きみの読書感想文〝012 猫のおじさんのお友だち〟

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012 猫のおじさんのお友だち

 七月、雨の木曜日。

 ただでさえ客足が遠のく雨に加えて、ショッピングモールでは催し物が開催されている。総じて、今日のひまわりは暇である。

 なんの催し物だっけ?……そうそう、北海道グルメ市。今日は暇だと見込んだおばあちゃんが、

「あたしら、一時間ほど遊んで来るよ。あんたらも適当に遊んでな───やっぱ、北海道だもの、カニよねぇ~。お宅、今夜のおかずは? あらら、息子さん帰ってるの? じゃ、やっぱり…………」

 そう言い残して、友だちと催し物見学へ出かけてしまった。

 なによ、それ……「あんたらも適当に遊んでな」って、かっけーじゃん。小説のどこかで使いたいセリフじゃん。てか、今夜はカニ? カニ鍋なの? 気温三十度越えの真夏にですか? 若さあふれるボクらとしては、北海道のソフトクリームが食べたいよ……。

「ねぇ~え、きみぃ。昨日さぁ……」

 カウンターから外を眺めてオタが言う。ヘッドライトに反射して、窓ガラスの雨粒が幻想的に輝いている。

「どしたぁ~? カニよりも、ソフトクリームだよねぇ~」

「ソフトクリームよりも───猫だよ!」

「猫?」

 オタがボクを見上げている。大きな瞳が細くなると、丸いメガネがふにゃりと揺れる……かわゆい、じゃん。

「昨日ねぇ、おじさんが猫と歩いてたの。赤い首輪をして、かしこそうな猫ちゃんだったよ。長い尻尾をピーンと立ててね、颯爽さっそうと歩いてた」

 うん、それはおじさんの猫じゃない……。

「そうなんだ……たまたまじゃない?」

 だって、おじさんは九州から出稼ぎに来たのだ。おいそれと猫どころか犬も飼えない。もしかしたら、ハムスターどころかカメも無理。

「そうだよねぇ、たまたまかな?」

 おじさんとオタとの生活パターンが似通っているのか? それとも、密かにストーキングでもしているのだろうか? 頻繁に、おじさんを目撃するオタである。

「で、これからどうするぅ?」

 暇を持て余した女子高生は、相棒に未来をゆだねるのであった……。

「そうだ、琴音ことねちゃんを驚かそうよ!」

「どうやって?」

「こう……やって! キュッキュっとね」

 オタが流し台を指で擦ってニーッと笑う。これが、小悪魔の微笑みか? こんな武器を変幻自在に操るとは……末恐ろしい少女である。

「にゃるほどねぇ~。よし、乗った!」

 ボクらは、流し台をピカピカにしてやろうと企てた。ボクのお母ちゃんは美装のプロだ。ハウスクリーニングのバイトリーダーなのである。娘のボクに汚れ落としの知識があるのは当然だ、強制的に。

 キッチン、バス、トイレに窓ガラス。これまで、どれほどの強敵を磨き上げてきたことか、強制的に。そこで待ってろ、流し台。ボクの技術で、アンチエイジングをしてあげよう───

「オタ。この汚れは酸性だよ。だから、アルカリ洗剤とクレンザーで……美装とは化学だからね」

 お母ちゃん直伝の手順に従い流し台を磨いてゆくと、ステンレスが鏡のようだ。それをオタがのぞき込む。

「ほえぇ~! うちにもできる? やりたい、やりたい」

 ステンの輝きに興奮したオタが、ボクと同じ手順で磨いてゆく。

「うちは、猛烈に感動しています! これは魔法だ、いや、超魔術じゃん!」

 これが若さなのかもしれないな……面白くてたまらない。ボクらは無心で、磨いて、磨いて、磨き上げる。

「あ……」

 オタがピタリと手を止めた。猫のおじさんの指定席を見つめて、ピクリとも動かない……また、なにかに気づいちゃったとか?

