後ろの席の飛川さん〝041 青コーナー。通りすがりのクソじじい! 柳雪心、八十三歳!〟

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 RAIDENライデンファンが言っていた。彼は、心ある司会者であり、讃岐の誇りであるのだと……。

 彼が奏でる言の葉は、優美あふれるポエムのようだ。その実況の詩的さに、いつしか人は、彼をポエマー鈴木と呼ぶようになっていた。

 驚くなかれ、彼は司会者でもなく、実況者でもなく、解説者でもない。彼は配達業務に従事する、RAIDENファンのひとりである。RAIDENからの要望があれば、無償でマイクを持つ男。それが、ポエマー鈴木なのである。

 ボクの目前で、讃岐の誇りと瀬戸の花嫁が、マイクを奪い合っているのだが? 会場にいる観客の中で、誰がこんな事態を予見できたか? とはいえ、ふたりの姿が父親とじゃれる娘のようで、会場内は爽やかな爆笑に包まれている。さりとて、見ているこっちが恥ずかしい。

 しばらくの小競り合いの後。女性スタッフの手によって、どこかへ連れていかれた飛川ひかわさん。何事もなかったかのように、ポエマー鈴木は冒頭からやり直す。予定されていたであろう文面の〝おとこ〟の文字を〝人〟に変えて。それは、心ある司会者からの優しさだ。

「それでは、準決勝。青コーナー、選手の入場です!」

 ポエマー鈴木の雄叫びを合図に、初音ミクの千年桜が鳴り響く。誰もが期待したのではなかろうか? ポエマー鈴木が指さす下手しもてから、瀬戸の花嫁が登場するのだと。

 期待に反して登場したのは、尾辻おつじさんといた和服姿の老人だ。舞台中央に設置された、アームレスリング台に向かって、とぼとぼと歩いている。

 間もなく、舞台の両サイドに設置されたモニターに、予選のダイジェスト映像が映し出された。老人に敗北した男たちの、狐につままれたような表情が印象的だ。曲のテンポに合わせるかのように、入場アナウンスが熱を増す。

「ワシを見て、ぬしらは何を思うのか。この小さき年寄りを、小馬鹿にしているのではなかろうか。五十、六十は、鼻垂れ小僧。老いぼれだとて、小童こわっぱにはまだ負けぬ。断じて負けるわけにはいかぬのだ。若者よ、ワシを見て学ぶがよかろう。何事であれ極めれば、弱者が強者を倒せることを───青コーナー。通りすがりのクソじじい! 柳雪心やなぎせっしん、八十三歳!」

 予期せぬ老人の登場に、会場は割れんばかりの拍手である。こういう状況に慣れないボクは、どう反応してよいのか困ってしまう。

 広瀬さんをお手本に。それは山々だけれど、彼女は置物のように動かない。きっと、飴玉でも舐めているのだろう。ホッペの肉だけが、膨らんだり凹んだりしている。

「よっ、やってんねぇ~!」

 尾辻さんが、ボクの肩に手を当てた。渡りに船とはこのことだ。

「あのおじいさん……柳さんでしたっけ? あの人は何者ですか?」

 それは、観客の誰しもが思うこと。

「柳先生は、言わずと知れた達人だよ。日本古武術、柳無手勝流やなぎむてかつりゅうの創始者だ。悪いけど、今回の優勝は柳先生に決まりだな。一般人には無名だけれど、格闘界で柳雪心を知らない人はモグリだよ。RAIDEN関係者も周知の事実だ」

 早口でコソコソと、ボクに耳打ちする尾辻さん。それは、如何いかがなものなのか?

「それって……素人の大会にプロが出場したのと同じですよね。武道家としての倫理観が、欠如してるように思えますけど?」

「そう来たか。これは倫理観というよりは、柳先生の好奇心なんだけどね……。だったら、黄瀬きせ君。ツクヨっちだって、同罪だと言えるだろうね。オレたち界隈からすれば、ツクヨっちもセミプロのようなものだから。この子もね……」

 尾辻さんが、広瀬さんをチラ見する。そういえば、柳さんが言っていた。広瀬さんは同業であると。

「それは、そうかもしれません。それでも、体格と筋力の差がありすぎです。ふたりがあそこに立つだけで、それは、奇跡のようなものですよ。あの映像は、フェイクですか?」

 これについて、彼はどう説明してくれるのか?

