後ろの席の飛川さん〝035 新たな疑問〟

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 〝まだ見ぬキミへ〟の作者は、一途さんの彼氏だった。だとすれば、新たな疑問が湧いて出る───

「あの……一途いちずさん。質問しても、いいですか?」

 ボクは遠慮ぎみに問うてみる。

「なんだい? わたしの男が作家にならない理由でも知りたいのかな?」

 ご名答。ボクは思っていることを言葉にした。

「そうです。〝まだ見ぬキミへ〟は、出版編集者が無名の作家を発掘し、その才能を開花させるまでの物語です。ログラインは単純かもしれません。けれど、先ほども申しましたが、後半からの読者を巻き込む迫力は凄まじく、その担当者の生き様は、鬼気迫るものがありました。ボクは、この作品を世に出すべきだと考えます」

 これほどの作品だ。どう考えても、そうである。それなのに、一途さんがクスリと笑う。

「この本はね。あたしの男が書いた、あたしへのプレゼントだ。世に出すつもりなんて微塵もないよ」

 プレゼント? だとしでも───

「でもですね! 先生は……」

 ボクの言葉を遮る一途さん。

飛川ひかわ君は、作家になった……かい?」

 ナナシさんの小説は、誰にでも書ける代物じゃない、別格だ。この才能を眠らせるだなんて、ナナシさんの彼女として、勿体ないと思わないのか?

「そ、そうです。ブログ王は、先生が花音かのんさんへのプレゼントで書いた物語だと、飛川さんから聞いてます」

 思えば、隣にいた広瀬さんは、苦虫を噛み潰したような顔だった。

月読つくよがねぇ、そんなことまで……キミは、ふたりに信頼されているんだね。ところで、黄瀬きせ君。好きな女の子はいるのかい?」

 空に浮かぶ雲のように、ふわっと花音さんの顔が頭に浮かんだ。だがそれは、先生に対して失礼だ。ボクはそれをもみ消した。

「何を言ってるんですか? ボクはまだ十三歳ですよ! そんな人なんて、いませんよ」

 防御姿勢のボクに向かって、一途さんからの正拳パンチ。

「つまり、いるんだね」

 も、もう……ダメだ。重い一撃が心に刺さる。こめかみの血管が波打って、焼けるように顔が熱い! それを見て、ニヤリと笑う一途さん。一途さんから視線を逸らし無駄にもがくボクである。

「いませんて!」

 ボクの語尾が強くなった分だけ、一途さんの口角がググっと上がった。この人、絶対───ドSだよ! ボクの思いを知ってか知らずか、淡々と会話を続ける一途さん。

「まぁ、いいさ。ナナシの本名は、仕道翼しどうつばさってんだ。飛川君は、アニキと呼んでいる。月読としのぶは、バッサーって呼んでいるよ。翼だからバッサーだとさ」

 相変わらず失礼なふたりである。その思いと同時に、桃畑で先生が発した言葉が蘇る───麩菓子ふがしだよ、アニキの好物……条件反射でボクは訊く。

「アニキさんって、麩菓子が好きな?」

「そうそう。麩菓子は、あいつの好物さ。黄瀬君、よく知ってるね。じゃ~、これ。一本あげるよ」

 一途さんがボクに麩菓子を差し出した。きっと仕道さんのために、麩菓子を常備しているのだろう。やっぱり彼女だな……っと、ボクは思った。

「ありがとうございます。桃の摘果のお手伝いで、そんな話が出たもので……」

 尾辻おつじさんの話をする飛川さん。先生の話をする広瀬さん。桜木さんを語るボクの姉ちゃん……好きな人の話題になると、女子は同じような表情を見せる。仕道さんを語る一途さんの表情も、彼女たちと同じで柔らかだ。

「それじゃ、黄瀬君。話を元に戻そうか。邂逅かいこうにある三万冊にも及ぶ本は、ぜーんぶ、あいつの蔵書だよ。あたしはさ、邂逅のオーナーではあるけれど、ほとんど読めちゃいないのさ」

 だからか……仕道さんの文才には、膨大な読書の裏付けがあったのだ。そう考えれば、何もかもが腑に落ちた。

「それは、すごい。だからこそ……」

「そうさ。あいつはね、黄瀬君と同じ側の人間なんだよ。本を読むのが好きなんだ。読書家というよりも書淫しょいんだね。キミに素晴らしい文才があったとしても、作家になる気はないんだろ?」

 一途さんの指先が〝まだ見ぬキミへ〟の表紙を撫でている。その潤んだ瞳は、我が子の頭を撫でるかのような、優しさに満ちていた。

「でも、それならどうして……」

「この本を書いたのか……かな? だから最初に言っただろ? この本は、あたしだけのものなんだ。誰にも絶対に渡さない。たとえ相手が、神だとしても───」

 その瞳には、強い意志がみなぎっていた。その鋭い眼差しに、たゆたうばかりのボクである。

「黄瀬君。もし……この場で、あたしがキミに告白したら。あたしじゃなくて、月読でも、忍でもいい。キミは、どんなふうに断るかい?」

 え! 告るの? からかってるの? 告られてもないのに、ボクがフルの? またしても、ボクには返す言葉が見つからない。

「……」

「あたしが告った時、あいつの返事はこうだった。『僕はひとりが好きです。本が好きです。だから、あなたを楽しませることはできません』だって。そんなのアリ? って、思わないかい?」

 それは確かに……キツイかも。

「そうですね。断るにしても、ボクなら言葉を選びます」

「だろ? だろ?」

 一途さんがケラケラ笑う。笑いすぎて、目にハンカチを当てている。

「あたしゃね。これでも学生時代はモテたんだ。だから、見てくれにも自信があった。それが、バッサリとフラれちまった。なんだ、こいつ! 開いた口が塞がらなかった。あたしの中に割り切れない何かが残った。あいつは希に見る美男でね。そりゃ、女どもにはモテモテだった。けれど、それとこれとは話が違う。だから、あたしは会いに行ったんだ」

 話のベクトルが、またずれた。

「誰にです?」

 その答えは、大きくボクの予測を超えていた……。

「決まってるだろ? あいつの元カノだよ」

 そう言って、一途さんが胸を張る。うーん……告ってフラれた男の元カノに、なんの話があるのだろう。どんな会話をするのだろう。コトンと首を傾けたボクに、追い打ちをかける一途さん。

「もとい、元カノたちと言うべきだった」

 もしかして、ここから先は修羅場ですか? ボクには、そのイメージしか浮かばない。

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