025 オタの魔法のお弁当
オタの告白から一夜が明けた。朝の散歩で『工藤凜』の名を出すと、いろはさんの口数が減っていた。
やはり、ふたりは……そう思った。
「おはようございます、工藤さん」
「おはよう、葉山さん」
ファミレスでの一件を、カオルちゃんは伏せたのだろう。工藤凜の様子に変化はない。
「工藤さんは、今日も別行動ですか?」
「いや、今日は三人。三階のフードコートの床ワックスやるから。わからないことがあったら、なんでも訊いて」
「はい」
その表情は薄く多くを語らず。かといって、すべてを拒むわけでもなくて、口数こそ少ないけれど、ボクの質問にも答えてくれる。その言葉選びが的確で、やはり書く人なんだなとボクは思った。
今日の現場に昨日のような囲いはない。午前中に床を仕上げて、午後から営業を再開するからだ。
にしても、この広さ……。
「午前中で終わるんですか?」
うん、やばいくらいの面積だ。不安が隠せないボクに、宝塚のトップスターのような口ぶりで、
「ダブル工藤の手際をご覧あれ!」
カオルちゃんが軽やかに笑う。その芝居めいた振る舞いが、買い物客の目を引きつける。ホントこの人、オーラが違う。
「せからしか! カオルはちゃんと仕事ばせんねっ」
開幕早々、カオルちゃんに活を入れる工藤さん。
「はぁ~い。はい、はい」
ふてくされるカオルちゃんに、工藤さんが釘を刺す。
「何度も言わせるな。『はい』は、一回! 」
それが、反抗期の娘と父親との会話のようだ……ぷっ。
「貴美子ちゃん。工藤ちゃんがうるさいから、こっちの通路に机を運ぶの手伝って」
「はい」
カオルちゃんと椅子と机を運んでいるうちに、どこからともなく工藤さんが秘密兵器を押してきた。これがあるなら百人力だ。
「あれ、スクラバーですよね?」
スクラバーとは、床洗浄と汚水処理を同時に行う自動床洗浄機のことである。スクラバーは高価な機器で、お母ちゃんの会社にはない代物だ。どおりでカオルちゃんが余裕なはずだ。これさえあれば半日もいらない。
「よく知ってるね、そうだよ」
スクラバーの準備をしながら、工藤さんがボクに言う。
「初めて見ました、スクラバー。お母ちゃんが欲しがってた機械です。これが実物なんですね……」
こんな機会は滅多にない。もしかしたら、これが最後になるかもしれない。細部に渡って、スクラバーを眺めていると……。
「葉山さん、やってみる?」
工藤さんが、にこりと笑う。
「え、いいんですか?」
「これも勉強だ。将来、小説の役に立つだろうからね。体験に勝るものはないよ」
「はい!」
工藤さんから簡単な操作説明を受けてから、ボクはスクラバーを動かした……てか、押すだけだった。なのに、スクラバーが通ったあとの床がピカピカだ。ダブル工藤は壁際の床を磨いている。壁際は、スクラバーでは処理できないからだ。普段のふたりはおっとり系男子なのに、今は猛烈な勢いだ。
でも、なんで?
ボクには大きな疑問があった。昨日の作業は、カオルちゃんひとりで十分だった。今日もダブル工藤で難なくやれる。どう考えても仕事量に対する人員が多すぎる。そんな現場にボクを放り込んだお母ちゃんの目的は? まぁ、ノートパソコンが手に入るからいいけれど……。
「終わりました。これでいいですか?」
「キレイにできたね。じゃ、スクラバーを預かろう」
そう言って、工藤さんがスクラバーを片づける。カオルちゃんは、ワックスがけの準備に入った。これから仕上げになるのだけれど、ボクはワックスを塗ったことがない……ふたりはテキパキと働いているのに、やることがわからない、ボクだけが浮いていた……なんか、気まずい。
「これから、工藤ちゃんとワックスを塗っていくから。そこから貴美子ちゃんは、お客さんが入らないように見張ってて」
渡りに船とはこのことだ。やることができた、助かった。
「はい!」
通路に目を向けると、夏休みの駅ビルは親子連れであふれていた。どうしたところでボクらは目立つ。嫌でも子どもたちの興味を引く。もう、どうしよう……あの子もこの子も獲物を狙う猫のよう。乾いた緊張感だけが、ボクの心を支配していた。
「ねぇ~え、きみぃ」
どこからともなく、オタの声が聞こえたような……てかっ!
「そこから一歩も動かないで!」
ボクはとっさに声を上げた。
「なんで?」
キョトンとした顔でオタが言う。
「こっからこっちは、ワックス塗り立て!」
オタに気づいた、ダブル工藤の視線もきびしい。
「ご、ごめんなさい」
オタがカチカチに固まって、その場で動けなくなっている。ボクはオタのところまで近づいた。ワックスを踏まないよう慎重に。
「オタ、どうした? ひまわりは?」
今はバイトの時間でしょ?
