RAIDENファンが言っていた。彼は、心ある司会者であり、讃岐の誇りであるのだと……。
彼が奏でる言の葉は、優美あふれるポエムのようだ。その実況の詩的さに、いつしか人は、彼をポエマー鈴木と呼ぶようになっていた。
驚くなかれ、彼は司会者でもなく、実況者でもなく、解説者でもない。彼は配達業務に従事する、RAIDENファンのひとりである。RAIDENからの要望があれば、無償でマイクを持つ男。それが、ポエマー鈴木なのである。
ボクの目前で、讃岐の誇りと瀬戸の花嫁が、マイクを奪い合っているのだが? 会場にいる観客の中で、誰がこんな事態を予見できたか? とはいえ、ふたりの姿が父親とじゃれる娘のようで、会場内は爽やかな爆笑に包まれている。さりとて、見ているこっちが恥ずかしい。
しばらくの小競り合いの後。女性スタッフの手によって、どこかへ連れていかれた飛川さん。何事もなかったかのように、ポエマー鈴木は冒頭からやり直す。予定されていたであろう文面の〝漢〟の文字を〝人〟に変えて。それは、心ある司会者からの優しさだ。
「それでは、準決勝。青コーナー、選手の入場です!」
ポエマー鈴木の雄叫びを合図に、初音ミクの千年桜が鳴り響く。誰もが期待したのではなかろうか? ポエマー鈴木が指さす下手から、瀬戸の花嫁が登場するのだと。
期待に反して登場したのは、尾辻さんといた和服姿の老人だ。舞台中央に設置された、アームレスリング台に向かって、とぼとぼと歩いている。
間もなく、舞台の両サイドに設置されたモニターに、予選のダイジェスト映像が映し出された。老人に敗北した男たちの、狐につままれたような表情が印象的だ。曲のテンポに合わせるかのように、入場アナウンスが熱を増す。
「ワシを見て、主らは何を思うのか。この小さき年寄りを、小馬鹿にしているのではなかろうか。五十、六十は、鼻垂れ小僧。老いぼれだとて、小童にはまだ負けぬ。断じて負けるわけにはいかぬのだ。若者よ、ワシを見て学ぶがよかろう。何事であれ極めれば、弱者が強者を倒せることを───青コーナー。通りすがりのクソじじい! 柳雪心、八十三歳!」
予期せぬ老人の登場に、会場は割れんばかりの拍手である。こういう状況に慣れないボクは、どう反応してよいのか困ってしまう。
広瀬さんをお手本に。それは山々だけれど、彼女は置物のように動かない。きっと、飴玉でも舐めているのだろう。ホッペの肉だけが、膨らんだり凹んだりしている。
「よっ、やってんねぇ~!」
尾辻さんが、ボクの肩に手を当てた。渡りに船とはこのことだ。
「あのおじいさん……柳さんでしたっけ? あの人は何者ですか?」
それは、観客の誰しもが思うこと。
「柳先生は、言わずと知れた達人だよ。日本古武術、柳無手勝流の創始者だ。悪いけど、今回の優勝は柳先生に決まりだな。一般人には無名だけれど、格闘界で柳雪心を知らない人はモグリだよ。RAIDEN関係者も周知の事実だ」
早口でコソコソと、ボクに耳打ちする尾辻さん。それは、如何なものなのか?
「それって……素人の大会にプロが出場したのと同じですよね。武道家としての倫理観が、欠如してるように思えますけど?」
「そう来たか。これは倫理観というよりは、柳先生の好奇心なんだけどね……。だったら、黄瀬君。ツクヨっちだって、同罪だと言えるだろうね。オレたち界隈からすれば、ツクヨっちもセミプロのようなものだから。この子もね……」
尾辻さんが、広瀬さんをチラ見する。そういえば、柳さんが言っていた。広瀬さんは同業であると。
「それは、そうかもしれません。それでも、体格と筋力の差がありすぎです。ふたりがあそこに立つだけで、それは、奇跡のようなものですよ。あの映像は、フェイクですか?」
これについて、彼はどう説明してくれるのか?
