きみの読書感想文〝006 あこがれのサインとコピー本〟

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006 あこがれのサインとコピー本

「ねぇ~え、きみぃ。昨日ねぇ、『ひまたん』の目が開いたんだって。写真も見せてくれたんだぁ~」

 オタがふにゃりとした笑みをこぼす。いつものように、断片的な内容だけれど、その仕草が愛おしい。

「ウチもバイト料でお家を建てて、子猫と暮らすの。もしもぉ~、わたしがぁ~───」

 オタがアニメ声で、昭和の名曲『あなた』を歌う。そっか、そっか。オタは、ひまわりのバイト料で家を建てるのか。おばあちゃんも大変だ。でも、いいの? 『あなた』は、どこかへ行っちゃうけれど……とは言えない。で、先ほどの『ひまたん』とは?

「ひま……たん?」

 待ってましたとばかりに、オタが言う。

「女の子だから、お店と同じ名前のひまわりちゃん。琴音ことねちゃんにも伝えてねって教えてくれたの、ゴリラが。でね──────」

 待て、待て、待て! ゴリラはない。

「オタのそういうとこ、よくないよ。有友ありとも君が傷つくよ」

 オタの口を遮るボクに、

「いいの、いいの。彼は特別な人だから」

 そっか、そっか、特別なのか。ボクは二日連続で傷ついた……。

 猫のおじさんは阿川春花あがわはるかとの約束を果たし、オタもおじさんとの約束を守り、子猫は有友家の家族になった。なにはともあれ、すべてが丸く収まった。

 空乃そらのカナタと海乃うみのオトメ。喫茶ひまわりと猫のおじさん。タカシ君とおばあちゃん。阿川春花と有友涼平ありともりょうへい……小さな邂逅かいこうがひとつになって、子猫の命が救われた。それを思えば、人の繋がりとは不思議なものだ。

 そして、県立如月きさらぎ高校の登校初日。港小夜子との出会いは、ボクと天道てんどういろはとの架け橋となった。その翌日。北原色羽きたはらいろはのマンションで、ボクは小説家としての自我に目覚めた。阿川春花のコピー本が、ボクに中身を与えてくれたのだ───

「明日、彼女のマンションへ参りますの。よろしければ……ご同行いたしませんこと?」

 お昼休みの中庭で、ボクは港小夜子みなとさよこの誘いに乗った。今となっては、口車に乗せられたと言うべきか?

 放課後。ボクとオタは文芸部の部室へ向かう。そこは、ボクらの教室とは別棟で、本館の三階だ。長い階段を上り終えると、廊下の真ん中にゴリラがいた。ゴリラがスクワットをしながら、文庫本を読んでいる。

「あ、ゴリラだ」

 ゴリラにオタの視線が釘付けだ。

「あんまりジロジロ見ない方がいいよ。きっと、顧問の先生だよ。聞こえたら傷つくよ」

 今思えば、ボクも随分なことを言っている。

「違うよ、同じクラスの有友涼平君だよ」

「一年生?」

「そう、ゴリラ」

 これが子猫の救世主、有友涼平との出会いだった。彼の第一印象は……今考えても、坊主頭のゴリラである。

「まああ。おふたりとも、いらしてくれたのね。ようこそ、我が文芸部へ」

 文芸部次期部長、港小夜子から一通りの説明を受けた後。水曜日だけの活動という条件で、ボクとオタは入部届にサインした。あこがれの天道いろはと会えるのだ。水曜日くらいお安いものだ。彼女とお近づきになれたなら、何倍ものおつりが戻る。

