016 ひまわり畑と花言葉
港小夜子の指示に従い、『夏休みノベルン大賞』のエントリーを済ませると、ボクのスマホの通知が鳴った。
───阿川さんとひまわり畑で待っています。
有友涼平からの吉報に、ボクは胸を撫で下ろす。さぁ、行こう! オタのところへ。
「さよちゃん先輩、いろいろお手数をおかけしました。オタの居場所がわかったので失礼します」
口早にお礼を告げて、ボクは慌てて席を立つ。
「まああ、阿川さんはどちらに?」
港小夜子からすれば、至極当然な質問だ。
「ひと駅先にあるひまわり畑です」
「ああら、それはいいことね。きれいなお花は刺激になりますわ。ところで、葉山さん。ひまわりの花言葉をご存じかしら?」
にこりと微笑む港小夜子。いつもの氷の微笑ではなく、華やかな笑みを浮かべている。それはそれで怖いのだけれど……。
「あこがれ、情熱、あなただけを見つめる。ですよね?」
恐る恐る、ボクは答えた。
「そのとおりですわ、葉山さん。でもね……」
でもね……とは?
「それには先がありましてよ。ご存じかしら?」
先……とは?
「いえ……すみません」
「いいのよ。九百九十九本のひまわりには、『何度生まれ変わってもあなたを愛す』という意味がありますの……」
何度生まれ変わっても?
それはまさしく、輪廻転生を肯定する花言葉。有友涼平がボクをひまわり畑に誘ったのは、これを伝えたかったのかもしれない。
それと同時に、おばあちゃんを思い出す。あの日の横顔を思い出す。厨房を見つめる寂しい笑顔を。
ひと目だけでも会わせたい。おじいちゃんと会わせてあげたい。それが、『リアリティ』の原点だった。
「いいこと、葉山さん。それを知って愛でるひまわりと、漠然と眺めるそれとでは……大きく印象が変わるものですわ。阿川さんと、しっかり心に刻んでいらっしゃい」
「はい、ありがとうございます」
港小夜子に頭を下げると、ボクは部室を後にした。メールに添付された地図を開く。そこなら、歩いて十五分……か。じゃ、歩こう。オタがボクを待っている。
「お嬢ちゃん。ちょっと、いいかな?」
五分ほど歩いたところで、しわがれた声に立ち止まる。もしかして……ボクのこと?
「そこの、こけし頭のお嬢ちゃん」
「───こけ!」
そのときボクは悟ってしまった。オタの比喩は正しいのだと。そして……なにげないひと言が、人を深く傷つけることもあるのだと。
こけしは嫌だ、髪を伸ばそう!
「はい?」
歩道の端っこに座っている老人が、顔をクシャクシャにしてボクに訊く。
「この近くに、ひまわり畑があるらしいのじゃが? 知らない?」
フランクな態度にちょっとムカつく。でも、こんな偶然もあるんだな……。
「今、そこに向かっているところです。よろしければ、ごいっしょします? ひまわり畑は、あっちですけど?」
これもなにかの縁である。ボクが進行方向を指さすと、
「八十を過ぎての、同伴も悪くない」
同伴とは?
ひょいと立ち上がって、テクテク歩き始めた老人の、身のこなしが忍者のようだ。
「えぇ……速っ!」
てか───この老人。見た目に反して俊足だ。焼けたアスファルトの上を、流れるように歩いている。もしかしたら、ボクより速い? 慌ててボクも歩速を上げた。
「お嬢ちゃん。彼ピッピと、待ち合わせ?」
さすがは老人。フランクを飛び越えて、コンプラさえもお構いなしだ。
「いえ、友だちと……つーか、同伴ってなんですか?」
「ひゃっひゃっひゃ───」
ボクは変な質問をしたのだろうか?
「じゃ、加速しちゃおっかなぁ~」
ありえねー。
小柄な老人の足音が、テクテクからスタスタへと変化した。頭の位置が一定の高さに保たれて、歩く姿に無駄がない。もしかして……あなたは、武道の達人ですか? そんなことまで思ってしまう。
「おじいさんも、待ち合わせですか?」
場を繕うように問い返す。
「まぁ……そんなもんよぉ、幼馴染みとな。ただぁ───」
どうやら、『おじいさん』の響きが気に入らなかったようだ。さらに、老人が加速した。
「ちょ、ちょ、ちょ───」
老人を追いかける、ボクのおでこが汗ばんだ。
「幼馴染みって、昔の彼女……とかですか?」
これくらい訊いてもいいでしょ?
