010 三人寄れば、なんとかじゃん?
有友涼平に罪はない。罪があるのは、ボクの歪んだ嫉妬心。それを理解していながらも、敵意を抱くボクがいた。そんな自分が、とてもみじめだ……てかさ、てかよ。どうして、彼の家なのよ?
四つ角を曲がってふたつ目の、小さな路地を左に折れる───。
オタの背中を追いながら、ボクは順路を記憶する。オタのことなら、なんでも知りたい。そんな気持ちがそうさせた。左に折れた一軒目、三角屋根の白い家。
「小太郎、こんにちは。今日も元気だね」
オタが、小さな庭に向かって手を振った。
「小太郎って?」
「犬小屋の中にいたでしょ? 柴犬の小太郎君。子犬のころから知ってるんだぁ~」
はて……?
ボクには犬の姿が見えなかった。オタの背中を追うのに精一杯で、今は犬に構ってなんていられない。
住宅街を抜けると見覚えのある陸橋が見えた。この道を左に曲がって西へ進めば、県立図書館があるはずだ。ボクは頭の中に地図を描く、こんな抜け道があったとは!
「きみぃ、国道の向こうがゴリラの家だよ。オレンジ色の屋根の家」
一段飛ばしでオタが階段を駆け上がる。あの小さな体のどこに、そんなパワーがあるのだろう? 同じ年なのに、この差はなんだ。階段の踊り場で、ボクはふにゃりとしゃがみ込む。
「はぁ、はぁ……オ、オタ……ここから先は、ボクの屍を超えて……ゆけ……」
息をするのが苦しくて、軽くめまいまで感じている───限界だ。
「もうぉ! きみは運動不足なんだよ。しょうがないなぁ~」
階段のてっぺんから、オタは猛ダッシュで引き返し、「この子はもう!」そう言って、ボクに腕を回したかと思えば、引きずるように先へと進む。長い陸橋の端っこで、オタが住宅街に向かって指をさす。
夏だなぁ、空が青いや……。
「ねぇ~え、きみぃ~。ほら、見て。あのオレンジ色の屋根がゴリラの家だよ。おーい、生きてる?」
桃源郷が少し見えてる。
「かろうじて……ここから、何メートルくらいある? お腹が痛いよ」
「五十メートルくらいかな……すぐ近く。ここからだったら、十秒もあれば到着よ」
それ、スポーツテストのタイムだから!
「休憩終わり。さぁ、行くよっ!」
その数分後。有友家の塀に手を当てて、うずくまるボクがいた。汗って、ホントにほとばしるんだ……。
「ゴリラ、ゴリラ、ゴ、リ、ラ───」
謎のリズムに乗って、オタが有友家のチャイムを連打する。こんなの迷惑系ユーチューバーじゃん? なんだか、有友涼平が気の毒だ。
「どちらさま?」
玄関のドアがゆっくり開くと、オタがサッと右手を上げる。
「よっ、ゴリラ」
だからオタ。そういうの、よくないよ。ボクは目で合図する。
「どうした? ハルカじゃん」
ハルカ、ハルカ、ハルカ、ハルカ……え? ハルカ、ハルカ、ハルカ……あ? 有友涼平、否───ゴリラ。いつからオタとそんな仲に? かなりムカつく。
「きみもいるよ。ほら、そこ」
オタがボクを指さした。
「あ、葉山さん───」
一瞬だけボクを見ると、彼はボクから目を逸らす。そりゃそうだ。友だちでもないボクが、数学の抜き打ちテストのようにいるのだから。
招かれざる客に用はない。
「え、葉山さんも?」
その反応はどうだろう? その『も』の意味を教えてほしい。
「ねぇ~え、ゴリラぁ~。ひまたんは?」
「ひまわりは元気だよ」
ボクのことは、そっちのけか?
「おふくろと遊んでるけど? てか、葉山さんの前でゴリラはやめれ」
「だって、ゴリラじゃん」
「うっせーよ」
学校では口数が少ない子だと思っていたけど、これが有友涼平の素の顔か……フランクすぎて、ちょっと意外だ。
「じゃ、後はよろしくぅ~! あ、忘れてたっ! きみが言ってたよ、ゴリラはイケメンなんだって。み、ど、り、さーん!」
なんてことを……これは気まずい……実に気まずい。ボクは有友涼平から顔を背け、静かに視線を地面に落とす。あぁ……夏だねぇ。アリが長蛇の列を作ってらぁ。あの列に紛れて帰りてぇ~。
「あはははは……えっと、葉山さん。今日は、どういったご用件でしょうか?」
チッ、この男。ボクに対してのみ敬語を使う。それは、こっちのセリフだわ。
「あ、ボクはオタを追いかけてきただけで……てか、有友君。同級生なんだし同じ部活なんだから、ため口でいいよ。てか、みどりさん……とは? もしかして、お姉さん?」
よし言えた。ボクは全身全霊を込めて話題を逸らす。
「みどりは母の名前です。ハル……阿川さんと仲良しなんです……すみません」
ここに来てからというもの、どれもこれもが思わぬ方角から飛んでくる。斜め上ってどころじゃない。
「仲良し……とは?」
「僕が不在のときも、阿川さんはひまわりと遊んでいますよ」
ボクから視線を逸らし続けて、さわやかに笑うな───有友涼平! どれだけボクを嫌っているの? まぁ……それは、ボクもだけれど……。
「有友君が不在でも?」
「はぁ……まぁ、そんな感じです……」
つまり、親公認の仲ですと?