「それでは、明日。北原先輩のマンションにご招待しますわね。では、ごきげんよう」

「さよちゃん先輩、ごきげんよう」

 お土産にクッキーをもらったオタは、餌づけされた子猫のようだ。すっかり、港小夜子に懐いている。オタが呼ぶ、『さよちゃん先輩』の響きも可愛い。

 なにはともあれ、ボクの願いが叶うのだ。わくわくしながら部室を出ると、ゴリ……いや、有友涼平が、汗も流さず涼しい顔でスクワットを続けていた。

「お疲れさまでーす」

 ボクが軽く会釈をすると、

「お疲れでした」

 彼も会釈で応えてくれた。なんとなく、マジメな人だなとボクは思った。

「ねぇ~え、きみぃ。今日は、これからどうするの?」

 階段を下りながら、オタが見上げてボクに問う。

「駅前の書店に寄るよ」

「大きい本屋?」

「うん、大きい方。明日、天道いろはさんにサインをもらうんだ。よかったら、オタもいっしょに行く?」

「本があったら、サインをしてもらえるの? きみにも本があったら、サインしてくれる?」

 そう言われると、不安になる。ボクは踊り場で足を止めた。

「たぶん、文芸部の先輩だし……それに、ボクにはサインするような本はないよ」

 スーッと、オタの顔から笑みが消え、思い詰めたような表情になった。

「ウチ、今日は行かない。行きたいけど、行けない。忘れ物したから部室に戻るね。じゃ、また明日」

 そう言うと、オタは階段を駆け上がる。

「うん、また明日」

 ボクは、オタの小さな背中に手を振った。この直後、オタが有友涼平と急接近することになるのだが、ボクがそれを知る由もなく、書店に向かって舵を取る───そしてボクは途方に暮れた……。

 かれこれ、三十分ほど探しているのだが……ない、ない、ない。本が、ない! 町で一番大きな書店なのに、この店は、『なんでも揃う』が売りなのに……嫌な汗が背中をつたう。

「どの本をお探しですか?」

 よほどジタバタしていたのだろう。感じのいい書店員さんが、ボクに救いの手を差し伸べた。書店員さんに話しかけられるだなんて、人生初の経験だ。緊張気味にボクは答えた。

「天道いろはさんの『五月の雨さつきのう』です。明日、どうしても必要なんです。ありますか? これですが……」

 ボクはスマホを取り出すと、電子書籍版の『五月の雨』を開いて見せた。

「かしこまりました、少々お待ちください」

 そう言うと、店員さんはどこかへ消えて、しばらくすると戻ってきた。

「この本でよろしいですか?」

 これだよぉ~!

「はい、それです。天道いろはさんは、ボクのあこがれの作家さんで、『五月の雨』が一番好きな作品なんです。明日、会えるんです。だから、サインをもらうんです! 助かりました、ありがとうございます」

 ボクは浮かれていたのだろう。書店員さんと、いろんな話をしたと思う。ほとんどボクが喋ったけれど───。

 翌日。港小夜子とオタとボクとの三人で、北原色羽のマンションへ出向くと、ミラクルが待っていた。

「初めまして、阿川春花さん。そして、葉山貴美子はやまきみこさん。昨日は『五月の雨』をお買い上げくださり、ありがとうございました」

 深々と、北原色羽が頭を下げた。その顔、その声、その笑顔。ボクの心臓が縮こまる。

 だって、そうでしょ? ボクは天道いろは本人に、思いの丈を語っていたのだ。昨日の彼女の立場からすれば、身を明かすこともできなかっただろう……。恐縮するばかりのボクである。

