きみの読書感想文〝026 駅ビルの魔女〟

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026 駅ビルの魔女

 土曜日の夜、オタの部屋。

 ミニテーブルの上には、お菓子とジュース。それと、ボクの好物のたこ焼きが所せましと並んでいる。これから始まるパジャマパーティーに、ボクの胸は躍っていたのに……。

「ねぇ~え、きみぃ……大切なお話があります」

 オタの神妙な面持ちに、もしかして……彼氏ができた? それが脳裏をかすめたけれど、どうやらそうではないらしい。かといって、宇宙人の知り合いがいるとか、未来人の友だちができたとか、そんな奇想天外なことでもない。

「うちは、あいつらの尻尾をつかもうとしていました。やっぱり許せなかったの。だって、あいつらが───」

 オタは、ボクを誹謗中傷した人物を探していた。でも、だからって……。

「オタ、よく聞いて。それは終わったことだし、ネットの向こうの人なんてわからないよ。もう、関わりにならないでっ!」

 ボクの語尾が強くなる。

 オタの気持ちがうれしかった、抱きしめたくなるほどに。でも、ネットに潜む住民がいい人ばかりとは限らない。相手は他人を誹謗するような人間なのだ。素人の犯人捜しは、あまりにもリスキーだ。オタの身になにかあれば、ボクは悔やんでも悔やみきれない。

「てか、オタ。逆恨みとかされたら、どうすんのっ!」

 怒ったつもりはなかったけれど、丸いメガネの向こうで、オタの大きな瞳が泳いでいる。

「さ、最初はね。ゴリラが調査をしていたの。空乃そらのカナタを守るんだって……」

 有友ありとも君が、ボクのために?

 胸に込み上げる熱いものを、ボクは必死に堪えていた。

「中学最後の春休みをね、ゴリラは犯人特定に捧げてた。でも、ゴリラにもダメだったみたい。入学式の少し前から、その話を避けるようになっちゃって。だから……」

 だから……とは?

「駅ビルの魔女にお願いしたの」

 駅ビルの魔女の噂は都市伝説のようなもので、おいそれと女子高生が接触できる相手ではないのだが?

「なんで、せつこおばさんを知っているの?」

「うち……中学のころから、せっちゃんのお店に通っていたから」

「古書店ポワロへ?」

「うん、ポワロ」

 茅森かやもりせつこは古書店ポワロの店主であり、おばあちゃんの高校時代の先輩でもある。いつも穏やかで上品で、どことなく欧州の雰囲気を感じさせるのは、古典ミステリに精通しているからなのだろう。そしてまた、安楽椅子探偵あんらくいすたんていの顔も持つ。

 とはいえ、彼女が依頼主に真相を語ることなど希である。お客にワインを選ぶソムリエのように、依頼主に一冊の本を選ぶだけ。その噂が本好きの間で広まって、依頼主があとを絶たない。いうなれば、知る人ぞ知る存在だ。

 幼いボクに、せつこおばさんがこう言った。

───いいこと、貴美子きみこちゃん。これはふたりだけの秘密よ。おばさんにはね、とても不思議な力があるのよ、ふふふ……。

 ミステリ小説で培った推理力を支えるのは、せつこおばさんの類い希なる能力だ。これまで出会った人物の顔を、彼女は決して忘れない。その程度なら、だれにでも……そう思われるかもしれないけれど、まるで一枚の写真のように、彼女は一度見た群像すらをも記憶する。

 それは、思考する監視カメラと同等……いや。それに好奇心と推理力とが加わるのだから、その能力は計り知れない。

───駅ビルにはね、たくさんの人が集まるでしょ? その中に、わたしのお店に来ていた小鳥たちが……そう、ひょっこり桜の季節に現れて、何年かしたら梅の季節に去ってゆく。そんな子どもたちの成長した姿を眺めるだけで、おばさんの心が癒やされるのよ、ふふふ……。

 彼女の頭の中には、駅ビルを利用する人たちの行動パターンが詰まっている。それが『駅ビルの魔女』と呼ばれる所以であり、裏を返せば、顔が見えない仮想空間とは勝手が違う。

 だからボクは断言できる。

「せつこおばさんにはネットのことはわからないよ。今だってガラホだもん」

「うん、うちもそう思った。でもね、せっちゃんから連絡があったの。きみに折り入って話したいことがあるって。明日、うちとポワロに……行ける?」

 オタが困り切った子犬のようだ。いつもそう、いつだってそう……ボクはその顔に抗えない。

「うん、わかった。明日はバイトが休みだし。だから、もう……そんな顔しないでよ。オタのパパが焼いてくれた、日本一のたこ焼きが冷めちゃうよ。食べよう、食べよう。元気出してよ」