「お弁当を作ってきたの。琴音ちゃんが『いいよ』って言ってくれたの。さっきね、カスミちゃんと会ったの。ここにいるって、教えてくれたの……」
か細い声で、オタが言う。
「それ、工藤ちゃんにかい? ちょっと待ってて。もうすぐ終わるから」
さっきの鋭い視線はどこへやら? ふにゃりとした笑顔のカオルちゃん。キュートな笑みを浮かべている。
「工藤ちゃんのだけじゃないもん! みんなのも、あるし」
よく見ろとばかりに、オタが背中のリュックを指さした。ピンクのリュックがパンパンだ。
「じゃ、みんなで食べよう。なっ、工藤ちゃん」
カオルちゃんが工藤さんに向かって右目を閉じた。オタの手作り弁当となれば、工藤さんも断れない。
とはいえ、オタは休憩室に入れない。ボクらはボクらで、指定された場所以外での飲食は厳禁だ。必然的に駐車場へ移動する。そう、三人でかげおくりをした駐車場。そこに、ダブル工藤のワゴン車があるからだ。
「ハルカちゃん、どうぞ」
カオルちゃんが、車内へオタをエスコートすると、
「うわぁ~、キャンピングカーみたい」
オタが歓喜の声を上げている。
たしかに……広々とした車内がキャンピングカーを思わせた。広くて静かな車内は本を読むのに快適だ。
なのになぜ? 工藤さんは、喫茶ひまわりに通うのか?
オタもそれに気づいている。そんなことは様子でわかる。気づいていながら、おままごとをする幼女のように、
「これは、カオルちゃん。これは、工藤ちゃん……」
オタはお弁当を配り始めた。
「これは、きみので、これはうちの」
オタはちゃっかり、自分のお弁当も用意していた。
「ひとりひとり、おかずが違うね?」
不思議そうなカオルちゃん。ボクも同じ疑問を抱いていた。
「そうだよ。これは、魔法のお弁当だから」
オタが『えっへん!』みたいな顔で言う。
「どれどれ……貴美子ちゃんのは、ウィンナー、玉子焼き、ミートボール……女の子らしいね。俺のは、和風弁当だよ。シャケなんて、こっちへ来てから初めてだよ」
オタのお弁当に、驚きが隠せないカオルちゃん。
「カオルちゃんはね、きっと、外食ばっかだと思ったの。だから、幕の内っぽく作りました。きみのはね、きみが好きなのばかりだよ。工藤ちゃんのお弁当にはね、特別な魔法をかけたの……工藤ちゃん、開けてみて」
「あぁ……」
オタに即されて、お弁当箱を開く工藤さん。
「どうして、これを?」
オタの弁当に大きく反応したのは、工藤さんではなくカオルちゃんだった。ついでに言わせてもらえば、そのチョイスはどうだろう? ボクは目を疑った。
「工藤ちゃんの大好きなおかず、あの子が教えてくれたんだぁ~。あの子に、メールで教えてあげたんでしょ?」
工藤さんが、お弁当を見つめている。
「あの子が教えてくれたのかい?」
その口調は穏やかだった。またもや、ボクの勘は外れたようだ。工藤さんはオタの能力を知っていた。
「そうだよ、昨日ね。工藤ちゃんが店から出るときに……あ、デミグラスハンバーグもあったけど、工藤ちゃんの健康のことも考えて、こっちにしてねって言われたの。それと、急激に血糖値が上がらないように、ゆで玉子から食べてね……だって」
「そっか、ありがとう。これ、うまかね……」
工藤さんは、黙々とオタのお弁当を食べている。
あぁ~、カオルちゃんのお弁当が塩味たっぷりになっている。このままじゃ、せっかくのメイクが崩れちゃう。そっとボクは、カオルちゃんにポケットティッシュを差し出した。
それにしても、オタの言う『あの子』とは……オタには若い姿で見えているだけで、彼女は工藤さんの母親ではないのだろうか? そんなこともあって、カオルちゃんはボクにお母ちゃんの話をしたのかも? それは、訊くに訊けないことだけど……。
「ごめん、ごめん。年寄りは涙もろくていけねぇ~な」
カオルちゃんの泣き笑いに、ダブル工藤の絆が見える。
「そんなにキレイな年寄りなんていませんよ……ぷっ」
ボクは冗談で場を和ませた。
オタに気を許したのだろう。工藤さんの表情が明るくなって、口数も少しだけ増えていた。
「また、お弁当作っても……い?」
「よかよ、よかよか」
オタの魔法のお弁当は、ちょっぴり苦くて、ちょっぴり甘い。愛情たっぷりのゴーヤチャンプル。それは、天国からの贈りものだった。

コメント