だめだ……もう、だめだ。現実が、ボクの理解を超えている。沈黙と静寂の中で、ボクは青い空に思いを馳せる。記憶を消して…………帰りたい。この瞬間だけ、アリになりたい。
「いつまでやってんのぉ? ふたりとも」
二階の窓がサッと開くと、そこからオタの顔が飛び出した。
「ねぇ、ゴリラぁ~。プリンタで印刷してよぉ~! きみも早く上がっておいでよぉ、ひまたんもいるよぉ」
なんで、どうして?
オタが有友涼平の部屋にいる? ボクは最悪を直感し、それが徐々に確信へと変わる。「僕たち付き合ってます」これから、こんな報告を受けるのだ……。
「うぅ……」
ボクがふらりと倒れる手前で、太いなにかがボクを支えた。有友涼平の腕だった。男の子の腕って、こんなにがっしりしているのね……。
「大丈夫ですか? 葉山さん」
有友涼平の顔が近い。
「離れてよぉ!」
本能的に、ボクは彼の腕を振り払う。
「すみません、葉山さん」
何度も頭を下げる有友涼平。こんなのオタに見られたらどうしよう。とっさにボクは、二階の窓に目を向けた。オタがボクらを見つめている。なにを考えているのかわからない、チベットスナギツネのような表情で。
「こんなところでは、なんなので……葉山さんがよろしければ、僕の部屋に行きませんか? むさ苦しいところですけど……」
うっせーなぁ! 有友涼平。
「あ……、ええ。まぁ……」
ボクは不器用に言葉を返し、有友家の玄関へ。
「お、お邪魔します……」
すると、有友涼平の母親がにこやかに出迎えた。
「まああ、その節はどうも。暑かったでしょ? 上がって、上がって」
その節とは、喫茶ひまわりでの『捨て猫騒動』のことである。
「ありがとうございます」
ボクは小さく会釈する。
「ハルカちゃんから、葉山さんのお噂はかねがね……ふふ。ハルカちゃーん。お茶の準備ができたからぁ、取りに来てぇ~」
有友涼平の母が、二階に向かって声をかけた。まるでこんなの……。
「はーい、みどりさーん。クッキーはぁ?」
「うふふ……あるわよ」
「やたぁー!」
ドタドタと、オタが二階から降りてくる。その胸元には小さな白猫。この子がひまたん? あらまぁ、大きくなっちゃって。嫌でも目じりが下がってしまう。
「ほら、ひまたんだよ」
触れるだけで壊れそうだった子猫が、丸い瞳でボクを見ている。艶のいい毛並みだけでも、有友家で大切にされているのがひと目でわかる。
「大きくなったねぇ」
ボクがひまたんに手を伸ばすと───「シャーっ」っと必殺の猫パンチ。
「ひまたん、どうしたの? 怖くないって。きみ、ごめんね。この子、いつもは人懐っこい子なんだけどなぁ……ほら、きみちゃんですよぉ~」
それ、まったくフォローになってない。
「うん、大丈夫」
ボクはとても傷ついている。ここへ来てから傷つきっぱなしだ。
「おふくろ、バスタオル。気が利かないな……」
有友涼平の目くばせに、
「そうね、そうだわねぇ。走ってきたのね、汗がいっぱい」
涼平の母親がそう言って、大きなバスタオルをボクに渡す。そこでようやく気づいてしまう。汗でブラが透けてる……。
「ひまわりも、すぐに慣れると思います。ささ、二階へどうぞ。エアコンを回していたので、涼しいですよ。それと、バスタオルは肩にかけたままで……お願いします」
「武士の情け、かたじけ……ない」
もはや反論の余地もなく、彼の後をついてゆく。クスクスと、ボクの背後で笑うオタ。さぞ楽しかろうよ、阿川春花。ボクがにらむと、テヘペロ返し。きゃわゆい……じゃん! 「ぷっ」っと吹き出すボクである。
「葉山さん、こちらです」
そう言って、自室のドアを開く有友涼平。大きな壁のポスターに目が留まる。
「イチロー選手だ」
野球に疎いボクだって、イチロー選手は知っている。海外で、すごい記録を持っている選手だ。
「あ、僕は野球をやっていたので……彼が僕のあこがれでした」
そう言うと、有友涼平が照れくさそうに頭をかいた。
「きみ、これ持ってて───なんだよ、その態度は! 気合いだぁ!!!」
ボクにお盆を預けると、オタが彼の背中をバシバシ叩く。そこに、ボクが入り込む余地はない。お盆の上にはコーヒーとクッキーが乗っている。クッキーは小麦色の猫型だ。
「このクッキー、みどりさんが焼いたの。みどりさんは、お菓子作りの名人なの。ほれ、食べてみ? 猫ちゃんだぞぉ~」
わかってる……。
「あ、どうも……いただきます」
クッキーには、ほんのりと熱が残っていた。そして……確かにおいしい。レシピを教えてもらって、ひまわりのメニューにしたいほどのおいしさだ……いやいや、待て待て。今は感心している場合じゃない。
「どう? おいしい?」
「うん、プロみたい」
「でしょ? でしょ? ゴリラも元気出せ! アーーーン」
「葉山さんが見てるって!」
横に首を振る有友涼平の口に、オタがクッキーを押し込んだ……なにその、自然な感じ? やっぱ、お前ら付き合ってるだろ?
