───オレのお嫁さんになればいい……。
オッツー家からの帰り道、それをツクヨは思い出す。三縁とオッツーとの三人で、釣りに出掛けた夏の日を……。
「ねぇ、オッツー。わたし……どうおもう?」
ツクヨはおませな小三だった。
「可愛いぞぉ~」
「エヘっ!(笑)」
オッツーからの予期せぬ言葉に、ツクヨは頬を赤らめた。
「リュックのペコちゃんが」
「そう……ですか……」
気まずい空気が防波堤を駆け抜ける。気まずいのはツクヨだけだ。釣りに夢中のオッツーは、ツクヨの変化を気にも留めない。
一緒に来ていた三縁はというと、ツクヨをオッツーに任せっきりで、秘密のポイントで竿を振っている。近くにいるのだろうけど、三縁の姿はどこにも見えない。サヨちゃんがいない! だからツクヨは大チャンス! 絶好の告白日和なのである。短い竿に小さなリール。投げては巻いて、投げては巻いて……。ツクヨはそれを繰り返す。
「ねぇ、オッツー。わたし……どうおもう?」
ツクヨからの二度目の質問に、オッツーはどう返す?
「どうしたの? ツクヨっち。今日は、なんだが様子が違うなぁ~。腹でも痛いか?」
「いたないわ!」
ツクヨは朝から決めていた。今日、わたしはオッツーの彼女になるのだと。
「わたしと、おつきあいしませんか? わたしをかのじょにしてみませんか?」
ツクヨは告った。クルクルと小さな指でリールを巻きながら。それは、ツクヨの照れ隠し。不規則に反射する夏の日差しが、海面でキラキラと光り輝く。ツクヨは思う───いい感じ、ドラマみたい……と。ツクヨの質問にオッツーが微笑んだ。
「今だって、お付き合いしてるじゃん?」
何よ、その返事。オッツー、全然、分かってない! ツクヨはプーっとほっぺを膨らませた。
「そうじゃなくって、こいびとなのぉ!」
「それはないかなぁ~」
ライダーチョップでバッサリだった。半べそになったツクヨの頭を撫でながら、オッツーはツクヨに言った。
「もしも、ツクヨっちに彼氏ができなかったら、好きな人がみつからなかったら。そんとき、オレのお嫁さんになればいい。でも、未来のオレは……おじちゃんだぞ」
お嫁さん……ツクヨのご機嫌が少し戻っる。
「やくそくね」
「うん、約束だ」
それは、オッツー渾身の冗談であったのだが、ツクヨはそれを本気で真に受けた。小三の夏から中二の今日まで、ツクヨはオッツーの言葉を信じていた。ツクヨにとっての正義の味方。その彼が、自分に嘘などつくはずがない。今日こそは……再確認! そう思いながらも、確認することができなかった。シチューの秘密を知ってしまったから。言い出すタイミングを逃してしまった……。ツクヨは人生で初めての切なさを感じていた。空を見上げるとひこうき雲。青い空に真っすぐな線。どこまでも続く白い線。それを見てツクヨは決意した。
「道草は、人生には必要なのじゃ。飛行機だって、いつかは降りる!」
まだ、勝負は終わってない。ツクヨは家の前を通り過ぎ、じいちゃんの畑に舵を切る───調達だ!
「今日はわたしのお誕生日なの。イチロさん! おジャガとニンジンくださいな」
「カレーなら、玉ねぎもじゃろ?」
一郎は被せ気味にツッコんだ。
「カレーちゃうもん。シチューやもん! でも、玉ねぎもくださいな!」
「はいはい。シチュー、シチュー」
一郎は、笑ってひ孫に野菜を手渡す。
「イチロさんちの晩御飯も作ってあげるからね。楽しみに待っててね」
沢山の野菜を手に持って、ツクヨの顔が明るくなった。
「はいはい。楽しみ、楽しみ」
一郎の今夜の楽しみがひとつ増えた。
ひいじいちゃんの畑で材料をゲットして、お次は冷蔵庫の中から肉を探す。わたしは決めた! これからは、わたしがオッツーのシチューを作るのだ。さっき習ったばかりのレシピを広げて、ツクヨはシチューを作り始めた。家庭科の授業でしか使ったことなきエプロンをして。
「早かったな、ツクヨ。今日、何食べた?」
冷蔵を物色に来た三縁がふわっとツクヨに話しかける。それは、ツクヨへ向けた遠回しの配慮であった。食事会の本質を理解していたからだ。
「シチューよ。オッツーママの話も聞いた……」
「そっか……よかったな」
「うん」
湿っぽいのが苦手な三縁は、別の話に切り替える。
「何を作ってんの?」
「今夜の晩御飯」
「カレーか? てか、作れるのか?」
ツクヨはシチューを食べたばかりだ。三縁がカレーを直感するのは、当然の帰結である。
「シチューよ(笑)」
秒で三縁はツクヨの気持ちを察した。これからしばらく、シチュー生活が続くのだとも。
「そっか。指、切るなよ」
「うん。準備してるから大丈夫」
「じゃ、楽しみにしてるよ。さてと……オイラは原稿の続き、続き……っと」
三縁が階段に足を掛けると、ツクヨが言った。
「わたし……オッツーと付き合いたい……オッツーの彼女に……なれるかな?」
ツクヨの指がまぶたをなぞる……玉ねぎを切る前なのに。可愛い姪っ子と大切な親友。姪っ子の涙に三縁は助言した。
「俺の親友は、俺の姪っ子を泣かせる男じゃない。俺は俺の親友を信じている。だから、お前はお前の気持ちを信じろ。まだ持ってたんだな……その絆創膏」
ツクヨの指の隙間には、仮面ライダーの絆創膏があった。先のことなど分からない。でも、今の気持ちを大切にしてほしい。そう、三縁は思いながら……。
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