「どしたぁ~? オタ。疲れたぁ~?」

「これが、八神純子やがみじゅんこ……ですよ」

 有線から流れているのは、昭和の歌姫の美声であった。

「知ってるよ、おばあちゃんが好きだもの」

「ああら、八神純子は存じておりますのよ。ただ、曲名を忘れてしまいましたのよ……わたくしとしたことが、ほほほほほ……」

 八神純子といえば、おばあちゃんが若かりしころ、大ヒットしたらしい『みずいろの雨』だけれど、これは滅多に流れぬ名曲だ。てか……どうして、港小夜子みなとさよこ口調でボクに問う?

「これ、『DAWN(ドーン)』って曲名じゃなかったけ?」

「そうだよ、そう、そう。DAWN。夜明けだよ……ぷっ」

 にわかにオタが吹き出した。この楽曲に、笑う要素はどこにもない。夢に旅立つ少女の別れ歌。ボクとしては、まさに感慨深い歌詞なのだけれど……「ぷっ」って、どういうこと?

「猫のおじさんがね、お友だちと来たことあるよ」

「どこに?」

「決まってんじゃん、ひまわりに」

 おじさんのお友だち? ボクにとっては初耳だ。天涯孤独を愛する人だとばかり思ってたのに、やっぱ、週末には合コンとかもするのかな? なんだか、イメージの崩壊が……。

「きみが歯医者で休んだ日だよ。五月の雨の日」

 虫歯の激痛で、ボクが悶絶した日の出来事だ。

「なんで言わなかったのよ? それ」

「だって───痛かった、痛かったって。きみが虫歯の話ばかりしてたからだよ。『どうしてこんな日に雨なのよっ!』って、お天気にも文句言ってたじゃん」

 あの痛み、あの苦痛。忘れたいけど、忘れられない。あれから数日、ボクは歯みがきの大切さばかりを語っていた。相手構わず、ところ構わず……興奮しながら語り尽くした。

「ねぇ~え、きみぃ。それが、めっちゃイケメンだったの」

 なんとっ! 風向きが大きく変わった。

「い、イケメンですと!」

「えっと、イケメンとは違うかな……シュッとしてモデルみたいな美男だったよ」

 ベルトの風車のように、ボクの好奇心がグルグル回る。オタの好みから察すれば……その美男とは

本郷猛ほんごうたけしに似てたとか?」

 オタが右手を左右に振っている。

「それはないよ、猛はワイルドな感じだよ。あの人はね、少女漫画に出てきそうな……背が高くてシュッとしたタイプの顔立ちだったよ。でも、変なんだよねぇ。その人、ニコニコしながら『先生は、がんばり屋さんですね』とか言っちゃって……おじさんに先生だって、ぷっ」

 おじさんの作業着姿から、まったく『先生』のイメージが浮かばない。でも、それだとて……

「なんかそれ、『五月さつき』の打ち合わせのシーンみたいだね」

 喫茶店で、加賀美かがみ日向ひゅうがへ初原稿を渡す光景とよく似ている。原稿に目を通しながら、「先生は、がんばり屋さんですね」と、日向が微笑むセリフまでもが……。

 すべてがオンラインで完結できる世の中で、必ず対面しての打ち合わせ。ふたりの絆の強さが際立つ場面だ。さらに日向の容姿が、高身長の美男なのだ。偶然の一致にしておくには、なにかしら惜しい気がする……。

「ほんとだね……ほんとだっ!」

 店の本棚から『五月の雨』を抜き出すと、オタが該当ページを読み返す。ボクが隣で暗唱すると、

「好きな人の文章ってさぁ~あ。自然に覚えてしまうものだよね。あ~あ……教科書もこんなふうに暗記できたらいいのになぁ。ねぇ~え、きみぃ。うちの言葉の意味、わかってる?」

