017 ラストチャンスのめんたいパン
阿川春花を語るなら、めんたいパンだけは外せない。有友涼平に幻のパンを食べさせたい。その一心で、お昼のチャイムが鳴ると同時に、彼女は教室を飛び出した。
「今日もダメでした……えへへへへ」
そのおどけた笑顔は、強がりだ。
「大丈夫だよ、明日があるよ。さっ、昼にしょうね───」
しょげるオタを励ますのも、一度や二度のことじゃない。励ましながら、ボクは奇跡に期待した。それが、叶わぬ望みだとしても……。
昨日の夕方、ひまわり畑からの帰り道。
「ねぇ~え、きみぃ。明日で購買が終わるの。うちの一学期の集大成は、めんたいパンなの。明日がラストチャンスなの」
「うん、そうだね……がんばって」
昨日は、そう答えてみたものの……今日も空振りに終わるだろう。パンを販売している購買は、二年の校舎にあるのだから。別棟の一年がめんたいパンを手に入れるのは、物理的に無理なのだ。それが一年生の間で、『幻のめんたいパン』と呼ばれる所以だった。
今日は、どうやって慰めよう……。
中庭でオタを待っていると、
「きみぃ、大好きぃ~!」
オタがボクの胸に飛び込んだ。
「なになに? どうした?」
「ほらっ!」
弾けるようなオタの笑顔とめんたいパン。待ちわびた、オタに奇跡が起きたのだ。ボクの目頭までもが熱くなる。
「よかったねぇ!」
「ぜーんぶ、きみのおかげだよぉ」
うん、それは違う。
「それは、どうだろう?」
「だって、これ。きみが購買のおばちゃんに頼んだんでしょ? いつもめんたいパンを買いそびれる、小さい女子に渡してって」
うん、それも違う。
「なんかごめん。それ、ボクじゃない」
もしかして、オタに好意を寄せる男子の仕業?
男子に人気の高いオタならば、それもあり得る展開だ。てか、今までそれがなかったことが不思議なくらいだ。そんな粋なことをする男子はだれだろう? ボクの興味はそっちへ向いた。
「だって、背の高い前髪パッツンの女の子からだよって、購買のおばちゃんが……」
女子なの?
「でも、ボクじゃない。ボクじゃないけど、そのパン。有友君に渡さなくてもいいの?」
「あ、そっか。ゴリラにパンを渡さなきゃ! ここで待ってて、すぐに戻るから。うちのお弁当、持っててね」
教室へ向かって踵を返すと、オタが全力で駆け出した。
「転んじゃダメだよ」
とっさに声をかけたけれど、オタの耳には届かなかった。小さな背中にボクは思う。
なにはともあれ、おめでとう……。
桜満開だった中庭で、初めてオタの顔を見て、初めてオタのお弁当を食べたっけ……そう思うと感慨深い。
この木の下で、ボクらは会った。
ほんの少し前の出来事が、遠い昔のように思われた。枝先の青葉を眺めて、想い出に浸っていると、豊田ひかりが通り過ぎた───背の高い、前髪パッツン。
もしかして!
「豊田先輩!」
直感的に、ボクは豊田ひかりを呼び止めた。
「なに?」
トゲトゲした返事がめちゃ怖い……それでも、ボクは訊かずにはいられない。
「あの……めんたいパンのことですけれど……」
「いけなかった?」
豊田ひかりの、そっけない返事に萎縮する。
「そういうわけではなくて……昨日、あんなことがあったので……」
「だから?」
「いえ……まぁ……」
ボクが気まずくしていると、豊田ひかりが話題を変えた。
「読んだわよ、空乃カナタ」
ゲッ、読んだの?
相手は豊田ひかりだ。なにを言われるかわからない。
「昨日、あれから部室に戻ったの。ひと言、港さんに忠告したくてね」
忠告……とは?