「本にサイン、しましょうね」

 ボクに手を伸ばしたのは、書店員でもなく、北原色羽でもなく、あこがれの天道いろはだ。夢にまで見た現実に、ボクが舞い上がらないはずもなく、思わず目頭が熱くなる。

「ねぇ~え。だいじょうぶ?」

 オタがボクの背中をさすってくれた。そのやさしさがありがたい。

「まああ、ステキだわぁ~。小説家冥利に尽きますわね、北原先輩」

 笑みを浮かべる港小夜子に、ボクは少し照れくさい。その笑みは、同性のボクから見ても、ゾクっとするほどの美形であった。

「お名前は? 葉山貴美子さんでいいかしら?」

 北原色羽がボクに訊く。

「空乃カナタでお願いします」

 あこがれの小説家は、あこがれたとおりの人だった。サイン慣れしているのだろう。ペンを走らせる姿に見蕩みとれれていると、

「まいどぉ~」

 北原色羽のマンションに、国民的青い猫が現れた。

 右手に大きなお菓子の袋を持ている……てか、ポリポリとひねり揚げを食べていた。

「まああ、ゆかりさん。おひさしぶりです」

「おっ! 港小夜子じゃん、原稿書けた? これ食べる?」

「もうすぐですわ。せっかくですけれど、お菓子はご遠慮しますわね。ふふふふふ……」

 彼女は港小夜子と顔見知りのようである。

「葉山さん、阿川さん。ご紹介するわね、彼女はほしゆかりさん。私の大切な相方です。大学時代から私の小説をチェックしてもらっているの。彼女は文章校正のお仕事をしているのよ」

 文章校正のお仕事って……文章のプロだ。

「若い子ってのは、ええなぁ。可能性の塊って感じやん。うち、星ゆかり。末永く、よろしゅうに」

 星ゆかりは、関西の人らしい。底抜けに明るくて、気さくな感じだ。

「初めまして、葉山貴美子です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 ペコリと頭を下げるボクの隣で、オタが星ゆかりを指さした。

「横綱だっ!」

 彼女は確かにふくよかだ。お腹にポッケを付けたら、国民的青い猫を連想させる。それを思うボクもボクだけれど、横綱ってのも如何なものか? 頭の後ろで束ねた髪が、お相撲さんのまげに見えなくもないけれど……。

「オタ、そういう言い方はよくないよ」

「よくなくないよ。だって、横綱だから」

「だからぁ、言っちゃダメだって……失礼だって! そういうとこ、直した方がいいよ。有友君にだって、ゴリラって言ってたでしょ? 彼だって、傷つくよ」

「彼は特別なのぉ!」

 それはやめて、ボクが傷つく。

「うっ……でもオタ、それはそれ、これはこれ!」

「ふたりとも、おもろいなぁ」

 ボクらの会話に、ツボり散らかす星ゆかり。

「ええねん、ええねん。そういうの、うちは慣れっこやから気にせんといて~。貴美子ちゃんも、気ぃつこうてもろてありがとなぁ。でもなぁ……そこのおチビは、これのこと言うてると思うで」

 豪快に笑いながら、彼女はお菓子袋を指さした。そこに『横綱』の文字が書いてある。

「あ……なんか……すいません」

 やっちまったなぁ……そんな気分だ。

「ええねんて。ところで、似合いのコンビやなぁ。自分ら、付き合いは長いんか?」

「「昨日、初めて会いました」」

 ボクらは、キメ顔でそう言った。

「そりゃ、将来有望や。お笑いコンビ名、決めんとな。如月高校やから、キサカラとかな」

「「え?」」

 ボクとオタは顔を合わせる。

「それ、『成瀬なるせは天下を取りにいく』のゼゼカラのパクリでしょ? ごめんね。ゆかは、いつもこんな感じだから……」

 スーっと、会話に飛び込む北原色羽。

「そうそう、うちはいつもこんな感じやで」

 星ゆかりの登場で、場の空気が一気になごんで、ボクの緊張感も解けてゆく。

「ねぇ~え、きみぃ~……」

 ボクの隣で、オタが浮かない顔をする。ボクが浮かれすぎたから?

「まああ、阿川春花さん。今がチャンスですわ、がんばって!」

 港小夜子が、謎の微笑を浮かべている。オタは、なにをがんばるの?

