてくれそうだ。今日の心配がひとつ減った。
「のんちゃん、のんちゃん、話を聞いてぇ!」
怒り冷めやらぬツクヨが、テテテとのんに駆け寄ると、俺のことを愚痴り始めた。のんは困ったような顔でツクヨの申し立てに対応していた。なんか……ごめん。俺はのんに向かって両手を合わせた。のんはにっこり笑って首を横に振った。
やれやれ……ツクヨにも困ったものだ。俺の気持ちを察して、奥さんからの助け舟。
「まぁまぁ。ご機嫌直して、グリム特製シュークリームを召し上がれ」
グッジョブ奥様。マスターはニコニコしながらカウンターの中から眺めている。あの大騒ぎはなんだったのか? 新メニューを見た途端、ツクヨはシュークリームに釘付けだ。スマホを出して写真を撮りまくっている。
「うわぁ~。忍ちゃんと食べたのと違う。でも、こっちの方が全然いいよぉ。ねぇ、忍ちゃん」
ツクヨが忍に同意を求めた。
「お前、変えたんか?」
俺に向かって忍が言う。ここでも俺は、お前なんだな……。
半分に切ったシュー生地の間に、ソフトクリーム状に盛ったカスタードを挟み込む。それは、のんからの提案だった。カスタードで高さを出せば、SNSでも映えるだろう。その思惑は、ツクヨの反応で手応えを感じた。のんの手作り苺ジャムは、カスタードのテッペンに乗せることになった。
シュークリームを試食した日。俺はのんにレシピを手渡した。のんはすぐさま完コピだった。今は奥さんに教えているという。俺の知る限り、のんは明らかに天才肌だ。ひと目でなんでも覚えてしまう。美貌と知能と性格の良さ。天はこの人に、どれだけ与えるつもりだろうか? 時代が時代なら、天下くらい取れそうだ。
「ねぇ、オッツー。シュークリーム、おいしいね」
新作の出来栄えに、ツクヨの機嫌が直ったようだ。パチパチと、いつもの元気で漲っている。俺は頃合いを見てから席を立った。
「じゃ、ごゆっくり。俺はゾーンに入るから」
「三縁さん、がんばって。コーヒーどうぞ」
のんだけが返事をくれた……。
にしても……だ。オッツーと忍が打ち解けているのには驚いた。つまり、塩対応は俺だけか? そうなのか? そうなんだな? 新メニューのお披露目を楽しむ面々から離れて、俺はいつもの席で執筆を始めた。カウンター席の一番奥。それはいつものことである。コーヒーを置くのんの右手の中指にペンダコができていた。
「のん、ペンダコあるね」
俺が無意識にそう言うと、のんは素早く右手を隠した。
「恥ずかしい……」
「そんなことないよ」
のんが何を書いているのか気になって、俺はのんの瞳を見つめていた。
「わたし……メモ魔なんです。ごめんなさい」
それは意外な返事だった。てか、謝る必要なんて何処にもないのだが……。
「え、記憶力抜群なのに?」
のんは俺のブログを丸暗記するほどの記憶力の持ち主だ。大学ではパソコンを使うだろう。俺にはのんが、メモする場面が想像できない。
「三縁さんのブログは特別です。なんかねぇ~、大好きなことは覚えちゃうの。大好きだから……」
「……」
大好きなことは覚えちゃうんだ。大好きなんだ……俺は返事に困った。気の利いた言葉がみつからない。二メートル向こうでは、リオのカーニバルくらいの大騒ぎなのに、俺とのんの間では……しばしの沈黙が続いていた。
「あ……」
のんは自分が発した言葉に気づく。すると、一気に顔が真っ赤になった。漫画でよくある〝ボン!〟って感じだ。それと同時に、両手で顔を隠してつむじを見せた。こんにちは、つむじちゃん。可愛いつむじが俺に訊く。
「いつも……三縁さんは、何を聞いてるの?」
「え?」
「三縁さんが、いつも首に掛けてる白いヘッドホンです。いつもどんな音楽を聞いてるのかなぁ~って思って……ごめんなさい」
細い指が俺の首元を指さした。依然として、顔は俯いたままだ。
「あ、これね」
俺は静かに、のんの耳にヘッドホンをあてた……。
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