「葉山さんと阿川さんを、特別扱いするのはよくないって。週一だけの活動だなんて、同じ部員としてあり得ないわ。葉山さんは、どう思ってるの?」
「…………」
ボクには返す言葉が見つからない……が、微かに豊田ひかりの口元が緩んでいる。
「港小夜子はね、私とこだまにとっての目標なの。県立如月高校文芸部にとっての自慢なの。悔しいけれど、あこがれ……そう言い換えてもいいくらい。その私たちを差し置いて、葉山さん。あなたに入れ込む姿が憎々しいの。どうして? なぜ? あたなの? 私だってがんばっているのに……ってね」
「…………」
「ところで───」
突如、豊田ひかりが話題を変えた。
「結城ちせを知ってる?」
「文王の人……ですよね? お噂だけは……」
結城ちせとは、黎明期のノベルンを支えた作家のペンネーム……らしい。絶大な人気を誇り『文王』と称される存在となった……らしい。数年前に予告なく、彼女のアカウントは消滅した……らしい。
「彼女の作品を読んだことは?」
「ありません」
今現在、ノベルンで彼女の作品を読むことはできない。新参者のボクにとって、結城ちせの存在は都市伝説のようなものだった。
「そうなの……認めるしかないようね……」
認める……とは?
豊田ひかりの大きなため息。口元からも緩みが消えた。ボクは地雷を踏んだのか?
「これ、新作の参考になるかもよ」
胸のポケットから、豊田ひかりがメモを差し出した。几帳面なキレイな文字が印象的だ。
「昨夜、こだまとAIに調べさせたの。輪廻転生を描いた小説のリストよ。メジャーな作品はあたなたでも調査できるでしょ? だから、だれの目に触れることもない、マイナーな作品ばかりを選んだわ」
あまりの予期せぬ事態に、ボクの脳が混乱している……。この人、なにを言ってるの?
「ありがとう、ございます」
わけのわからぬままに、ボクはメモを受け取った。このまま解放……とはならない。
「それと、葉山さん。この場で宣言しておくわ」
宣言……とは?
「葉山さん。昨日のこと覚えてる? ノベルン大賞、私たちも全力で挑ませてもらうわ。あなたの担当者があれじゃ面白くないのよ、フェアじゃない」
これは宣言なんかじゃなくて、AIコンビからの宣戦布告だ。
「だからパンは、阿川さんへのお詫びの気持ちよ。楽しみにしてるわ、あなたの新……噂をすればってやつね……タイミングの悪い子ね……」
豊田ひかりの視線の先にオタがいた。こっちに向かって、猛スピードで駆けてくる。
「まてぇ~っ!」
ボクと豊田ひかりとの間に割り込んで、パッとオタが両手を広げた。
「出たなっ! ジャイアントこけしぃぃぃ!」
本郷猛のような野太い声で、ジャイアント……なんかそれ、ボクの胸に刺さってる。それよりも、誤解を解くのが先決だ。
「オタ、いったん落ち着こう」
ボクがオタをなだめると、
「殴られてない? 痛くない? ここは?」
我が子の身を案ずる母のように、オタがボクの体をあちこち触る。それに、豊田ひかりが吹き出した。
「ぷっ、阿川さん。その様子なら大丈夫そうね。これで貸し借りなしってことで。早くお昼ごはん食べなさいよ。じゃ、私はこれで」
そう言うと、豊田ひかりは二年の校舎に姿を消した。緊張感から脱したボクは、ぼんやりと二年の校舎を見つめていた。
「ねぇ~え、きみぃ。戻ってきたり……しないよね?」
不安そうな面持ちで、オタは二年の校舎から目を離さない。
「ねぇ、オタぁ……めんたいパン。豊田先輩からだったよ。それと……結城ちせって知ってる?」
ぼんやりと、ボクは問う。
「ノベルンの?」
「そう、ノベルンの文王」
「小さいときに、読んだことあるけど……え? ジャイアントこけしが、パンくれたのぉ~? お金、渡さなきゃだよねぇ……」
お金は渡さないとだよね。それと、ジャイアントこけしは、やめようよ……。
「そうだよね、渡さなきゃだよねぇ……で、どんな小説を書くの? 結城ちせって人」
「う~ん……これ、言っていいのかなぁ~」
オタの視線が空へと移った。猫のおじさんといっしょに眺めた、かげおくりの日のように。
「えっとね、同じ香りがしたよ」
文章から香りがするのか……オタらしいなと、ボクは思った。
「だれと?」
オタと同じ空を見つめて問うてみる。
「うちの先生……じゃん」
蒼穹の青を切り裂くように、ひこうき雲が伸びている。どこまでも伸びた白線に、長い夏を予感した。

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