 せっかくのパジャマパーティーなのだ。ふたりで夏の夜を楽しみたい。

「オタ、おいしいよ」

 たこ焼きを頬張るボクに、オタがニコリとうなずいた。

「うん、ところでさ。さっきゴリラの話をしたとき……」

 それは、いい───。

☆☆☆☆☆

 翌日。

 オタといっしょにポワロへ行くと、レジに見慣れぬ猫がいた。自動ドアのガラスの向こうで、黄色い瞳がこっちを見ている……てか、ボクのことを睨んでない? うーん……どうしよう。ひまたんの猫パンチの記憶が、ボクの気分を重くする。

 自動ドアが開くと同時に、

「ポーちゃ~ん」

 オタが黒猫に声をかけた。

「にゃ~」

 今、猫がオタに返事した?

 返事したよね?

 大きなあくびをしたかと思うと、黒猫がレジから床へ飛び降りた。長い尻尾をピーンと立て、テテテな感じで歩いてくる。オタはその場にしゃがみ込んで、大きく両手を広げている。すると、どうだろう……黒猫がオタの胸に飛び込んだ。オタの肩につかまって、小さな顎を擦りつけている。こんなのネット動画でしか見たことない。

「オタ、よく来るの?」

「うん。バイトの前後にちょっと寄ってる。だってこの子、うちの猫なの。ねぇ~、ポーちゃん」

 オタに抱かれた黒猫が、訝しげな目でボクを見る。有友君ちのひまたんといい、この子といい……どうやらボクは、猫に好かれないようである。

 もしかして……ボクの体臭が原因かも?

「オタ、ボクから変な匂いしてない?」

 オタがボクに近づいてクンクンと匂いを嗅ぐと、黒猫もオタといっしょに鼻をピクピク動かしている。

「きみからは、フローラルの香りがしています。臭くはないよ」

「ホントに? 遠慮してない?」

「だったら、ゴリラを呼ぼうか?」

 それはダメ!

 てか、黒猫がボクの腕に頭を擦りつけているのだが?

「あれぇ~……ポーちゃん、きみが気に入ったのぉ。ねぇ~え、きみぃ。抱っしてみる?」

 よく見ると、黒猫の顔が穏やかだ。

「できるかな?」

「できるよ」

 恐る恐る、ボクはポーちゃんの脇に手を添える。ポーちゃんは動かない。ゆっくりと抱き上げると、思ったよりも軽くて、ふわふわで柔らかい。なんだろ? この子、可愛いじゃん。

「どうして、この子のことを教えてくれなかったの?」

「だって、きみ。ひまたんにも近づかなかったし……猫が苦手なのかなと思って言えなかったの」

 ボクは猫が好きだけど、猫がボクを好きじゃない。

 ついさっきまで、そう信じていたボクだけど、腕の中のポーちゃんが、今は愛おしくてたまらない。

「お店にはひさしぶりね、貴美子ちゃん」

 ポーちゃんの頭を撫でるボクに、せつこおばさんが近づいた。

「せつこおばさん、おひさしぶりです」

 中学に入ると勉強もあるし、晩ご飯の手伝いもあって、ボクの足は古書店ポワロから遠のいていた。でもそれは言い訳で、いつでもどこでもノベルンが読める、スマホを手にしたことが大きかった。

