───横断歩道の前に描かれた黄色い足跡マーク
右足と左足の真ん中にはVサインともう一本の指。不思議でもあり、不気味でもあり、当たり前であり、謎である。香川県民は、赤、青、黄色の信号機と同じような感覚で足跡マークの前に立つ。つまり、足跡に三本指があるのが普通。無いと何か物足りない。
───そのマークが香川県だけの存在という事実も知らずに
だってそうでしょう?、生まれた時からあるのだから。登校、下校、遊びに行くとき、慌てて家に帰る時。いつものゼブラゾーンの前には、ずっとそれがあったのだから。無意識に存在を認識し、潜在意識の中に刷り込まれた足跡マーク。三本指に込められた想いには、交通事故から我が子を守りたい親の願いが込められています。
───わたしは、かならず、とまります!
謎の三本指マークに込められた交通安全への想い
───わたしは、かならず、とまります!
それは香川の小学生が必ず習う3つの約束。わたしは交通ルールを守ります、手を上げてわたります、左右をみてわたります。この活動を始めたのは、親子で交通安全に取り組む「こじかクラブ」。僕の子供の頃の記憶をたどれば、70年代~80年代の駄菓子屋の前には、「高松こじかクラブ」の看板が掲げられていた。
シャランラ♪、シャランラ♪、金スマの鹿の絵のような、お目々クリクリの看板だったと記憶している。随分と昔の事なので曖昧な記憶だけれど、顔だけで無く全身が描かれていたと思う。
───時は交通戦争真っただ中
香川県の交通事故件数は多く、死亡者数に至っては全国トップクラスだった。若くしてこの世を去った知人もいた。飛び出し事故だった。子供目線でも交通事故は他人事では無かったけれど、幼い僕らはバカだった。横断歩道の前でふざけていると、知らないおじさんにこっ酷く怒られた事も1度や2度では無い。
───前後左右、全方向から怒鳴られた
親の身になれば、バカ息子が遊びに出掛けるだけで心配のタネだったに違いない。第二次ベビーブームの申し子たちの移動手段は自転車で、ちびっこ珍走団化して道路を走り回る。子どもの数が多過ぎて大人たちの目も届かない。無法地帯がそこにあった。
───カエルのケツに爆竹世代は何事も荒々しい
今思えば、赤の他人に激おこぷんぷん丸してくれた、見知らぬおじさんの存在は有難い。そんな雷オヤジの存在が無ければ、さらに多くの悲劇が生まれた事だろう。道路で遊ぶ子どもを見つけては、ガミガミ起こるおじさんの姿は、まさに昭和時代のアベンジャーズだった。
自動車よりもトニー・スタークの怒髪天の方が恐ろしかったのは言うまでもない。
───三本指マークを付け足しているのは地元のPTA
地域の横断歩道の足跡マークに三本指を足しているのは、地域の父兄たちで、PTAの役員たちだった。子どもらの安心のために、子どもらの安全のために、子どもたちの未来のために。
───かく言う僕も、幼児期に車にはねられたそうだ
その実、事故の記憶は未だに無い。事故直前の記憶も無ければ、痛い記憶も無く、その日の記憶すら残っていない。目覚めると見知らぬ天井を眺めるシンジ君状態だった。そこから僕の人生が再スタートした気がする。
この世に生を受けてから3年後の出来事だった。
飽くまでも僕の想像の話だけれど、わたしは、かならず、とまります! 。三本指の裏には悲しい物語があったのかも知れない。冒頭で述べたように、僕らの幼少期、多少の人身事故は割と普通に発生していたのだから。
香川の子どもたちは当然だけれど、お仕事に来られたお客様さま、観光に来られたお客さま、うどん屋巡りのお客さま、そしてお遍路さん。横断歩道の足跡マークを見つけたら、三本指のマークを探して下さい。マークを見て思い出して下さい。
───わたしは、かならず、とまります!
讃岐で最高の想い出を作って帰れますよう心よりお祈りしています。家に入るまでが遠足、家に入るまでが旅行、家に入るまでご安全に。
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