きみの読書感想文〝007 阿川春花の新しいスマホ〟

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007 阿川春花の新しいスマホ

 四月初頭、金曜日。

 骨董品と呼べるほど、阿川春花あがわはるかのスマホは旧式だった。たぶん、多くのアプリが動作しないだろう。操作反応はすこぶる悪く、バッテリーの持ちも最悪だった。悲しいほどにボロボロで、ボクの目から見ても、いつ壊れても不思議じゃない。

 そのスマホの中に、オタは本のおじさんの観察日記をつけていた。それを入力するオタの横顔が、ボクはとても好きだった……。

「小学校から使っているから……でもね、まだ動くの。すごくない?」

 恥ずかしげに、オタは言う。

 高校でも部室でも、喫茶ひまわりでも電車の中でも……オタのスマホが鳴ることは、僕の知る限り一度もなかった。

 六月初頭、木曜日。

 新しいスマホのお披露目に、今日のオタはご機嫌さんだ。

「ねぇ~え、きみぃ~。ほら、こんなこともできるんだよ」

 ぴょんぴょんと、オタが画面に指を踊らせる。

「ほんとだ、すごいねぇ~」

「これ、キャンペーンで安かったの。性能は低いけど、いつでもきみと連絡が取れて、どこでもノベルンが読めたら、それだけで十分だから。ウチにバイト先を紹介してくれて、ありがとね」

 いつでも……。

 そして、どこでも……。

 ボクは、その本当の意味を知っている。オタがオタたる所以までも。知っていて触れずにいた。それが、オタのママとの約束だったから。その日の話をこれからしよう───

 五月中旬、水曜日。

 水曜日限定で、ボクとオタは文芸部員として活動している。水曜日が、喫茶ひまわりの休店日だからだ。この日、ボクはオタと別行動をとっていた。

 オタは港小夜子みなとさよこの手伝いを、ボクは北原色羽きたはらいろはが務める書店へ向かう。ボクの役目は、港小夜子の原稿を北原色羽に渡すこと。その原稿は、北原色羽の手から星ゆかりへと渡される。

 現役生徒が卒業生に意見を求める。それは、県立如月きさらぎ高校文芸部で珍しいことではないけれど、ボクのカバンの中にあるのは、サイコパス・クイーンの最新作。緊張しないわけがない。

 いうなれば、一億円が入ったアタッシュケースを運ぶようで、なくすことなど、あり得ない。これで二度目になるのだが、このミッションは苦手である。

 今の時代。原稿の受け渡しは、メールで十分だとボクは思う。それを、港小夜子は許さない。その裏で、闇の力が働いていると勘ぐってしまうのも、ボクが字書きだからなのだろう。でも、やっぱ……メールでよくね? と、ボクは思う。

「こんにちは、いろはさん。これ、港先輩から預かった原稿です。ご確認ください」

 北原色羽は書店員だ。勤め先である駅前の本屋へ行けば、待ち合わせの手間もない。

「わざわざありがとうね、葉山さん。次の勉強会の日程は、後日メールするわね。それと、葉山さん。あなた、新作の方は進んでいるの?」

 ボクの小説を気にしてくれるだなんて、なんと光栄なお言葉だろう。

「はいっ!」

 爽やかに返事をしたが、それは真っ赤な嘘である。トリックは完成しているが、犯行動機がイマイチ薄い……。

「それじゃ、気をつけて帰ってね」

「あ……はい」

 あこがれの小説家の前に出ると、やっぱり緊張するボクである。彼女の仕事の邪魔にならぬよう、そっとボクは書店を出た。

「これから、どうしよっかなぁ……」

 駅の周辺には様々な施設が整っていて、近くに青葉台公園がある。公園の真ん中に大きな噴水があって、マイナスイオン効果であろうか? 噴水のふちに座ると、気持ちが落ち着いて心地いい。

 週末ともなれば、家族連れで賑わうけれど。平日なら、そうでもない。帰宅するには早すぎる。お母ちゃんと鉢合わせでもしたのなら、夕食の準備の手伝いだろう。今日は、小説を書き溜めてもおきたいし……少し迷いながらも、ボクは公園に向かって歩を進めた。