 そう言いって、オタが小さく微笑んだ。よし、その深掘りはやめておこう。話が迷子になってしまう。

「で、どうなったの?」

「そうそう、うちにオーダーしてくれないの」

 オタの主語が迷子になった。

「おじさんが?」

 おじさんは、いつもホットコーヒーのブラックだ。アイスが飲みたいときは「アイスで……」と言う。

「美男の方だよ。おじさんは『いつものを……』って言ったきりで知らんぷり。なんだかねぇ~、おじさんの前で佇んちゃってる美男がさぁ。可哀想になっちゃって、おじさんに言ってやったの……」

 お兄さん指で、オタがメガネのフレームをクイっと上げる。

「なにを? また、おじさんに失礼なことを言ったんじゃない? オタのそういうとこ、よくないよ」

 つくづく目が離せぬ親友である。

「いいえ、言ってやった。『がんばり屋さんの先生、お連れの方のご注文は?』ってね。嫌みたっぷりに言ってやった。そしたらさ、一瞬だけキョトンとした顔をしたかと思うと、とてもやさしい顔になって……ありゃ、おじさんが猫を見ているときの目だね。でね、『彼には、あなたがコーヒーを淹れてやってくれないか?』だって。そりゃ、ご指名ですもの。わたくしが、コーヒーを淹れて差し上げますわよ、おほほほ」

 ところで阿川春花あがわはるかさん。港小夜子、再びですか?

「でね、おじさんはいつもみたく本を読んでいて、えっと……あの日はね、『金閣寺』と格闘していたの」

「あ、そっか。メモをしながら読んでたころね」

「そうそう。読書台を貸してあげる前ね」

 つまり、おじさんがここへ通い始めて間もないころか……。

「じゃ、がんばり屋さん……なんじゃない?」

「でね、美男はずっとニコニコしていてね。おじさんは寡黙かもくに本を読んでいるの。そしたらさ、流れたの……」

 ボクの「がんばり屋さん」は流すのね。

「なにが?」

「この曲だよ」

 ようやく八神純子と話が繋がった。

「ふたりがさ、しんみりした顔して聞いてるの……ぷっ」

 笑いの要素がどこにもないけど?

「ありゃ、おじさんが彼女にフラれたあとだね。九州と違って、都会の女は怖いからねぇ~」

「あぁ……なるほど」

 歌詞の内容から察すれば、オタの推理にも一理ある。てか、一方的に決めつけているけど、美男がフラれた可能性だってゼロではないでしょ? そういうとこだよ、そういうとこ。一面だけで判断すると、いつかどこかで痛い目見るよ。

「おじさんが心配で付き添っていたんじゃね? 美男 あ、今! うちは気づいてしまいました。だからやってたんだよ、かげおくり」

 青空に見ていた白い影は、フラれた彼女の残影か? おじさんは、モテるタイプでもなさそうだし、その可能性も捨てきれない。てか……たぶん、それだ。

「その日は、どれくらいいたの?」

「いつもどおりだよ。二時間くらいで帰っちゃった。でも失礼しちゃうのよっ!」

 思い出したように、オタの顔が不機嫌になった。

「おじさんが?」

「美男だよっ!」

 オタは完全にオコ顔だ。

「ふたりが帰ったあと、コーヒーカップを下げに行ったらさ。あの美男、うちが淹れたコーヒー飲んでないの。ひと口もだよ! なのに帰り際に、『ごちそうさま。先生をよろしくお願いしますね』って、どゆこと? どんな神経?」

「それはぁ……ウケる、ぷっ。オタへの無言の抵抗って、やつじゃない?」

「今度会ったら、とっちめてやるんだから。うちは美男といえども、容赦しない女なのぉ。そうだ、スマホアプリでモンタージュ作ろっ! 今度、きみにも見せたあげる。この辺じゃ、お目にかかれぬ美男でっせぇ~……あ、横綱にも見せてあげようっと」

