004 山下琴音のリアリティ
喫茶ひまわりは、昭和の音楽で満ちている。懐かしのメロディーに思いを馳せて、常連たちは昔話に花を咲かせる。おばあちゃんと会話ができる、カウンター席は特等席だ。
これは、阿川春花がバイトを始めてから、間もない日の出来事である。
山下琴音、六十七歳。
自称、永遠の二十四歳。
昭和を生きた、おばあちゃん。
本日の特等席には、三人の常連さんが座っている。生け花教室の帰りだそうだ。
旦那の愚痴から始まって、子どもの自慢、ペットの話題、今日の献立どうしましょう?……そんな、世間話で盛り上がっていたのだけれど、とある洋楽が流れると、三人揃ってふわ~っとした表情になった。
三人の真ん中に座るマダムが、左右のふたりに問いかける。
「ラ・ブームかぁ。青春の一コマを思い出すわねぇ。私はね、映画館で彼と観たわ。高校のときにね……おふたりは?」
「わたしも、当時の彼と……先輩だったわ。すらりと背が高くて……カッコよかったなぁ~」
右に座る、ふくよかな女性がそう言うと、
「おふたりとも、青春ね。ふふふふふ……ワタシもだけど」
左に座る美魔女が、微笑みながら相づちを打つ。
今日も昔話に花が咲く。昭和の恋バナに思いを馳せる。これもまた、喫茶ひまわりの日常だ。
「ねぇ~え、琴音ちゃん。ラ・ブームってなぁ~に?」
オタが、おばあちゃんの袖を引く。
「昔ね、ラ・ブームって洋画があってね。これは、その洋画の主題歌だよ。リチャード・サンダーソンの『愛のファンタジー』っていうの。いい曲でしょ?」
「うん、ハルカ好き」
それに、美魔女が乗っかった。
「そう、この曲の原題は『リアリティ』。ラ・ブームはね、一九八二年に大ヒットした洋画なのよ。高校時代に映画館で後輩ちゃんと観た洋画。ソフィー・マルソー、可愛かったなぁ。ワタシはね、お小遣いをためてレコードも買ったわ。レコードはピンクの───」
「「「はぁ~と型♥」」」
それぞれ別の土地で青春を過ごしたであろう、三人の息がぴったりだ。これだけで、この映画の人気がわかる。
「そうそう、ブームに着ていく服を選ぶシーン、覚えてる? わたしは、あれが好きなのよ」
ふくよかさんが、問いかける。
「あれは、反則的に可愛かったわね。乙女心は世界共通なのよ。私もデートの前に、あんなふうだったわ。服を選ぶのに、鏡の前で時間をかけてね。高校生のころは、無垢で初心な少女だった」
遠い目でマダムが答える。
「ところで、おふたりは学園祭でブームやった? ワタシの高校では大盛況だったのよ」
美魔女が問うと、
「ブームは、学校で禁止令が出たの。だから、学園祭ではできなかったわ。わたし、先生の顔が鬼に見えちゃった」
ふくよかさんの苦笑い。
オタが、おばあちゃんの袖を引く。
「ねぇ~え、琴音ちゃん。ブームって?」
「ブームってのはね、パーティーのことだよ」
おばあちゃんは、昭和とオタとの架け橋だ。
知らない言葉が飛び出すと、オタはおばあちゃんの袖を引く。ボクはその仕草が好きだった。
「ハルカちゃんは、レコード知ってる?」
おばあちゃんが、オタに訊く。
「うん。太宰さんが、お金持ちの親戚からもらってたから」
太宰さんとは、文豪太宰治のことである。
「ほ~、太宰さんがねぇ……で、太宰さんって……あの、芥川さんを好きな、太宰さん?」
「そう……三島さんに嫌われてる、太宰さん」
オタがレコードを知っていたのは、多くの読書経験があるからだ。レコードや蓄音機は、昭和の小説や文豪作品にちょいちょい出てくる。
カセットテープやビデオデッキも、オタが知らぬはずもなく、おばあちゃんもおばあちゃんで、文豪作品の有名どころは、学生時代に読んでいたこともあり、阿川春花のたとえ話は、主に文豪小説から引用される。
その観点から鑑みれば、オタは、令和とおばあちゃんとの架け橋とも言えるだろう。孫のボクの目から見ても、ふたりの相性はとてもいい。
「ソフィーの耳にヘッドフォンをあてるシーン。今、思い出してもキュンキュンしちゃう」
マダムが手のひらで、顔を隠して首を振る。
「「わかるぅ~」」
それは、どんなシーンなのだろう? 三人の反応に、どんどん興味が湧いてくる。
「ウォークマンね。日本でも大流行したのにね。わたし思うの。日本男児はまだまだだって───」
その矛先が日本男児に向かうのも、当然の成り行きだ。
「いやだぁ~。昭和に、あんなことする男子なんていないでしょ? 平成でも令和でも……あれは、おフランスの文化だもの。まねたらまねたで、似合わないわよ」
「「そうかもねぇ~」」
ふくよかさんと美魔女が、顔を合わせて笑い出す。
人生経験豊かな、お姉さまたちに問うてみたい。おフランスの文化……とは?