 噴水の縁に腰を下ろすと、水の流れが周囲の音を遮った。ここはパワースポットか? 集中力が跳ね上がる。その勢いに任せて、ボクはスマホに向かって文字を打った。その集中力を阻んだのが、ほのかに香るソースの匂いだ。

「いい匂い。お好み焼き? 焼きそば? それとも……たこ焼き?」

 ボクは周りを見渡した。

「あれだっ!」

 たこ焼きのキッチンカーが、神々しい香りを放っている。なにを隠そう、我が家は頻繁にたこ焼きパーティを開催するほどの、たこ焼きラブの家族なのだ。ボクがキッチンカーへ引き寄せられたのも、当然の帰結であった。

「ひとつくださいな」

「あいよぉ~、四百円でーっす!」

「はい、五百円からでお願いします」

「百円のお返しでーっす!」

 スキンヘッドのおじさんから、出来立てのたこ焼きを受け取ると、指先に至福の熱が伝わった。たこ焼きのソースの上で、ひらひらと鰹節が躍っている。もう、こんなの……味への期待が膨らむばかりだ。ダイエット? そんなの知らん!

 物価高騰にあえぐこの国で、このお手頃価格がありがたい。早く食べたい気持ちを抑えて、噴水へ向かってきびすを返すと、

「葉山さん? 葉山貴美子はやまきみこさん?」

 女性の声が、呼び止める。

「そうです……が?」

 で、どちらさま?

「阿川春花の母です。隣のハゲが主人です」

 ん? 悪気なくディスる感じが、オタっぽい。

 するとキッチンカーから、ご主人が飛び出した。

「葉山貴美子さん? ってことは、貴美子ちゃん? それはそれは、娘がお世話になっています。自分、春花のパパです。ホントにありがとうね。はい、おつり」

 ボクが払った五百円玉が、ブーメランのように戻ってきた。さっき、おつりで百円もらったのだから、ボクとしては、逆に儲かってしまう算用になる。それは……人として、どうだろう?

「いえ、いただけません」

 ボクは、オタのパパにお金を返す。

「遠慮しないで、気持ちだから」

 オタのパパが、ボクの手に五百円玉を握らせる。

「お気持ちだけで、十分です」

 この押し問答が、永遠に続くかと思われた。そのとき、オタのママが割って入った。

「主人の気持ちだから、もらってあげて。あの子があんなに元気になったのは、貴美子ちゃんのおかげなのよ」

 いつも元気いっぱいのオタである。もしかして、なにか大きな病気だったとか? 混乱するボクである。

「それ、どういう意味ですか? お礼を言うのはボクの方です」

 そう、オタがボクの恩人なのだ。

「あの子、人懐っこい性格でしょ? 中二までは友だちに囲まれて過ごしていたの。でも、いじめにあっちゃって……」

 いじめとオタとの方程式が成立しない。どこにもイコールが見つからない。

「いじめ……ですか?」

 オタがいじめに? そんなの嘘だ。ボクはいぶかしい目をしたのだろう。オタのパパが提案する。

「おい、しっかりした娘さんじゃないか。貴美子ちゃんは、春花が話していたとおりの娘さんだよ。もう、いいんじゃないか? 春花のバイトの件で、カスミさんにも世話になったし───」

 カスミとは、お母ちゃんの名前だ。

「そうねぇ……春花、怒らないかしら……」

 悩んでいるオタのママに、ボクはすぐさま懇願した。

「ぜひ、教えてもらえませんか? だれにも言いません、オタにも言いません。オタは……春花さんは、ボクの唯一無二の親友ですから」

 詳しく事情を知りたかった。オタの親友として、それを知る必要がボクにはあった。ここで引いたら、オタの親友失格だ。

「アンタ、ちょっと店を抜けるよ」

 それに、オタのパパがニッコリ笑う。

「うぃっす!」

 オタの返事は父親ゆずりだ。親子なんだな……と、ボクは思った。

「そこのベンチでお話ししましょう」

 キッチンカーから一番近いベンチに、オタのママと並んで座った。よしっ! という感じで、オタのママが口を開いた。

「春花がいじめられたのは、わたしたち夫婦が原因なの」

「え?」

 家庭の事情が絡んでいるのか?

