「あれ? ツクヨは?」
じいちゃんが俺に向かって声をかけた。ツクヨを探して辺りをキョロキョロと見まわしている。
「ツクヨは、アケミたちとタピオカ飲みに喫茶に行ったよ。今日は畑に来ないよ」
「タビオカ?……ってのが流行っているのか?」
ツクヨが来ないと知ると、じいちゃんは残念そうな顔をした。
「タビじゃなくてピ! タ・ピ・オ・カ。なーんか、女子の間で流行ってるらしい……知らんけど。そういえば、あの来夢来人って喫茶店。ずいぶん昔からあったらしいね?」
俺もタピオカの話を詳しく知らない。それよりも、ずっと昔から存在する喫茶店の歴史を俺は知りたくなった。
「来夢来人か……。先代の現役時代には通ったものだよ」
「もしかして……デートとか?」
からかうように俺が言うと
「そうじゃのう……ばあさんとデートしてたかな」
ま、ま、ま、マジっすか?
じいちゃんは、視線をよつぼしに移して語り始めた。よつぼしに白い花が咲いている。この調子なら来週辺りで、もぎたてのイチゴが食べられるな……。じいちゃんは、それをツクヨに見せたかったのだろう。よつぼしは、ツクヨと同じでうちの畑のアイドルだから。
「じいちゃんさ、ばあちゃんの方が年上だったよね?」
そう、ばあちゃんは姉さん女房なのだ。年は上なのに、ばあちゃんはいつだって、じいちゃんよりも三歩下がって歩く人。いつだって、ばあちゃんはじいちゃんファーストなのだ。そして、俺たちには途轍もなく明るい人でもある。
「あら、楽しそうね」
友だちと話しているとそう言って、自然に僕らの会話の中に溶け込んで、あらゆる情報を引き出されてしまう。ある意味で聞き上手。そして、幾つになっても好奇心の塊のような人だ。そんな陽キャなばあちゃんは、きっと娘時代にはモテただろう。
「そうじゃの……5つ上だったかな? この年になれば大差ないわ」
よつぼしの葉の裏を確認しながら、じいちゃんはそう答えた。
「どんなだった? 昭和の喫茶店って?」
「先日、モーニングを食べたけど……今とあまり変わり映えしてないかな? テーブルゲーム機と灰皿がなくなったくらいじゃな。お店のマッチも……そうそう、昔は星占いの自動販売機があったっけ?」
じいちゃんの昔話は、異世界みたいで面白い。
「占いの自動販売機? 神社のおみくじ的な?」
これ、今日のブログネタにしてやろう。俺の興味は、ばあちゃんから謎の自販機に向けられた。
「そうそう、金属製の丸い半球体に土台が付いているようなカタチでな。いつも塩と砂糖の器の横にあった。どこの喫茶店にもあったんじゃ。そういえば、豚太郎にもあった気がする……」
豚太郎とは、かつて讃岐にあったラーメンチェーン店の名前である。テレビコマーシャルもしていたようだ。俺の知る限りでは一件だけ知っているけれど、一度も暖簾を潜った記憶のない店だった。
「横に100円玉を入れる穴があって、自分の星座の絵が描いてある穴に、100円を入れると占いが書かれた紙が出てきたんじゃ。小さな丸い筒状になって出てきて、それを引き伸ばして読んでおった……」
何かそれ、見たことあるかも?
「それって、ルーレットがついてるやつ?」
じいちゃんの話で、俺はルーレットおみくじを連想した。
「ルーレットはなかったな。そんなのはワシは知らん、きっと、新しいタイプなんじゃて。カタチは似ていると思うがのぉ~。はて? ワシが知っているのは、上側は灰皿だったと思うのじゃが……」
半信半疑でじいちゃんは答えた。とはいえ、昔は何処にでも灰皿が存在していたんだなぁ……。今は灰皿自体が珍しい存在だけれど。
「でもさ、それって実際にやってたの? 100円もするおみくじを?」
「ばあさんは、やってたよ。ワシが遅刻したら、おみくじを読みながらワシを待っておったよ」
時間に厳しいじいちゃんが遅刻なんてするのか? そっちの方が驚きだ。
「じいちゃんさ、時間には厳しいじゃん? そんなじいちゃんが、彼女を待たせるって……亭主関白的な思想から?」
それ以外に考えられない……。すると、じいちゃんは目を細めた。
「ワシにはな、忘れられん人がおった……。一生独身で過ごすと決めたくらいに。ばあさんは、そんなワシを導いてくれた人じゃ。ワシはの、ばあさんに恋愛感情なんてまるでなかった。そうじゃのぅ……ワシにはお師匠様だったな……ばあさんは……」
星座の自販機から始まる会話が、今まさに、アケミたちと同じ土俵に立っていた。もうこれは、時空を超えた恋バナじゃないか! じいちゃんとばあちゃんとの馴れ初めを聞ける日が来るなんて。俺は思う。ツクヨがいなくてよかったと。だってそうだろ? ツクヨがいたら、こんな話に決してならない。今日だって、ツクヨとよつぼしの話をして終わっていたのに違いない。
「でさ……ばあちゃんって、可愛かった?」
俺はばあちゃんの娘時代の写真を見たことがない。てか、元々興味すら持ってなかった。生まれた時から、ばあちゃんの姿はばあちゃんだった。
「ばあちゃんは……うーん。パッと明るい人だったよ」
「それ、今もじゃん?」
「そうじゃな……今もじゃな。いつまでも、ばあさんは変わらないな」
「その忘れられない人から、ばあちゃんがじいちゃんを奪ったの?」
俺が聞くと、じいちゃんは困った表情になった。
「それは違うな……あの人は……」
すると、俺のスマホが高らかに鳴った。なんだよ、なんだよ、こんな時に……。スマホ画面にアケミの名前が表示された。知ってる、それ、ツクヨのお迎えの催促だろ? 電話に出ると大きな甲高い声に耳が痛い。
「サヨちゃん! ツクヨちゃんは、サヨちゃんのおむかえをまっています!」
それだけ言うと、電話が切れた。声の主はツクヨだった。
「ほれ、ツクヨが待っておるぞ。迎えに行ってやれ」
じいちゃんがホッとしたような表情を見せた。
───チィっ……。
俺は心の中で舌打ちをした。
そのとき俺は知らずにいた。若きじいちゃんを襲った悲劇と、その心を救ったばあちゃんとの馴れ初めを。
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