昔々。
おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんは山に芝刈りに。
おばあさんは川へ洗濯に行きました…。
───おじいさんかよ
右手に鎌を持ち木の枝を切り払う。オラオラオラオラぁ~!。それを集めて庭の隅に積み上げる。日の当たる場所に積み上げる。朝からその繰り返し。お昼ご飯はまだ遠い。白いジャイアンツの帽子を被った僕は、夏の日差しを浴びながら黙々と作業を続けた。
───昼からは海で泳ぐんだ
巨人軍は永久に不滅です!。長嶋茂雄が巨人軍を引退した年の夏休み。僕らの夏休みの午前中は外出禁止だった。涼しい間は家で勉強。遊びに行くのはお昼ご飯の後で。それは小学生の先生からの命令だった。
田舎の子どもは純真無垢だ。先生にも、親にも、大人に忠実だった。午前中、遊びには行けないけれど、山で芝刈りは良かったようだ。親父からの注意事項はただ一つ。「蛇を見たら逃げろ」それだけ。パワフルで、わんぱくで、過酷なリアルのんのんびよりがそこにあった。
───夏休みが終わり秋が過ぎる
冬になるとマッチが与えられた。
小学生は風呂当番
当時、我が家の風呂は五右衛門風呂だった。マッチ箱に嫌な予感しかなかった。ゲンドウから指令が下る。「五右衛門に乗れ!」つまり、五右衛門風呂の掃除と風呂炊きだ。拒否権は無い。
風呂炊き嫌だ、風呂炊き嫌だ、風呂炊き嫌じゃ。小学校から帰ってテレビが見られないのが嫌だった。だから速攻で風呂を洗って釜に火を入れる。「父さん、僕が乗ります」絶望からのやけくそだった。
───薪は夏休みに溜め込んだアレ、伏線と回収
100円ライターなど存在しない世界。
マッチだけが僕の武器。子どもの火遊び火事の元など何処へやら。マッチ売りの少年は、数日足らずで火起こしのプロになっていた。BBQの火起こしなら朝飯前の腕前にまで成長を遂げた。最初は楽しかった。けれど、次第に火遊びにも飽きてしまう。
悪魔が囁く、天使も囁く。「一度、風呂釜を沸騰させてみないか?」その案に僕は乗った。ガンガンと薪をくべていると、知らぬ間に背後に立っていたゲンドウにドヤされた。
───水道代が勿体ない!
そっちかよ。
それから退屈な日々がリスタート。当時は焚火の全盛期。家庭用ごみは庭で焼いていた時代。各家庭から登る朝の狼煙。それは、年寄りの日課だった。僕はゴミを風呂釜の下で焼いていた。発泡スチロールやビニールが黒い煙を出しながら激しく燃えた。焚き付けには持って来いの素材だった。
年の瀬のある日、僕は台所でお宝を発見した。さつまいもである。段ボール箱にいっぱいだった。閃光走る、微かな閃き、これは名案。コグマダイエットから、遥か40年以上昔の小学生の妙案だった。
───ヨシ、イケる!
何が?。
誰から教わる事も無く、僕は風呂釜の灰を掘ってさつまいもを埋めた。それはテレビが教えてくれた。風呂を沸かす。ガンガン沸かす。風呂釜の炎が段々と小さくなり、火の赤い光が消えかかった頃、灰を掘り返すと焼き芋が出てきた。焼き芋には新聞紙。激アツの焼き芋を新聞紙でくるんで二つに割ると、芋の実が黄金色に輝いてみえた。
───うまっ!これだよ、これ!
フーフーと息を吹きかけパクリと一口。目で見て、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、脳で楽しむ余裕は無い。パクついた焼き芋は、庶民的妙味というやつだった。夕食抜きでも構わない。毎日焼くぜ、さつまいも。それから毎日、台所の芋を1本ずつ拝借。やばい!これはハマる予感しかしない。
その日から、ひとり焼き芋パーティーが密かに開催された。喰うものは、喰われる覚悟のあるやつだけだ。何にも無い時代だもの。何にも知らないガキだもの。焼き芋くらい良いじゃない。しかし、この生活は長く続かなかった。
───芋が無い!
と大騒ぎになるまでは…。その後の事は、みなさんのご想像にお任せします。台所からくすねた焼き芋の味は今でも脳裏に焼き付いている。
あぁ~、何もかも皆懐かしい。
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