「主人がリストラになってね、クラスで春花だけがスマホを持てなくて……いじめっ子グループに目をつけられてしまってね。あんなに明るかった子が、まともに口もきけなくなってしまって……現実逃避って言うのかな? 図書館で借りた本ばかりを読むようになって……元々、人懐っこい性格だったから、私たちも心配で、心配で……。でも、お金がなくて受信料も払えないから、テレビも売り捨ててしまったの。今日のご飯さえもが危うかったのよ。だから、あの子のスマホも解約したの。小学校から使っていたスマホは、隣のおばあちゃんのWi-Fiを借りてね、家では小説投稿サイトを読んでいたわ。ノベルンだったかしら……そんなときよ、空乃そらのカナタさんの小説に出会ったのは。あの子、貴美子ちゃんの小説の話だけは、笑ってしてくれた。空乃カナタの小説は特別だってね。それがとても、うれしかった。貴美子ちゃんのおかげです」

 ボクに向かって、オタのママが頭を下げた。

「いえ、そんな……」

 そんなことが……ボクはオタのなにも知らなかった。そんなボクに、オタの親友の資格があるのだろうか? ボクの気持ちが沈んでゆく……。

「中学二年の終業式の日、春花が学校で大ゲンカしたの……」

「え?」

 あの小さなオタからは想像ができない。

「担任の先生から連絡をもらって、学校へ飛んで行ったわ。そしたらね、『もう、負けない』って。『強くなる』って。そう春花が私に言ったの。貴美子ちゃん……いいえ、空乃カナタさんが誹謗中傷を受けていたからよ。それでも、あなたは書いていた。その姿が娘に勇気を与えてくれた。それからよ、イジメがなくなって……いいえ。たぶん、新学期からのしばらくの間は、なにかしらがあったと思う。でも、あの子は負けなかった。なんでかわかる?」

 いじめと誹謗中傷。言葉は違えど、オタもボクと同じだった。

「…………」

「空乃カナタさんと同じ高校へ行くんだって」

「え?」

「約束したから、こんなところで負けられないって。それから春花は猛勉強したの、成績が悪かったからよ。春花の成績が上がるにつれて、学校でのトラブルは減ったみたい。中学三年生の今ごろになると、元のあの子に戻っていたわ。空乃カナタさんは、うちの娘の恩人なのよ。とても感謝しているの。そうそう、パパのたこ焼きのお味はどうかしら? 冷めないうちに食べてみて」

 ボクはたこ焼きを、ひと口食べた。カリッとしてふわっとして、大きなタコが入っている。

「……おいしいです。でも、初めて会った日。ボクは春花さんからメールをもらいました。あのメールはどこから飛ばしたのでしょう? 何度かやり取りができました」

 決して、疑っているわけではない。キチンと真実を知りたかったからだ。

「そうそう……あの子、パパに泣いて頼んだのよ。『空乃カナタさんとメールがしたい』って。『ウチはスマホがないから、学校で連絡が取れない』って。だから一日だけの約束で、パパがスマホを貸してあげたのよ。パパは気持ちよく貸してあげたの。春花への罪滅つみほろぼしの気持ちもあったのかな?」

 そして、疑問点がもうひとつ。

「バイトの件で、ボクの母と揉めたんですか?」

 これは、お母ちゃんに訊けなかったことだ。

「それは違うわ。私たちの事情を知って、貴美子ちゃんのお母さん、とても親身になってくれたのよ。私を琴音ことねさんのお店まで連れていってくれて……そしたらね、琴音さんが言ったの。『明日からバイトによこしなさい』って。『面接は十分だ、親の顔を見りゃわかるよ』って。それがとてもうれしかった。あの子はね、バイト代でスマホ料金を自分で払いたかったの。スマホを取り戻したかったの。琴音さんのお店なら、親としても安心できるし……なにもかもが、ありがたかった。不思議なのはね、カスミさんと会ってから、お客さんがすごく増えたの。何倍にも増えたのよ。行列ができたこともあったの」

 それ、浜のカスミの仕業だな。

「ちょっと怖そうな人たち増えちゃったけれど、うちの旦那もあんな感じでしょ? だから、接客に問題はなかったの。でもね、『カスミさんの紹介で……』みたいな人が、今でも多いわ。貴美子ちゃん、なにか知らない? もしかして、有名な人?」