「貴美子ちゃん、こっち、こっち。さっそくだけど、奥の部屋へ……さっちゃん、店番よろしくね」

 さっちゃんは、せつこおばさんの姪で、結婚を機にこの店で働き始めた。ボクが小学生のころからだから、務めて六年くらいになるだろう。

「あとでね、ポーちゃん。ママに抱っこしてもらってね」

 ボクはオタにポーちゃんを渡す。

「せっちゃん、うちは?」

 ポーちゃんを抱き上げながら、オタが訊く。

「貴美子ちゃんとお話が終わるまで、ハルカちゃんはポアロの相手をしてちょうだい」

「でも……」

「終わったら、ハルカちゃんも呼んであげるから。いっしょにクッキーを食べましょう」

 不服そうなオタをなだめる、せつこおばさん。

「わかった! でもね、終わったら呼んでよね。すぐによっ!」

「はい、はい」

 この会話だけでも、ふたりの親密度がよくわかる。

「貴美子ちゃん、中に入りましょう」

「はい」

 分厚いガラス板で仕切られた部屋は、楽器練習室のように外部へ会話が漏れることはない。部屋の中はシンプルで、テーブルと椅子だけが置かれている。

「貴美子ちゃんは、こっちに座って」

「はい」

 ガラスの向こうで、オタがボクに手を振っている……可愛いな。

「あの子は? ポーちゃん」

「あの子はね、ハルカちゃんが保護した猫よ。雨の日にね、あの子を抱いたハルカちゃんが、お店の前をうろうろしていてたの。どうしたの? って、声をかけたら……この子のお家を探しているって。だから、うちで預かることにしたの」

 預かる……とは?

「ハルカちゃんは、将来富豪になるそうよ。だから、ハルカちゃんがお家を建てるまで、あの子を店で預かることにしたの。古書店ポワロの看板猫だから、名前はポアロよ」

 以前にも思ったけれど、喫茶ひまわりのバイト料では……おばあちゃんも大変だ。

「それ、いつの話ですか?」

「ハルカちゃんが中学のころだから、二年くらい昔のことよ。うちの店は立ち読みが自由にできるでしょ? ハルカちゃん、熱心に本を読んでいたわ。でね、気づいたの……あの子、いつもお腹を鳴らせていたの。なにも言わないけど、察しはつくわ」

 あ、あのころか……。

「だからクッキーを焼いてあげたの。そしたら、毎日のように通うようになってね。琴音ことねちゃんの店でバイトをするようになってからも、ポアロの顔だけは見に来るの。可愛いわ」

 思えば、ボクとオタとの付き合いは、半年にもなっていない。ボクの知らない阿川春花あがわはるかがいても、それは仕方のないことだ。

 コン、コン、コン。

 ガラスをノックする音が三回鳴って、さっちゃんがお茶を運んできた。

「貴美子ちゃん、ひさしぶりね。おばさん、寂しがってたわよ。たまには、お店にも顔を出してね。貴美子ちゃんは、オレンジジュースでよかったかしら?」

 ふと見ると、さっちゃんのお腹が大きくなっている……え? そうなの?

「あ、はい……ありがとうございます」

「おばさんには、いつものお紅茶を」

 さっちゃんが、テーブルにティーカップを置くと、

「メルシー」

 せつこおばさんが、会釈をしながら微笑んだ。

「それじゃ、貴美子ちゃん。ごゆっくり」

「ありがとうございます」

 さっちゃんが部屋から出るのを見計らったように、

「さっちゃん、もうすぐ赤ちゃんが生まれるのよ」

 ヒソヒソ声でボクに言う。

「やっぱり、そうだと思いました。でも、違ってたらと思うと訊けなくて……あとで『おめでとう』を言わなくちゃ」

 つられてボクもヒソヒソ声だ。

「そうね、言ってあげて。さっちゃんも喜ぶわ。ところで、貴美子ちゃん。どうして髪型を戻したの? とてもステキだったのに」

 それは、想定内の質問だった。ファミレスでオタが告白した日。偶然、せつこおばさんと会ったから。

「ちょっと、わけありで……」

 せつこおばさんは、グイグイ来るタイプじゃない。これで適当にごまかせる……はずだった。

「そうね、夏祭りだものね。花火大会でお披露目するの? あの背が高い……」

 ちょっと待って!

「ファミレスの彼に」

 ななななな───。

 あんなに気を配って店を出たのに、せつこおばさんに見られていたとは。

 なによ、これ。

 顔が熱い。

「彼じゃないですよ、文芸部の同級生です」

「そうなの……ふたりともモデルみたいな長身で、並んで歩く姿がお似合いだったわ、ふふふふふ」

 壁に耳あり障子にせつこ。駅ビルの魔女には敵わない。

「楽しいこと、うれしいこと。ワクワクすること、辛いこと。人生にはね、いろいろあるわ。ポワロに来なかった三年のうちに、貴美子ちゃん。すっかりお姉さんになっちゃって、おばさん、それがうれしいの。ハルカちゃんからの依頼があって、貴美子ちゃんの小説も楽しめた。ノベルンは顔の見えない世界だったけれど、みんな文章がお上手だから、すぐに特定できちゃった」

 せつこおばさんが、とんでもないことを、あっさりと言った。

「できたんですか、特定?」

 行間から推理したの?