「そうかな? だったら、達人という言葉が存在する意味がない」

 平然と答える尾辻さん。

「黄瀬君。片手には、二十七個の骨がある。別の捉え方をすれば、骨のつなぎ目が急所だとは思わない? 武術を極めれば医学に通ずる。人体を知るために解剖学だって学ぶことになる。武術で鍛えるのは、筋力だけじゃないんだよ。あ、そうだ! 忍ちゃん。黄瀬君と腕相撲してくれね?」

「や!」

 尾辻さんと目も合わさずに、きっぱり断る広瀬さん。そのきっぱりさが、あっぱれだ。

「いいじゃん、減るわけでもないんだから」

 尾辻さんは諦めない。

けがれる」

 広瀬さんがボクの手を見て、汚れると言い切った! そんなに、この手は汚いの? そうだよなぁ。飛広とびひろコンビと出会ってから、ボクは嘘が上手くなったもんなぁ……呆然と、ボクが手のひらを見つめていると

「じゃ、オレとやろう」

 お情けなんていらないよ!

「もういいですよ。ボクなんて……尾辻さんに勝てっこないです」

 あ……なんだか悲しくなってきた。

「まぁまぁ、黄瀬君。これが腕相撲の必勝法だ」

 そう言うと、ボクの手のひらの中心に尾辻さんが親指を添えた。そして、尾辻さんの人さし指が、ボクの手の甲の一点を軽く押す。

「黄瀬君、オレの手を握ってみ?」

 あれ? 握力が……上手く力が入らない。

「じゃ、こっちは?」

 尾辻さんの人さし指が数ミリ動く。今度は、腕に力が入らない。

「黄瀬君、そういうこった」

 そう言って、尾辻さんがボクの頭をポンポン叩く。

「つまり、尾辻さん。勝負の勝敗を決めるのは、急所の奪い合いということですか?」

「お、黄瀬君。冴えてんねぇ」

 尾辻さんの目が細くなる。

「ここまでは、柳先生の予定どおりだよ。清々しいほど完璧だ。飛川月読は、柳雪心に騙された。引きずり出されたと言うべきか……」

「それって、どうい……」

 ボクの声を、ポエマー鈴木のイケメンボイスがさえぎった。

「続きまして、赤コーナーから選手入場です!」

 会場に昭和のイントロが鳴り響く。それは、真夏にそぐわぬ名曲だった。そう、ボクはこの曲を知っている。桃畑で何度も聞いた───これぞまさしく、雪国だ!

 上手かみてから登場する飛川さん。テテテと向かう行先は、ポエマー鈴木の前である。次は、何をやらかしてくれるのか? 何かを期待するかのように、観客の目は飛川さんに釘付けだ。ボクは、彼女の一言一句に憂慮ゆうりょを抱く。

 飛川さんがパーカーのポッケから、一枚の紙を取り出した。コピー用紙のようにも見て取れる。それを、ポエマー鈴木に手渡すと、深々とお辞儀をする飛川さん。その紙に書かれているのは、彼女からの謝罪文?

 神妙な面持ちで、紙に目を通すポエマー鈴木。歌がサビにさしかかる頃。「ぷっ」っと、ポエマー鈴木が吹き出した。会場内にどよめき走る。それは、期待に満ちたどよめきだ。

 あの紙に、何が書かれているのだろう……。

 雪国の間奏に体を揺らせ、二番の歌い出しを待つポエマー鈴木。そんな彼を、見上げ続ける飛川さん。その首の角度が痛ましい。好きよ、あなた……♪ ポエマー鈴木が手に持つマイク。それが、彼の口元へ向かって動き出す。

 とき、満ちる───。

「このタイミング待っていたぁ~!」

 飛川さんの文面を、ポエマー鈴木がイケメンボイスで読み上げる。

「私はその時を待っている。瀬戸の花嫁になる、その時を……」

 こともあろうか、この女。自ら入場演出しやがった!

 飛川さんの入場アナウンスが始まると、今日一番の大喝采が巻き起こる。それを合図に一歩踏み出す飛川さん。その堂々たる振る舞いたるや、闇夜を照らす月明かり。光あれば陰もある。とおみっつの少女が放つ、無邪気な笑みの裏側で、彼女は更なる策を練っていた。

 期、熟す───。

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