 それは、言えない……。

「どうでしょう? 分かりません」

 でも、お母ちゃんの差し金であるのに違いない。

 ボクが小学生のとき、おばあちゃんが言っていた。お母ちゃんは、高校時代に『浜のカスミ』と呼ばれていて、そりゃもう、バイクに乗って無茶なヤンチャをしていたと。

 全盛期は、お母ちゃんのひと声で百人単位の人が集まるくらいだったらしい。たぶん、尾びれ背びれがついた話だろうけれど、そのネットワークを使ったのだろう。お母ちゃんもおばあちゃんも口は悪いけど、人情にもろい人だから。家に帰ったらお母ちゃんに、ちゃんとお礼を言わなくちゃ。

 その前に、ボクは誤解されている。だから、真実を伝えなきゃ。重い口をボクは開く……

「ボクは、春花さんに謝らないといけません。春花さんのなにも知らずに、接してきたボクは最低の親友です。あのときボクは、筆を折ろうとしていたんです。春花さんからのメッセージがなかったら、とっくの昔に筆を折っていました。ボクが春花さんを救ったんじゃない。春花さんがボクを救ってくれたんです。こんなボクが親友だなんて……とても恥ずかしい気持ちでいっぱいです……すぐにでも謝らなければいけません」

 そう言うと、ボクは深く顔を伏せた。

「ねぇ~え、貴美子ちゃん。春花の笑顔、誰かに似ていると思わない?」

「思います……でも、わからなくて、もやもやしています」

「じゃ、こっち見て。これよ」

 ボクが顔を上げると、オタのママが胸の缶バッチを指さした。

 あ、これだぁ。オタフクソースのおたふくさん。思わずボクは吹いてしまった。

「ぷっ……あ、すみません」

「やっと、貴美子ちゃんが笑ってくれた。似てるでしょ? 昔っから、あの子。たこ焼きとかお好み焼きが大好きでね。そんな理由もあって、たこ焼き屋を始めたんだけど……このマークが気に入っちゃって。幼稚園のとき、春花には、特別仲良しな子がいてね、その子にだけ『オタちゃん』って呼ばせていたの。その子が引っ越すときにはワーワー泣いてね……それから、オタって呼ばせる友だちとは、巡り合えなかったみたい。だから、パパがビックリしていたわ。そして、『春花に親友ができた』って、とても喜んだの。だから謝るなんて、言わないで」

「でも……」

 ボクは、自分で自分が許せない。

「春花が認めた友だちだもの。春花を救ってくれた人だもの。だから、ありがとう……で、いいんじゃない?」

 オタのママとオタの声とが重なって、ボクの視界がぐにゃりと歪む。

「本当に、ありがとうね……」

 そう言って、オタのママがボクの背中を大きくさする。ボクはしばらく泣いていた…………。

「よし、終わり!」

 そう言うと、オタのママがボクの肩をポンっと叩いた。

「もうすぐあの子は、自分の力でスマホを手に入れるわ。今なら、私たちで買ってあげられるけれど、あの子のがんばりを見届けたいの。そのときまで、このことを秘密にしてくれたら……おばさん、とてもうれしいな。それと……これからは、『きみちゃん』って呼んでも……い?」

「はい!」

 笑顔でボクは、涙をいた。

 これが、半月前の出来事だ───今ならオタに伝えられる。謝罪ではなく、感謝の気持ちを……。

 自分の力で手に入れた、新しいスマホに微笑むオタに、

「ありがとう、オタ」

 感謝の気持ちを伝えると、

「どうして? ありがとう……なの?」

 オタがキョトンとした顔でボクを見る。

「去年の春。オタがいなかったら、ボクは筆を折っていたから。ボクは……知ってたんだ。オタのお父さんとお母さんのたこ焼き……おいしかった。だから、ごめんじゃなくて、ありがとう」

 一瞬、オタは驚きの表情を見せ、ボクを見上げてこう言った。

「じゃ、ウチからも。ありがとう……で、いいんじゃない?」

 オタがスマホに指を踊らせると、刹那せつなにボクのスマホが鳴った。画面に見知らぬ番号が───

「これ、ウチの電話番号だよ。使いたい放題の契約にしたの。だからこれからは……いっぱい、いっぱい。ウチとスマホで話そうね」

 新しいスマホを振りながら、オタがにっこり微笑んだ。古来より、多くの福を呼ぶと伝えられた、おたふくさんと同じ笑顔で……。

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