───せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、はるのななくさ
黒板の文字を暗誦する。1月7日、小学校、甲高い声、何度も繰り返される春の七草。昭和の時代に通った僕の小学校。木の床、木の壁、木の天井。木造平屋建の教室から聞こえる七草の暗誦。三学期の恒例行事だった。どの学校もそうなのか、うちの学校が特別なのか、文部省推薦なのか、春の七草の暗誦の理由は今でも分からない。
───今日でお正月は終わりです、正月気分もここまでです、勉強に励みましょう
締めの言葉はいつもこれ。
これが言いたいだけだったのかも知れない。先生は続けて語る。「おせち料理で疲れた胃を休めるために七草粥を食べましょう」僕は被せ気味に突っ込む。
───おせちもいいけどカレーもね
心の中で突っ込んだ、口に出せない突っ込みだった。昭和の先生はおっかない。本当に「廊下に立ってなさい」が存在した。だから、先生のご希望どおり、学校のご希望どおり、大人のご希望どおり、誰もが純真無垢な子どもを演じた。
ランちゃん、スーちゃん、ミキちゃん。ハウス ククレカレーのCMが頭の中でグルグル回る。どう考えても1月7日はカレーだった。
───1月7日の夕食は憂鬱だ、憂鬱の極みだ
だってそうでしょう?、お粥だよ、お粥、お粥だもの。小学生の胃袋は軟じゃない。今からだっておせちイケる。年越しうどんは飲み物です。育ち盛り、食欲旺盛、鍛えてこその胃袋。お粥には味が無い。肉とか、肉とか、肉が喰いたい。不貞腐れながら七草粥を食べた。わが家では七草粥におかずは付かない。
───この世の終わりを感じる夜だった
時の流れは早い。それはもう、40年以上も昔の話。
七草粥はイマイチ、永谷園のお吸いものと玉子でアレンジ七草粥
───餅つき、正月、七草粥
バブルが始まる頃から日本人の食文化は大きく変貌を遂げる。かつて、甘いものは女と子供の食べ物だった。男子たるもの喫茶でケーキなどあり得ない。ブラックコーヒー以外の選択肢など許されなかった。いつの間にか、ケーキを人前で食べられる時代になった。糖尿病患者が増加した。メタボが社会現象になった。
成長したのはウエストのサイズだけだった。
───1月7日は1年で最初の節句である
人日、上巳、端午、七夕、重陽。 人日は一年で最初の五節句のひとつ。「人を大切にする」という意味を持つ。 無病息災と健康長寿を願い、七草粥を食べる文化が定着したのは江戸時代。わが家では昭和60年代まで問答無用で夕食は七草粥だった。
あんなに嫌いで嫌だった七草粥が、今となっては懐かしい。
───もう何年も、七草粥食べてない
お正月のごちそうで疲れた胃腸をいたわっていない。材料をそろえて七草粥でも作ってみるか。いや、それは面倒くさい。そもそも材料をそろえるだけ一苦労。七草粥セットなんてあるのだろうか?。考えた事も無かったけれど、四国新聞のチラシをみたら、、、あるじゃないの。七草粥セット…でも、お高いんでしょ?。
───お高かった
お高くてもブログネタに買って帰ろう。
経費だ経費。また、バズるかも知れない。邪心、悪気、邪念、下心がまる見えだった。悪魔との契約料、408円を支払い愛猫サヨリの元へと帰る。
神と天使の喜びに満ちた愛があなたの思考と行動を照らし輝かせています。天はあなたにスピリチュアルと物質の両面に豊かな恵みを注いでいます。
ドリーン・バーチュー. エンジェル・ナンバー (p.147). ダイヤモンド社. Kindle 版より引用
僕の愛読書、エンジェルナンバーの掲示は悪くない。天は僕に豊かな恵みを注いでいる。よし、人を大切にしよう、自分を大切にしよう、七草粥を食べよう、健康になろう。
───芹、 薺、御形、繁縷 、仏の座、菘、蘿蔔。
人を良くすると書いて食べる。1日前だけれど記事の為に七草粥を作って食べる。数年ぶりに食べた七草粥に幼少期の記憶が蘇る。正月たべた懐かしい味で、むかし食べた草の味。口一杯に広がる青臭さに箸が止まる。
つまり、美味しくなかった。
───嘘は書けない
そんな事もあろうかと、準備していた永谷園のお吸いものと生玉子。ちょっと雑炊と同じ方法で味を変えた。その点に抜かり無いのも年の功。
永谷園のお吸いものをと玉子を混ぜてレンジで2分。
永谷園の七草粥で食べるとうめぇ~。松茸の風味が颯爽と駆け抜けていく感じがたまらない。うま!これだよ、これ!!。これだったら明日も明後日も食べられる。これこそ庶民的妙味というやつ。七草粥の淡白な味が苦手な方。永谷園のお吸いものでアレンジしてみては如何でしょうか。
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