「そうかな? だったら、達人という言葉が存在する意味がない」
平然と答える尾辻さん。
「黄瀬君。片手には、二十七個の骨がある。別の捉え方をすれば、骨のつなぎ目が急所だとは思わない? 武術を極めれば医学に通ずる。人体を知るために解剖学だって学ぶことになる。武術で鍛えるのは、筋力だけじゃないんだよ。あ、そうだ! 忍ちゃん。黄瀬君と腕相撲してくれね?」
「や!」
尾辻さんと目も合わさずに、きっぱり断る広瀬さん。そのきっぱりさが、あっぱれだ。
「いいじゃん、減るわけでもないんだから」
尾辻さんは諦めない。
「汚れる」
広瀬さんがボクの手を見て、汚れると言い切った! そんなに、この手は汚いの? そうだよなぁ。飛広コンビと出会ってから、ボクは嘘が上手くなったもんなぁ……呆然と、ボクが手のひらを見つめていると
「じゃ、オレとやろう」
お情けなんていらないよ!
「もういいですよ。ボクなんて……尾辻さんに勝てっこないです」
あ……なんだか悲しくなってきた。
「まぁまぁ、黄瀬君。これが腕相撲の必勝法だ」
そう言うと、ボクの手のひらの中心に尾辻さんが親指を添えた。そして、尾辻さんの人さし指が、ボクの手の甲の一点を軽く押す。
「黄瀬君、オレの手を握ってみ?」
あれ? 握力が……上手く力が入らない。
「じゃ、こっちは?」
尾辻さんの人さし指が数ミリ動く。今度は、腕に力が入らない。
「黄瀬君、そういうこった」
そう言って、尾辻さんがボクの頭をポンポン叩く。
「つまり、尾辻さん。勝負の勝敗を決めるのは、急所の奪い合いということですか?」
「お、黄瀬君。冴えてんねぇ」
尾辻さんの目が細くなる。
「ここまでは、柳先生の予定どおりだよ。清々しいほど完璧だ。飛川月読は、柳雪心に騙された。引きずり出されたと言うべきか……」
「それって、どうい……」
ボクの声を、ポエマー鈴木のイケメンボイスが遮った。
「続きまして、赤コーナーから選手入場です!」
会場に昭和のイントロが鳴り響く。それは、真夏にそぐわぬ名曲だった。そう、ボクはこの曲を知っている。桃畑で何度も聞いた───これぞまさしく、雪国だ!
上手から登場する飛川さん。テテテと向かう行先は、ポエマー鈴木の前である。次は、何をやらかしてくれるのか? 何かを期待するかのように、観客の目は飛川さんに釘付けだ。ボクは、彼女の一言一句に憂慮を抱く。
飛川さんがパーカーのポッケから、一枚の紙を取り出した。コピー用紙のようにも見て取れる。それを、ポエマー鈴木に手渡すと、深々とお辞儀をする飛川さん。その紙に書かれているのは、彼女からの謝罪文?
神妙な面持ちで、紙に目を通すポエマー鈴木。歌がサビにさしかかる頃。「ぷっ」っと、ポエマー鈴木が吹き出した。会場内にどよめき走る。それは、期待に満ちたどよめきだ。
あの紙に、何が書かれているのだろう……。
雪国の間奏に体を揺らせ、二番の歌い出しを待つポエマー鈴木。そんな彼を、見上げ続ける飛川さん。その首の角度が痛ましい。好きよ、あなた……♪ ポエマー鈴木が手に持つマイク。それが、彼の口元へ向かって動き出す。
時、満ちる───。
「このタイミング待っていたぁ~!」
飛川さんの文面を、ポエマー鈴木がイケメンボイスで読み上げる。
「私はその時を待っている。瀬戸の花嫁になる、その時を……」
こともあろうか、この女。自ら入場演出しやがった!
飛川さんの入場アナウンスが始まると、今日一番の大喝采が巻き起こる。それを合図に一歩踏み出す飛川さん。その堂々たる振る舞いたるや、闇夜を照らす月明かり。光あれば陰もある。十と三つの少女が放つ、無邪気な笑みの裏側で、彼女は更なる策を練っていた。
期、熟す───。

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