「さよちゃん先輩。ウチ、がんばる!」

 オタが大きくうなずいて、バッグからなにかを取り出すと、かしこまって、ボクに言う。

「ウチはあれから、がんばりました。みんなに手伝ってもらいました。これにサインをしてください。ウチは、きみのサインが欲しいです。空乃カナタさんのサインが欲しいです」

 あれから? みんな? サインって? 混乱するばかりのボクである。そこで、港小夜子からのタネ明かし。

「うふふふ……阿川さんはね。昨日、部室に戻ってきましたの。愛らしい声で、『ウチは、きみがうらやましいです。ウチもサインが欲しいです。本の作り方を教えてください』ってね。だから部員全員が一丸となって、コピー本を制作しましたの。新入部員の有友涼平君が、『夜道のひとり歩きは危ないから』って申し出てくれて、阿川さんをお家まで送り届けてくれましたのよ」

 そんなことがあったのか……いいとこあるじゃん、有友涼平。彼への好感度が、ちょっぴり上がった。

「わたくし感動しましたのよ。阿川さんの気持ちに深く感銘を受けましたの。だから、諸経費は部費から出しましたの。本を手作りしてまでサインを求めるだなんて……部員全員が、満場一致で出金を認めてくれましたのよ。これほどまでに、読者から愛されるだなんて……うらやましい限りですわ」

 すると、星ゆかりが涙をこぼした。彼女は人情に厚く、涙もろい人らしい。

「ねぇ~え、横綱ぁ……泣いちゃダメだよ」

 オタが小さな手ひらで、星ゆかりの大きな背中をさすっている。

「なに言うてんねん。うちは泣いてなんかないでぇ~、目に埃が入っただけや。でも、ええ話やなぁ……うちは、感動してるだけなんや。ホンマにおチビは、あんたの小説が好きなんやなぁ。うちもなぁ……いろはに、おんなじことをしたんやで……あのころは、うちもスリムやったなぁ……」

「横綱ぁ~、ウチの仲間やぁ~。そして、ウチは阿川春花ですぅ」

 影響を受けやすいオタが、関西弁で喋っている。ふたりが抱き合って涙ぐむ。これが阿川春花にとって、生涯の師との出会いとなる。

 本のカタチに姿を変えた、ボクの処女作『ヒロシの事件簿』は、十ページにも満たない薄い本だ。けれど、オタの気持ちが詰まっていた。

 それに、どう反応してよいのかわからない。立ちすくむボクの肩に、あこがれの人が手を添えた。それは、未来のライバルの手でもあった。

「葉山貴美子さん。ここからは、書店員の北原色羽としではなく、小説家の天道いろはとしてお願いするわ。葉山さんは、処女作で読者の心をつかんだ。それは事実。処女作で誹謗中傷を受けた。これも事実。そこにキミは、天使と悪魔の姿を見たはずだ。「どうして、自分だけが……」そう思っただろう。「もう、いやだ……」悲観的にもなっただろう。でも、それがすごいんだ。読者ってのはね、寡黙かもくなんだよ。圧倒的多数の読者が、身と心を削った作品に、なんの反応も見せてはくれない。この体験は、作家としての祝福と呪い。言い換えれば、人の心を動かした証明だ。中学生のキミに、僕は嫉妬を覚えていた」

「知ってたんですか?」

「あれだけバズっていたんだからね。ノベルンで知らぬ者など皆無だろ? キミは多くの人に影響を与えたんだ。それを自覚して、阿川さんの気持ちに応えるべきだ。キミには、その資格があるんだよ。そろそろ気づけ、空乃カナタ」

 天道いろはの人称は『僕』であり、口調までもが変わっている。本物の天道いろはが、ボクに語りかけている。その淀みなき眼光が、僕の胸に突き刺さる。

「せやな……」

 星ゆかりが、ボクにペンを差し出した。阿川春花が作った本に、ボクはペンを走らせる。小説家としての自覚と重みを感じながら……。

「オタ、サインの名前はどうしよう?」

 阿川春花にボクは問う。

「海乃オトメでお願いします」

 海乃オトメ、ボクの恩人。その名前をボクは書く。

「ありがとう、海乃オトメさん」

 ボクが本を手渡すと、

「ウチの夢が叶ったよ、空乃カナタさん」

 オタの小さな顔が満面の笑みで輝いた。この笑顔が、ボクの中身だ。

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