 口を尖らせて、オタが蛇口をこすっている。

「そりゃ、どうも……」

 よほど力を込めているのだろう、ゴム手袋をしたオタの手が動くたび、蛇口が輝きを増してゆく。

「あららぁ、流し台がピカピカねぇ。ふたりで、やってくれたの? 感心、感心───」

 催し物から帰ってきたおばあちゃんが、上機嫌で流し台を眺めている。お土産に、なんとかプリンスっていう、高級ホテルのショートケーキを手に持って。

「うちがコーヒーを淹れるからね。きみと琴音ちゃんは座ってて。これから、ハルカちゃんのリベンジタイムですよぉ~」

 そう言うと、オタがお茶の準備に取りかかる。

「ハルカちゃん、リベンジって?」

 小声で、おばあちゃんがボクに問う。

「それは、いいの……ところでさ」

 次は、ボクからおばあちゃんに問うてみる。五月の雨の日の出来事を。かくかくしかじか───。

「そうかい……」

 おばあちゃんが、切ないような、愛おしいような……うれいに満ちた表情で、オタの背中を見つめている。意を決したかのように、口を開くおばあちゃん。

「貴美子、ここだけの話にしてくれないかい? あたしは思うんだよ。あの子はさ、神さまの使いじゃないかなってね……」

───阿川春花が神使しんしですって?

 ラノベ風味たっぷりな言動に、ボクの眉間に力が入る。まさか、おばあちゃん……ボケちゃった?

「貴美子に、言うか言うまいか考えていたんだけどね……」

「どうしたの? はっきり言ってよ!」

 煮え切らないおばあちゃんに、ボクはしびれを切らせていた。

「あの日……」

「五月の雨の日ね?」

 念を押すように確認し、

「あのお客さんは……」

「猫のおじさんでしょ?」

 さらにボクは確認を重ねた。おばあちゃんがボケていませんようにと、祈りながら。ことと次第によっては、浜のカスミの出番である。

「あのお客さん……ひとりだけだった」

「…………え?」

 なにを……言ってんの? ボクは動揺を隠せない。ボクを諭すように、語り続けるおばあちゃん。その眼差しは真剣だ。

「たまにあるんだよ、あの子には。お客さんの数よりも、コップの数が多いことが……それが、千里眼なのか? 幻覚なのか? 別の要因によるものか? あたしには、わからない。あのお客さんは、ハルカちゃんに合わせただけだよ。律儀にふたり分のお代もくれたし、さも、ふたりでいるかのようにも演じてくれた。ただ、これだけは明言できるよ。ハルカちゃんは良い子だよ。貴美子きみこ、ちゃんと守ってやんな。いいね?」

「はい!」

 ボクの返事に、おばあちゃんが微笑んだ。

☆☆☆☆☆

 同日。

 北原色羽きたはらいろはのマンションに、ほしゆかりの姿があった。

「いろはの本棚の件で、大きく計画がずれてもうたな。おチビからの情報からすれば、もう、なんや……同級生の男の子まで加わっとるらしいで。その子が書淫しょいんで、かなりの切れもんらしいんや。おチビも勘の鋭い子やし……で、どうするつもりや? このまま、なーなーでやるんか? そんなん、ウチは気に入らんけどな。港小夜子だって、放っといたら単独で動きかねんで。あの猫のおじさんとやらだって……取りあえず、これな。お疲れちゃん」

 星ゆかりが、北原色羽にビール缶を差し出した。

「ありがとう、お疲れさん……ゆか。あの子たちは多感な時期だよ。ことは慎重に……だろ? もう少し、好きにさせてやろうじゃないか。いずれ未来が教えてくれるさ」

「せやな。で、あっちはどうなん?」

 本棚に目をやる星ゆかり。

「彼は、がんばり屋さんだよ。きっと、彼女の願いを叶えるさ。雨の夜に……いまわのきわで見る夢は……永遠とわに輝く月灯つきあかり……か。真実は、語るべきときに語ればいい。そのときは、ゆか。阿川さんをよろしく頼む……」

「せやな……おチビのことは、任せとき」

 雨の日、雨の夜。

 ふたりは空っぽの本棚を見つめていた。

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