「私それ、リアルで見たわ」
「「うそ?」」
マダムのひと言が、仲間の興味を惹きつけた。同時に、マダムの言葉を疑ったのだろう。訝しげな表情だ。
「「どこで?」」
「四国で。去年まで主人の単身赴任先が四国だったでしょ? 主人の世話で……私。ちょいちょい四国に通っていてね。そこで、お気に入りの喫茶店ができたの。グリムって名前の喫茶店。そこに美しいバイト学生がいたの」
「「男?」」
「残念ね、違うわよ」
違うのかぁ……。ちょっぴり、残念。
「今は、イケメンとかイケジョとか言うでしょ? でも……それって、普通の容姿でも使うでしょ? 赤ちゃんのママに『あら、可愛い。女の子?』って訊くじゃない。赤ちゃんの容姿に関わらず、明らかに男の子に見えても。どっちも、便利な言葉で無難だもの」
それは、わかる……。
「でも、あの子は別格だったの。スノーホワイトっていうのかなぁ……白雪姫みたいな美人だったの」
「「白雪姫?」」
なぜ、いっせいにボクらを見る? 自分が美人じゃないことくらい、身にしみてわかってる。
「もう、ウチ。照れちゃうなぁ~」
彼女たちに向かって、オタが小さく手を振った。根拠なき自信に満ちた、どや顔で。
「可愛いわねぇ~、バイトちゃん」
マダムが手を振り返すと、オタはふにゃりとした笑顔を見せた。
「でね。カウンター席の一番奥で、小さなパソコンみたいな機械で小説を書いてる子がいたの。それかバイトちゃんの彼氏なの」
それは、ポメラという機器ですよ。にしても、ありがちな設定ですこと。イマイチ乗れないボクである。
「でね、その彼はプロの小説家だったのよ。通っているうちに親しくなって、バイトちゃんが教えてくれたの。だから尋ねたのよ。『彼の小説の題名は?』って。『だって、興味あるじゃない』って。そしたらね、満面の笑みで私に言うのよ。『彼の本を買ってくれるんですか?』って。泣けちゃうわ」
なっ……プロですどぉ~! その題名だけでも教えてほしい。でも訊けない。もどかしいけど、これが接客の基本だから。お客さん同士の会話に口なんて挟めない。
「ねぇ~え。その本、買ったの?」
挟むのか?