「えぇ、でもね」

 でもね……とは?

「貴美子ちゃん。すべては、あなたの小説が発端よ。言い換えれば、あなたの才能から始まった」

 また、それか……。

「ボクに才能なんてありません。買いかぶりもいいとこです」

「空乃カナタからすれば、そうかもしれない。でもね、あなたの文章が多くの人を動かした。それは事実よ、自覚しなきゃ」

 これも、また……。

「この案件は、糸が絡み合うように複雑だったの。だから、短絡的に結論は出せない。もつれた糸をほどかないと、本当のことはわからない。だから、貴美子ちゃんにもハルカちゃんにも、遅くなって申し訳ないと思っているわ」

「いえ……」

 一方的に謝られても、ボクの方が困ってしまう……。

「貴美子ちゃん。もうすぐ、本人が名乗り出るわ」

「名乗り出るって、近くの人ですか?」

「それは言えない。その前に、すべての謎が解けるはず」

「どういうことですか?」

「それも言えない。その代わり、この本を差し上げましょう」

 テーブルの上に、せつこおばさんが本を置く。その表紙には……。

「アガサ……」

「貴美子ちゃんには、この本を読んでほしいわ。そして、考えてほしいの。あなたが導き出す答えひとつで、あなたの人生が大きく変わるから。さぁ、この本を手に取って」

「はい……ありがとうございます」

 ボクには、せつこおばさんの言っている意味がわからない。手に取った本の表紙を見つめるばかりだ。

「お話はこれだけよ。ほら、ハルカちゃんが心配そうにしているわ」

 せつこおばさんが指さすガラスに、オタがへばりついている。ポーちゃんは、オタの背中にぶら下がっているようで、オタの肩に小さな前足だけが見えている。

「入っていらっしゃい」

 せつこおばさんが手招きすると、オタが子犬のように部屋の中に駆け込んだ。

「犯人、だれ?」

 開口一番、ボクに訊く。

「わかんない……でも、これ」

「アガサかぁ……これはねぇ~」

 さすがはオタ、読了済みって顔である。

「ハルカちゃん、言っちゃダメよ。ネタバレなんて、作家への冒涜だわよ。その代わり、貴美子ちゃんの夢を教えてあげるわ」

 ボクの夢……とは?

「なに、なに、教えて」

 オタに尻尾があったなら、大きくビュンビュン振るのだろう。

「貴美子ちゃんの夢はね、お姫さま抱っこなの」

 お姫さま?

「え? ボク、そんなの知らないし、言ってないです」

「言ってないの? きみ」

 オタがボクの顔をのぞき込む。

「言ってない、言ってない。言うわけないよ、信じてよ」

 今どき、お姫さま抱っこって。そんなの幼稚園児だって言わないよ。ボクは全力で、その発言を否定した。

「そうなの? 忘れちゃったの? 幼稚園のときに、貴美子ちゃんが言っていたのよ。ヤスさんのお嫁さんになるとき、結婚式でお姫さま抱っこしてもらうって、ふふふふふ……可愛かったわぁ」

 そんな昔のことを、今さら……言う?

「お姫さま抱っこ……す、スクープだっ!」

 オタの右手が素早く動く。

 ボクはそれを見逃さない。

「オタ、スマホはダメだよ。ぜったいに知らせないで!」

 オタの右手がピタリと止まった。

「どうしてわかったの? まさか……未知の能力が発動したの? スプーンとか曲げられる?」

 オタが、ちょっぴりうれしそうだ。けれど、その程度のことならもうわかる。

「スプーンなんて曲がんない。オタだって将来富豪になるんでしょ?」

 ここぞとばかりに反撃すると、さもありなんとばかりにオタが言う。

「なるよ、富豪」

 それどころか、不敵な笑みを浮かべながら、メガネのフレームをくいっと上げた。

「そ……そう、ですか」

 なんだか返り討ちにあった気分だ。

「ホント、ふたりは仲良しさんね。ところで、貴美子ちゃん。折り入って相談があるの」

 相談……とは?

「なんでしょうか?」

「もうすぐ、さっちゃんが店に来られなくなるでしょ? 貴美子ちゃんさえよかったら、ポワロでアルバイトしてくれないかな~って、思っているの。琴音ちゃんにも伝えているのよ。で……どうかしら?」

 そう言って、せつこおばさんが両手を合わす。

 ボクの悩みがひとつ増えた。

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