僕らが昭和を生きていた頃。メロンは特別な果物であった。中学に上がるまで、マクワウリをメロンと信じた。だってそうでしょう? マスクメロンなんてのはね、テレビの中でしか見たことないもの。あれは、病気をしてはじめて目にする高級品なのだ。入院したって見たことないけど(汗)
そんな僕がメロンをもらった。
うれしー、こんなのはじめて(笑) この歳でお恥ずかしい話だけれど、「病気をしないと食べられない」そう、幼少期に植え付けられた呪いからの解放を感じた。おい、サヨリ。このメロン、凄えだろ?
二〇二三年八月一日二十二時二十九分。
二日間、冷蔵庫の中で熟成させた、マスクメロンを猫と眺める。はじめてのメロンにサヨリは全く動じない。チラリと見つめて目を逸らす。猫はメロンは食べないのかも知れないな。だったらずっと、俺のターン。サヨリに見守られながら、僕はメロンに刃を入れた。高級ステーキから肉汁が滴るように、高級メロンからも果汁が溢れた。メロンを切るとこうなるんだ…。
妙に納得しながら、半分に切り分けたメロンを見せると、サヨリはメロンに背を向けた。サヨリにとってのはじめてのメロン。少し怖く見えたのだろうか? でも、これなら邪魔されずにメロンを満喫出来る。夜の宴、本番はこれからである。
メロンを手にした日。「まずはコレ!」という食べ方があった。とおい昔、テレビの記憶が蘇る。知ってる、知ってる、誰やっけ? 旭だっけ? 哲也だっけ? 裕次郎だったっけ? 誰だったのか忘れたけれど、銀幕のスターがメロンに牛乳かけてた記憶が残る。メロンを半分に切り、その種を取り除き、そこに牛乳を入れて食す。美味しんぼ登場はずっと未来。ド田舎の園児には、十分すぎるほどの刺激があった。
将来の夢はメロンです!
スターのそれが贅沢の極みに見えた。それを何かの拍子に思い出す。けれど、それを実践するには至らなかった。そもそも、メロン半分を一度に食べた事もない。今宵、その夢が叶うのだ。
ボクいらない 猫がそう言ったから
八月一日は メロン記念日
実にアゲアゲな気分であった。丁寧に慎重にメロンの種を取り除き、その中に牛乳を注ぎ込む。何たる贅沢、生きてて良かった。ほら、みてみて! サヨリはメロンを見れども微動だにしない漢であった。

続行だ。
果肉と果汁、そしてミルク。メロンの中心で愛をまぜる。そうすると、牛乳の白が徐々に緑みを増してゆく。幸せと、感動と、楽しみが混じった色になる。メロンの香りも強烈で、今からメロン食べます! そんな気にもなった。
ありがとう、ありがとう、あぁ、美味いわ。
口の中でメロンが弾ける。甘味と酸味、そしてほのかな苦味。メロンの味は知ってるつもり。でも、それとは違う。言うなれば、これまで食したメロンとは何だったのか? そんな根幹を問われた気がした。そして、次のひとくちが止まらない。徐々にミルクがなくなり我思う。
ミルクは邪魔だ。
メロンとミルクの組み合わせ。それが悪いとも思わない。けれど、折角の折角である。極上の極上は、メロン単体がより美味さを探求できる。でも大丈夫、もう半分残ってる。これは冷蔵庫にしまって、明日、ゆっくり味わおう。ごっつあんです(笑)

つまり、今夜のメロンは、この記事を投稿した後で(笑)
コメント
贅沢な遊び^ ^
神のようだ笑
贅沢の極みでした(旨)