「ところでハルカ、用事ってなに?」
彼の言葉で我に返る。そうだった、そうだった。ボクはなにをしに来たのやら? とっとと用事を済ませて、ボクとふたりきりになろうよ。
「ねぇ~え、ゴリラぁ。きみのね、データを印刷してほしいの。きみがさ、ボツにした原稿なんだ。それ、きみからゴリラに送ってよ」
えっと……それは、どうだろう? ボクは首を横に振る。
「じゃ、うちに送る?」
そんなの、そうに決まってんじゃん。ボクがオタにデータを飛ばし、オタが有友涼平に転送した。
「これを印刷すればいいのか?」
「そっ、ゴリラ。はよやれ!」
「オッケー」
スマホの上で有友涼平の指が数回動くと、ウィーンとプリンターが動き始め、あっという間にボクの原稿が印刷された。これがレーザープリンターというやつか……おばあちゃんじゃないけれど、便利な世の中になったものだ。印刷したての原稿の束が温かい。
「葉山さん。僕のスマホのデータ、削除しますね」
ボクの前で有友涼平がデーターを消すと、
「それでは、葉山さん。ごゆっくり」
ボクに軽く会釈して、有友涼平がドアノブに手を伸ばす。ご主人さまが恋しいのだろう。オタの胸のひまたんが、有友涼平に向かって前足を伸ばす。すると、その手を押さえてオタが言う。
「なんで、ゴリラ? いればいいじゃん?」
なんでだよ? オタが彼を引き留めた。
「あのなー、ハルカ。お前には、デリカシーってもんがないのかね? ボツとは言えども原稿なんだよ。俺が勝手に見ていいもんじゃない。ですよね、葉山さん?」
有友涼平、いいこと言った!
「えぇ、まぁ……」
それについては激しく同意なのだど、ここからオタの反撃開始。
「そんなのダメだよ。ゴリラにも一役買ってもらわなきゃ。三人寄れば、なんとかじゃん? ねっ、空乃カナタさん。ゴリラはね、うちなんかよりも、ずっと知識が豊富だよ。使えるものは、なんでも使おう。たとえそれがゴリラでも」
「ものじゃねーし!」
「怒りなさんな。後でバナナを買ってあげるから」
「ゴリラじゃねーし! このちびがっ!」
「聞いたぁ、きみ。ちびだとか、ぺったんことか、ゴリラがうちをいじめるのぉ~」
「ぺったんことは、言ってねぇ」
ふたりの夫婦漫才に、「ぷっ」と吹き出すボクである。悔しいけれど、ふたりはいい関係なんだなと正直思う。そして、オタの考えにも一理ある。有友涼平の意見が突破口になるかもしれない。
「きみからも、ちゃんとお願いしてよ。そうじゃないと、読んでくれないよ。ゴリラはね、そういう子なの。紳士なの」
そうだね。ここは一時休戦ということで。でも、素直にお願いできないボクである。うまく言葉が口から出ない。
「えっと……有友君。よかった……らで、いいんだけど……。有友君の意見を……えっと、教えてもらっても……いいですか?」
「葉山さんさえ、よろしければ」
おどおどした笑顔で応じる有友涼平。
ボクの心臓がコトンと揺れた。ん? これは、なに? 不整脈? え……高校生で?
「よし決まりね。じゃ、これから同盟を結ぼうよ。うちとゴリラと三人で」
同盟……とは?
「きみっ! あれやるよ」
「まさかっ! 横綱モード?」
「せやでぇ~!」
髪の毛をゴムバンドでくるりと巻いて、頭にお団子を作るオタ。それは星ゆかりの髪型で、阿川春花の本気の証。つまり……ここから先は、関西弁。
「ほな、やりまっせぇー!」
に~と笑って、オタが小さな右手を突き出した。えっ、あれってドラマだけでやるんじゃないの? てか、体育会系のノリじゃない?
「あいよ」
オタの手に手を重ねると、有友涼平が初めてボクに視線を合わせた。またボクの心臓がコトンと揺れた。
「あの……ここ……に。ボクの手を乗せれば……いいの……かな?」
「「そっ!」」
ふたりの笑顔に戸惑いながらも、大きな大きな手の甲に、ボクは手のひらを重ねていた。すると、オタの胸から白い前足がトンと乗る。ひまたんの肉球の感触がやわらかい。
「ひまたんも協力してくれるの?」
ボクがふにゃりと微笑むと、ひまたんが「シャー!」っと鳴いて、皮膚に鋭い爪が食い込んだ。
なんか……凹む。

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