「毎年な、何年も。ひまわりを『見に来い、見に来い』ってうるさくてな。それがついに先月、おっ死んじまった。ずっと待ってるって……バカな女だ」
その口ぶりに、ボクは少しムカついた。女を待たせる男はクズだ。
「バカじゃないですよっ! だって、九百九十九本のひまわりの花言葉は───」
「お嬢ちゃん」
老人が、ボクの言葉を遮った。
「それを野暮と呼ぶんじゃよ。そんなこたぁ~、わかっとる。お嬢ちゃんには、わからんだろうが、五十、六十は、はな垂れ小僧。人にはな。それぞれ、事情ってのがあるもんだ。ひとつだけ言えるのは、死んだもんは帰っちゃこねぇ~、それだけよ」
老人の寂しい笑みが、あの日のおばあちゃんと重なった。
「あ、すみません。そこ右です」
「ひょう~っ、絶景かな!」
住宅街を右に曲がると、ボクの目に黄色い絨毯が飛び込んだ。
「すごいですねぇ!」
ひまわりの花で埋め尽くされた、その空間だけが異世界だった。おじいさんは幸せ者だなぁ……なんとなくそう思った。
「有友君だ!」
ひまわり畑の門番のように、有友涼平が立っている。でも、オタの姿がどこにもない。ボクは目でオタを探した。
「ありがとちゃん。じゃ、ここで」
老人が、ボクを見上げて右手を上げた。
「はい?」
ひまわり畑はそこなのに……。
「あの青年が、お嬢ちゃんのいい人だろ? 邪魔者は退散するさね。こっちは、こっちで、よろしくやるから。次は四国でお遍路なんよ」
少し照れたようにそう言うと、老人の足が加速した。もう、ボクの足では追いつけない───この人、何者? ボクは老人を呼び止めた。
「あの、ボ……私は、葉山貴美子と申します。おじさんのお名前は?」
見ず知らずの人に名前を訊くのは、失礼なのかもしれないけれど……でもボクは、老人の名を知りたくなった。
「雪風にたなびく……柳じゃよ、柳雪心。もう、会うこともなかろうが、達者でな。ひゃっひゃっひゃ……」
刹那に小さな背中が大きく見えた。その足取りは羽のように軽く、跳ねるようで音もなく、ひまわり畑に消えてゆく……お元気で、柳さん。ボクは小さく手を振った。
よし、もうちょっと!
小走りで、ボクは有友涼平の元へ駆け寄った。
「葉山さん、ご足労をおかけしました」
ペコリと頭を下げる有友涼平。
「オタは? オタはどこ?」
ひまわり畑に、オタの姿を探すボク。
「ここですよ」
有友涼平が、自分の背中を指さすと、
「ご……ごめんなさい……うちはとても反省しています。だから、うちを嫌いにならないで……」
彼の背中から、オタの顔が半分見えた。か細い声で謝っている。
「もう、オタ! 心配したんだからねっ!」
ボクはオタを抱きしめた。肌に伝わるオタの鼓動が、ようやくボクを安心させた。この、この、このぉ~。子猫の頭を撫でるように、オタの頭を撫で回すと、ふわりとシャンプーの香りが広がった。
「怒ってない? 怒ってない?」
ボクを見上げて、オタが訊く。
「怒ってないよ。さっきね、さよちゃん先輩とエントリー済ませてきた。それもこれもオタのお蔭だよ。怒ってないよ、感謝だよ」
「ほんとに? ほんとに、ほんとに?」
オタの口角がにーっと上がる。それに連動して、大きな丸いメガネが動いている。ボクはメガネのフレームに指を当て、ちょうどいい位置に動かすと、オタの口角がさらに上がった。
「……よかったぁ~。うち、どうしようかと思ってたの。そうそう、そこにいたおばあちゃん。あのおじいちゃんを待ってたのね。おじいちゃんを見て、すごく幸せそうな顔をしてたよ。あのおじいちゃん、だれ? きみの知り合い?」
「え……まぁ……柳さん」
有友涼平に視線を向けると、彼が静かにうなずいた。そのうなずきでボクは悟った。オタには死者の姿が見えている……。
ボクの推測は、破綻した。
☆☆☆☆☆
同日、赤い夕日が沈む時刻。
文芸部の部室に、港小夜子の姿があった。キーボードに踊る白い指先が、繊細な旋律を奏でるピアニストのようである。放課後の静寂を破るかのように、部室のドアがゆっくり開く。
「まああ、どうなさったの? お忘れ物かなにかかしら?」
それを待っていたかのように、港小夜子が氷の微笑で出迎える。
「そうね、大きな忘れ物をしていたようね。もっと早く、こうすべきだったわ。港さん……あなた、なにを目論んでいるの?」
その刺々しい声に、港小夜子は動じない。動じぬままに、切り返す。
「ところで……空乃カナタの作品を、一度でもお読みになられたことがありますの?」
港小夜子の視線の先に、豊田ひかりの姿があった。その顔は、赤く夕日に染まっていた。

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