後ろの席の飛川さん〝040 真夏の競技場に舞い降りた天使〟

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 広瀬忍がボクに言う。飛川月読ひかわつくよがアームレスリング大会に出るのだと。

 どんなに夏休みを捧げようとも、彼女は一勝すらできぬだろう。無謀である。彼女が怪我でもしないかと、ボクは心配でたまらない。会場に入ったボクの目は、飛川さんを探していた。

 あれ、しろたんじゃね?

 賞品が並ぶテーブルの中に、大きな大きなぬいぐるみがあった。もしかして……飛川さんは、これが欲しいのか? きっとそうに違いない。その根拠がボクにはあった───

 飛川月読は、誰かの生まれ変わりではなかろうか? そう思わずにはいられない。彼女には、それを思わせるエピソードがふたつある。これは、飛川ひかわ先生から聞いた話だ。

───ひとつ目は、尾辻正義おつじまさよしへの恋心。

「どうして、オッツーなの?」

 五歳の飛川さんに先生が問う。

「オッツーを、うまれるまえから、さがしていたの」

 そう、笑って答えた飛川さん。

───ふたつ目は、しろたんだ。

 しろたんとは、シロクマをモチーフにした、人気キャラクターの名称である。

「どうして、しろたんが好きなの?」

 同じく五歳の飛川さんに先生が問う。

「おまつりのてっぽうで、なんどもしろたんをねらったの。それが、なんどもなんどもあたったの。でも、しろたんはうごかなかったの。だいすきなしろたんなのに。ツクヨのしろたんになって、くれないの……」

 幼き飛川さんは、しょんぼり顔で答えたそうだ。

 十三歳の飛川さんに、その記憶がまるでない……。

 短編小説『邂逅かいこう』は、飛川三縁ひかわさよりが輪廻転生をえがいた物語。そのヒロインのモデルは、堤一途つつみいちずであると同時に、飛川さんであるのに違いない。それを、先生に訊いたことはないけれど、ボクはそうだと信じている……。

 テーブルに並べられた賞品の中。しろたんらしき、ぬいぐるみがあった。小学生低学年くらいのサイズである。

 飛川さんの前世の記憶。その欠片が、この大会に飛川さんを参加させたのかもしれないな。そう考えれば、つじつまが合うのだが……

「広瀬さん。あれって、しろたんのぬいぐるみだよね? あれ、飛川さんが好きなんだよね?」

 広瀬さんの口から出たのは、返事に困る回答だった。

「そういうとこ、好き」

 この暑さでのぼせたか? 彼女が倒れでもしたら大変だ。広瀬さんを給水コーナーへ連れてゆくと、大男たちが紙コップに入った水を配っていた。

 彼らは、RAIDENらいでんのメンバーである。RAIDENとは、ご当地プロレス団体の名称で、この大会は地域活性化を目的として開催されている。そう、ポスターに書いてあった。

 ボクらに近づいてきた謎のマッチョ軍団は、館内警備をしていたのだろう。無言でボクらを守ってくれたのだ。ボクは、水を配るメンバーのひとりに訊いてみた。

「予選をしているはずですけれど、いつ始まるんですか?」

「予選は、午前中に終わったよ」

 そいつはお気の毒……飛川さんを慰めないと。

「これから始まるのは、準決勝と決勝だよ。えっと……今から三分後だね。今年の大会は大番狂わせの連続で、前回の優勝者とじいさんと兄ちゃんと、小さな女の子が残っているよ。あの子の背中には……何クラブだったっけ? ほ、ほ、ほ……」

「放課後クラブですか?」

「そうそう」

 知ってる。それ、嘘でしょ?

「俺たちも格闘家の端くれだからね。あんなの見せられたら熱くもなるさ。もしかして、あの子の彼氏?」

「は?」

 断じて違う!

「あの子。夢は花嫁だって言ってたな。それが、健気で可愛いんだよ。もうすぐ、うちの会長が到着するよ。あんな逸材が揃っているからね。こんな名勝負は見なきゃ損だよ。その証拠に、お客さんがドンドン入ってるだろ。SNSで拡散したからね。いつもなら、こんなにお客は入らないよ。この調子なら、うちの知名度も上がるだろうね。有り難や、有り難や───」

 軽く興奮したように、ボクに答えるマッチョマン。

 でも、お兄さん。論点がズレてはいませんか? 飛川さんが勝った理由が分からない。勝つ要素が見当たらない。というよりも、勝って当然という顔つきが、あまりにも不自然だ。

「飛川さん、勝ち残ってるんだって」

「そ」

 それに喜ぶこともなく、平然と答える広瀬さん。

「知ってたの」

「そ」

 どうして、先に言わないの?

 広瀬さんがコップの水を飲み終えると、会場からBGMが轟いた。それと同時に、大きな歓声で床が揺れた。どうやら試合が始まるようだ。司会者が、語るように言葉を紡ぐ。プロなのだろう、いい声だ。

おとこには、負けると分かっていても戦い挑む時がある───ガシャ、ガシャ。ちょっちょっちょ───」

 音響機器にトラブルが発生したようだ。せっかくの演出が台無しだ。

「男とちゃうもん! 女やもん!」

 そそそ……その甲高い声は、飛川さん! 何やってんの?

 ボクらは、会場へと駆け戻る。扉の向こうで、司会者と飛川さんが揉めていた……。

 高松市民体育館、第二競技場。湧き上がる歓声。真夏の競技場に舞い降りた天使。その歓声に昇華され、やがて彼女は伝説となる……。

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