新潮文庫 マイブック(2026)

レビュー
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 マイブックにあるのは日付とページ番号、それだけだ。それ以外には何もなく、マイブックを手にした者が、どのように使っても構わない。文字でも絵でも数式だとて……何を書いても構わない。好きなことを好きなだけ。それがマイブックのルールである。

 アニキからのマイブック(2025)には、なんの脈絡もないことを書き続けた。誰の目から見ても、なんのことやら分からない。そんなことばかりを書いてきた。そもそも僕は、何を書けばよいのやら? まったく理解できない状態だった。365日を自由で埋め尽くすのは難しい。

 ある日は小説の語彙とその意味を書き、またある日は読み終えた小説の感想を書く。時には物語のアイディアを書き記し、またある時には思いの丈をぶちまける。ただ、1月、2月、5月、10月、12月の大切な日には、とある人たちの名前を書いた。1ページの真ん中に名前を記した一行を。

 それでさえ、誰の目から見ても、なんのことやら分からぬだろう。その日が楽しみとか、はたまた待ち遠しいとかではなくて。ただそこに、その人たちの名前があるだけで、その名前を目にするだけで、書く胆力をもらえるような……そんな気持ちになるからだ。その日の名前は心のお守り……そういうことです。

 去年のブログ記事を紐解けば、恐ろしいほどにすっかりと忘れていたのだけれど、希望のような期待のような……楽しげな文章が躍っていた。どんなに枯れても、まだまだこれから。そして、至る所に相棒のふた文字が。そんな充実感ある文章だった。たった一年前だというのに、大した成長を遂げたわけでもないのに。あの日の自分が幼く見えた。がんばれよ。そんな言葉をかけてやりたいくらいに。

 つい先日。新たな年のマイブック(2026)と新たな書籍を、天道さんからいただいた。有り難いことである。今年の表紙のマークは青くて、来年は緑色……じゃ再来年は? 10年を通して、10色がローテーションしているのかもしれないな。たぶんだけれど、何かしらの意味があるのだろう。漠然と表紙を眺めて、そう思う。

 新しいマイブックには、一枚のしおりが挟んであった。しおりが挟まれた日付は、意図的かもしれないし、あるいは偶然かもしれないけれど、ただひとつ言えるのは、その日は僕の身内の誕生日。それを天道さんが知る由もなく、やはり偶然なのだろう。

 そのしおりには、

 私をうしないたくないとあなたはいうけれど、私をうしなえるのはあなただけよ

『すみれの花の砂糖づけ』江國香織

 と綴られている。深い一文であるのだけれど、僕が「おやっ?」っと感じたのは、そこじゃない。江國香織という名前にである。今年、最も多くの作品を読んだ作家の名前に、奇妙な心持ちになったのは至極当然で、それには深いわけがある。

 その発端は〝つめたいよるに〟という小説だった。それこそが、僕が初めて読んだ江國香織さんの作品であり、初めてアニキに感想のようなものをメールに綴った作品でもある。読書が不得手な僕が、書評が苦手と豪語していた僕なのに。感想文もどきを書いてしまったものだから、次にどさっと、江國香織シリーズがやってきた。ほんのポロリと阿川佐和子さんが好きだと伝えたら、阿川佐和子シリーズが来たように。

 去年の僕なら、しおりの言葉に思いを馳せるこなどなかっただろう。作者も作品も何もかも、知らぬ存ぜぬなのだから。短い期間であるけれど、少なからずの小説を読んで、その蓄積がそう思わせるのも、天道さんとの出会い。その前の相棒との出会い。その原点となる友人との出会い。何ひとつ欠けても成立しない。

 去年の僕が知る由もなく、一昨年の僕にとって想像の域を超えていた。たったひとつだけのつじ占を、真砂の中で引き当てるような薄い確率。その出会いの連鎖の中で起こり得たことである。それを思えば感慨深く、この先の人生で幾度も読み返すであろう書籍は、すべての出会いを詰め込んだ、マイブックであるのに違いない。

 僕には尊い一冊だ。

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