マロカン

土曜日(ショート・ショート)

マロカン(参)

(小五郎ちゃんが、小五郎ちゃんが、小五郎ちゃんが……)  恵子の向かう先は厚い雲で覆われてた。小さな雨粒が恵子の頬を叩き、やがて土砂降りへと姿を変えた。それでも恵子は突き進む。小田切が務める交番を目指して。  先代から受け継いだ食堂は、交番勤務の警察官御用達の店だった。恵子の祖父、洋三の時代には警察官が制服のままで食事を取るなどしばしばだ。時には交番へ出前を運ぶことも。それは、飲食業を営む洋三とっても好都合であった。面倒事を避けられるのだから。  いつしかそれが、交番の慣習となり、非番の若い独身警官は洋平の店で食事を取った。つまり、小田切と恵子は馴染みなのだ。恵子が小田切を頼るのも当然である。...
土曜日(ショート・ショート)

マロカン(弐)

「お父ちゃん。小五郎ちゃん……今日、お店に来なかったね……」  恵子は店の暖簾を片付けながらため息をつく。 「どうしたんだろうねぇ、小五郎さん。昨日は今日も来るって言って帰ったのに……」  食器を片付ける洋平も心配げだ。 「昨日、恵子があんなことを言ったからかな?」  恵子は昨夜の態度に後悔を感じていた。恵子は思う。もっと優しくすればよかったのにと。 「そんなことはないだろう……小五郎さんにだって、小五郎さんの都合があるだろうし……もしかしたら、昨日の約束だって、忘れちゃったのかもしれないよ。ああ見えても小五郎さん、今年で百歳だからね」  厨房で食器を洗う洋平は、優しい声で恵子をなだめた。 「...
土曜日(ショート・ショート)

マロカン(壱)

───私は今年で紀寿を迎える。  共に時代を生きた人々は、すでにこの世から姿を消した。紀寿と言えば百歳なのに実感がまるで湧かない。すでに女房と息子は他界した。女房は九十三歳。息子は八十歳で天に召された。人として、ふたりとも長く生きられたと私は思う。人生なんて、それだけ生きれば十分だ。生きれば生きるだけ、長く辛い日々が続くのだから。年老いた動けぬ体で楽しいことなど何もない。長生きなんて先への不安が募るだけなのだが、私の事情は少し違った。  五十歳を過ぎてから、私の見た目がまるで変わらないのだ。身体能力も変わらない。肉体労働だって普通にできるし、私の勇者も朝日と共に立ち上がる。私の意思に逆らって、...