読書家、阿川春花に火がついた。その反応速度の速さたるや、大脳を介さぬ脊髄反射のようである。
「あんなに可愛い笑顔で言うんだもの。もちろん、買ったわよ。今度、持ってこようか? 喫茶ひまわりのバイトちゃん」
「うん、ありがとう。ハルカです」
「ハルカちゃんっていうの? 可愛い名前ね」
「うぃっす!」
四国、小説家、男、ポメラ使い。そして、美しい彼女。
その小説家は、どんなジャンルの物語を書くのだろう。マダムの話の上手さもあるのだろうが、なんだか興味が湧いてきた。オタの後で読ませてもらおう。
「あれは……かき氷を食べたから、去年の七月だったかしら。その日は、彼のお気に入りの席に、バイトちゃんが座っていたの。カウンターの上に本とノートを広げてね。試験勉強をしているみたいだった。私は店内を見渡せる席に座ったわ。バイトちゃんの背中を眺めて、かき氷を食べていたの……」
オタが両手で口を隠すと、ひそひそ声でボクに問う。
「ねぇ~え、きみぃ。それって、どうだろう……ハルカには、ユリユリの香りがするんですけど…………」
「そいうとこ、よくないよ。今はバイト中だから、心の声を口に出さない」
ボクも小声で言い返す。
ボクらの会話が耳に聞こえたのだろう。マダムが両手を振って否定した。
「あ、変な意味じゃないのよ。目の保養……とでも言うのかな。しばらくすると彼が来たわ。バイトちゃんは勉強に夢中で、彼の来店に気づかないの。そしたらね……」
この続きは、二回タップ。
とでも言わんばかりに、マダムはティーカップに手を伸ばす。そして、紅茶を口に含んだ。優雅に、エレガントに、優艶に。味わうように、紅茶を飲んだ。
なぜ、焦らす?
「おいしいわぁ~。それでね……」
ゆっくりと、マダムは声を抑えて続きを語る。声を抑えながらも、それが目の前で行われているがごとく、臨場感たっぷりに。
「そっ~と、後ろから。彼が白いヘッドフォンをバイトちゃんの耳にあてたのよ。まだ、二十歳くらいのふたりでしょ? ラ・ブームなんて知らないでしょ? 彼女に比べて、彼は見劣りする容姿だったけれど。お似合いなのよ、不思議なくらい。頭の中で愛のファンタジーが流れたわ。そしたらね…………」
そう言うと、またティーカップに手を伸ばす。マダムの焦らしは、新手のプレイか? 下手な芸人の話芸よりも惹きつける。間の取り方が絶妙なのだ。だれもが彼女の口が開くのを待っている。
「ピクンとね。小さく肩を揺らせた後で、バイトちゃんが振り向いたのよ。特等席で見ていたから、なにもかもがバッチリ見えた。見る見る表情が明るくなって、見る見る口角が上がっていって、見る見る大きな瞳が細くなって……『大好き』って以外、なにものでもない笑顔。もうあれは、世の中の可愛いをギュッと凝縮したみたいな、和製ソフィー・マルソーの笑顔だったわ。あんなに幸せそうな笑顔なんて、どんな結婚式でも見たことないわ、悪いけど。アカデミー主演女優賞をあげたいくらいの、笑顔だったの。本当よ」
「「まあ、ステキ」」
なんだか嘘っぽい話だったけれど、マダムの語りがふたりのハートを射貫いたようだ。オタとおばあちゃんも、微笑みながらうなずいている。
「ラ・ブーム2もあったわね、観に行った?」
「「行った、行った」」
ラ・ブーム談義はやむこともなく、それぞれの思い出を交えながら、まだまだ続く……。
洋画『ラ・ブーム』主題歌、愛のファンタジー。またの名を、リアリティ。
この曲が流れるたびに、おばあちゃんの手が止まる。この曲に、どんな思い出があるのだろう? オタもそれに気づいていた。それを訊くのに、丁度いいタイミングでもあった。
オタが、おばあちゃんの袖を引く。
「ねぇ~え、琴音ちゃん。愛のファンタジーが流れると、いつも仕事の手が止まるよね?」
おばあちゃんが、厨房を眺めている。
「そうだねぇ……」
だれかの姿を探すように。
「それで、それで?」
オタがおばあちゃんの袖を、また引いた。
「この映画を観た後で、プロポーズされたのよ。あたしが二十四歳のときだった。幸せだったねぇ…………幸せだった」
そうか……それで。
ボクは言葉を失った。
「だれに?」
なにも知らないオタが訊く。
「決まってるでしょ、おじいさん」
だれもいない厨房に向かって、にっこり微笑むおばあちゃん。その笑みは寂しくもあり、それでいて、美しく……そんなふうに、ボクには見えた。
山下琴音、六十七歳。
自称、永遠の二十四歳。
昭和を生きた、おばあちゃん。
おじいちゃんは、もういない。

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