飼い猫信長と野良猫家康(浮気発覚)

ショート・ショート
水曜日(猫の話)

 降り続く雨の中、茶色い猫は屋根に通った。友達と会うために。しかし、家康が姿を見せることはなかった。雨雲を眺めて信長は思う。きっと晴れたら、家康も姿を現すだろうと。

 翌朝。信長が窓の外を見ると、空いっぱいの青天だった。よし、晴れた。今日は家康に会えるだろう。信長は、ご主人様が準備してくれたカリカリを少しだけ残し、猫砂の上に用を足し、外の世界へ飛び出した。いわゆるこれが脱走である。

───いた! 家康だ。

 信長は、家康めがけて一目散に駆け寄った。

「家康ぅ! 家康、家康ぅ!」

「久しぶり。秀吉」

 いつもどおりの〝秀吉〟に、信長は少しうれしくなった。それでこそ、家康だ。

「信長じゃ!」

 信長は涙目だ。うれしくて、うれしくて、長いしっぽが震えている。

「なんで、ここに来んかったんや。俺……毎日、ここで待ってたんやで」

 信長の問いに、家康は無言だった。

「……」

 お前は、面倒くさい彼女か? 家康はそうツッコもうと思ったが、話がこじれるとややこしい。てか、コイツはナチュラルにややこしい。そう判断すると、家康は無言で縄張りの監視を続けた。家康に無視されても信長は諦めない。

「どこおったんや? 何してたんや? ご飯食べたか? 風呂入ったか?」

 信長の質問攻めが止まらない。それでも家康は無言に徹した。三日も縄張りを空けていたのだ。細部にわたって、縄張りの状況を把握するのが先決だ。温室育ちの家猫と、外で暮らすガチ野良とでは、生活の根本が違うのだ。家康は思う。お前の遊びに付き合ってらんねーわ。

 瓦の上で香箱を作った家康は、眼球だけを動かして置物のように動かない。自分の言葉に無反応な家康に、信長は業を煮やした。ゆっくりと前足を伸ばして、ピンク肉球を家康の頭に近づけた。家康は、その前足をヒョイとかわす。

「なにすんや!」

 パーソナルスペースに土足で入られた家康は、ムッとした目で信長を睨むと、信長の表情が和らいだ。

「よかった、生きてた」

「当たり前じゃ」

 家康が生きてることを確認すると、信長はさっきと同じセリフを口ずさむ。

「どこおったんや? 何してたんや? ご飯食べたか? 風呂入ったか?」

 ついさっき、こいつに同じセリフを言われたような……。家康は、既視感を感じながらも、信長の熱意に負けた。

「バイトや、バイトしてた。飯食べた、風呂入らん。そして、お前───なんか、うざい」

 家康の返事に、信長は有頂天だ。

「バイトてなんや?」

「家猫には分からんわい。身売りみたいなもんやな」

 監視の目を緩めずに、家康はそう言った。

「身売りて……あれか? イケナイあれか?」

 信長の顔から笑顔が消える。

「まぁ、そんなもんやな」

 家康からの告白に、信長の瞳が大きく開く。

「辛くないんか? うち、来るか?」

「なんでやねん? これがワシの生き様じゃ」

 うろたえる信長の声に、家康は動じない。

「どこの店でバイトしてたんや? キャバクラか? それとも……その上か?」

 信長は、家康が心配でたまらなくなった。

「ほれ、商店街にある『にゃんにゃんパラダイス』つー店や。ジッと我慢してるだけで、カリカリとおやつがもらえるんや。客にもよるけどな、結構、腹が膨らむで」

「触られるの、嫌やないんか?」

「そんなん、決まっとるやろ……」

 家康の目が空を眺める。

 年老いたキジトラ猫が、あんなことや、こんなこと。そんなことを人間にされたと思うだけで、信長の心は傷んだ。自分には……そんなの到底耐えられない。

「なぁ、家康ぅ。嫌いな客っているのか?」

 嫌いな客。その言葉に、家康の瞳が炎に燃えた。

「おるで───アイツは許さん!」

「どんなヤツや?」

 家康を辱めた人間を、信長は心から憎んだ。

「あの野郎、昨日も店に来たわ」

「どんなやつ? 男、それとも女?」

「おっさんや。年の頃なら40前後。変な柄の黒ティシャツにジーパン姿。アイツ、俺を掴まえて撫で回すんや。無理やりにやで。愛想笑いも出ぇ~へんわ。そのくせ、ちゅーるもケチるんやで。もう、最悪や。そういえば……お前と同じ匂いがしたな……」

 家康が信長の背中に鼻を当て、クンクンと匂いを嗅ぐ。

「お前と同じ匂いやな……間違いない」

 そんな人間……心当たり、ある。信長はそう思い、家康に質問を投げかけた。

「その変な柄って……人間の骨とちゃうか?」

「おう、人間の頭の骨やけど、知り合いか?」

 ビンゴだった。信長も、慌てて家康の背中の匂いをかぎ始めた。これはまさしくその匂い。

「お前かっ! 家康!」

 この数日。信長が感じた、ご主人様への違和感の謎が解けた。浮気発覚の瞬間である。

「なにがや?」

 家康には、信長の動揺が理解できない。

「その客、俺の御主人様やんけ! 最近、帰りが遅いと思ったら、お前の店に入り浸っていたんか」

「ワシの店とはちゃうけどな」

 もう、信長には家康の声は聞こえない。

「子猫ならまだしも、こんなジジイにうつつを抜かすとは、御主人様……許すマジ!」

 捨てゼリフを吐いて一目散に屋根を駆け下り、信長は自分の家に帰っていった。

「人間つーのは、そんな生き物やで。おっさんは罰ゲーム。やけど、ロン毛デカパイ姉ちゃんもおるからな……」

 屋根から信長の背中を眺めなら、家康はそうつぶやいた。傷心した信長を心配しつつ、家康は夕暮れまで縄張りの監視を続けた。家猫に構っていられるほど、外の世界は甘くないのだから。

 翌朝も晴天だった。海で仕留めた朝食を済ませた家康は、いつものように縄張りを監視する。

「家康ぅ!」

 信長の声に振り向くと、昨日のことなどすっかり忘れた、信長が立っていた。

「秀吉か……」

 そう言って、家康はニヤリと笑った。その傍らに、一匹の小魚が置かれていた。

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