元旦の朝。
俺たち放課後クラブは屋島山上で御来光を拝む。
幼稚園時代から始まったこの行事は、俺たちが中学生になっても続いていた。ゆきは正月に海外旅行の予定がなければ参加した。つーか、いつの頃からか初日の出を拝んでから、ゆき一家はハワイへ家族旅行に出かけるようになっていた。
3学期の始業式。
小麦色の肌をしたゆきがハワイ土産を配るのも、放課後クラブの冬の風物詩になっていた。俺たちは、その日を“マカデミアナッツチョコの日”と呼んで楽しみにしていた。
話は戻って、初日の出。
今年の引率役はオトンだった。初孫の屋島デビューにオトンが張り切らないワケがない。なのに大晦日、オトンは朝まで飲んだくれた。いつもそう、いつだってそう。こうなったら起きやしない。だから、オカンが連絡を取ってじいちゃんの出番となったのだ。
じいちゃん、何か……ごめん。
俺たちは屋島山上で御来光を拝み、屋島寺を参拝し、おみくじを引く。最後に俺たちが向かう先は、獅子の霊巌展望台。幼稚園の頃からずっとそこ───“屋島名物 開運厄除瓦投げ”である。素焼きの皿(カワラケ)を買って、願いを込めて海に向かって投げるのだ。
その昔、弘法大師が屋島寺を一日建立した故事からとか、源平合戦で勝利した源氏が陣笠を投げて勝鬨をあげた言い伝えだとか。それには諸説あるけど、本当のことは分からない。たぶん、屋島の誰にも分からないのだろう。縁起物とはそういうものだ。そして、それでいい。
開運、厄除け、合格祈願、恋愛成就になんやかんや……。屋島の瓦投げの御利益は万能である。さしずめ、ドラゴンボールのシェンロンである。ドラゴンボールを揃えなくても、カワラケを投げれば何でも望みを叶えてくれる。望みが叶いそうな気がする。俺たちにとってカワラケとは、とてもありがたきお皿なのだ。
「これから新ルールを追加しますわ!」
カワラケを天にかざして、ゆきが声高らかに宣言した。
ゆき……張り切っちゃって、正月からどうしたよ?
「なになに? ゆきちゃん、知りたい。それ知りたーい!」
アケミの目が輝いている。キラキラよりもギラギラだ。
「ここに、魔法のマジックがありますの。これで、カワラケに願いを書けば、効果が100倍アップします。これこそが、カワラケマジックですのよぉ! おっほっほ」
そんなの初耳だよ。そんな話を誰から聞いた?
ゆきの子ども騙しに、俺たちは騙される。俺たちはアホで幼気な中学生。コンビニ雑誌の開運財布。その広告だって、俺は心のどこかで信じている。それは、アナタも同じだろ? もしかして……広告には、嘘だと言い切れない何かがあった。そして、オッツーはガチで信じている。
謎めいたゆきの案に、俺たちはホイホイ乗った。俺たちはチョロい中坊だった。
「それは、面白そうですね」
驚いたことに、ゆきの提案に桜木でさえもが乗っかった。神童桜木の影響力は絶大だ。彼の一声で、都市伝説さえもが真実となる。やらなきゃ損だ! そんな気持ちに煽られて、最初にカワラケに願いを書き始めたのがアケミであった。カワラケに二次元の彼氏の名前を書いている。
なぁ、アケミ。そろそろ、三次元へ戻ってこいよ……。
「ツクヨちゃんも書こうよ」
ゆきがツクヨを誘うと、ツクヨがゆきから二歩さがる。
「わたし……いい……」
ツクヨは手に持ったカワラケを見つめている。
「どうして? お願い事が叶うのよ」
ゆきが説得を試みる。きっと、この瞬間を楽しみしていたのだろう。みんなに書いてほしいのだ。
「そうよ、そうよ。書くだけで願いが叶うって凄いでしょ? 縁起物だから、乗っかるといいことあるかもよ」
アケミも口添えをした。
「ほんとに……?」
ツクヨはしばらく考えていた。空に浮かんだ雲を眺めながら。虚無の瞳の中で、幼女は何を考えているだろう……。
「だったら、次はオレの番ね!」
オッツーが我先にとカワラケに願いを書いた。お前、絶対に仮面ライダーって書いただろ? 俺は桜木に目を合わせてニヤついた。それに桜木は微笑んで返した。
ノリノリで願いを書くオッツーの姿に、ツクヨの考えが纏まったようだ。いつもの元気なツクヨに戻った。
「オッツーぅ~、わたしもぉ~!!!」
「よっしゃ、ツクヨっち。これで書け!」
いつも息ピッタリだな、お前らは。もしかして、付き合ってんの?
「じいちゃん、こっち、こっち!!!」
オッツーからマジックを受け取ると、ツクヨはじいちゃんの手を引いて、おみやげ物屋に駆け込んだ。かの有名な、れいがん茶屋の中である。じいちゃんを店の中の椅子に座らせて、じいちゃんの背中を机代わりにカワラケに何かを書いている。
背中って……ツクヨはじいちゃんにも見せる気はないようだ。
「できたぁ~!!!」
テテテテテ───戻って来たかと思うと、ツクヨは海に向かってカワラケを投げた。ツクヨがすぐに投げたのは、誰にも見られたくなかったからだろう。
じいちゃんは首をひねりながら、ツクヨに渡されたマジックを見つめている。
誰にでも夢がある。絶対に叶えたい夢もある。未来しかない幼女なら尚更だ。それを誰にも見せたくないのは、想いの強さがそうさせるのだろう。
で、何を書いたのかな? 我が姪っ子ちゃん。
俺は、野暮だと思って口を閉ざす。これから少し未来でも俺はそうした。
獅子の霊巌展望台。ここでは、一年を通して上昇気流が巻き起こる。空に向かって突風が吹き上げるのだ。この現象は、冬になると割と頻繁に発生する。だがしかし、このチャンスを生かせる者は稀であった。
───うぉぉぉ~!!!
放課後クラブと参拝客の歓声が轟いた。
その場にいた全員の注目が、ツクヨのカワラケに集まった。吹き上げる風に乗って、ツクヨの投げたカワラケが大空へと舞い上がる。小さな手から放たれたカワラケの軌道が、急上昇するミニドローンのようだ。一向に落ちてくる気配がない。
これは、千年に一度の突風だな……。
ツクヨのカワラケだけが、いつまでも落ちてこない。宙に浮かんだまま落ちてこない。ツクヨのカワラケは、見えない糸で吊るされように重力の法則を無視し続けた。
「ツクヨっちのアレ、凄くね?」
オッツーは、俺の隣で興奮している。ギュイーーーーーン!!!とベルトの風車がうなりを上げた。
今年のツクヨは何かを持っているようである。カワラケに書いた願い事。この勢いがあれば、きっと望みも叶うだろう。さぁ、家に帰って雑煮を食べよう。あんころ餅の白味噌仕立て。家でそいつが、俺の胃袋を待っている。
あの日、俺たちは未来に向かってカワラケを投げた。それぞれが、それぞれの想いを込めて。
俺たちに今年はどんな未来が待っているのだろう。楽しいこともあるのだろうし、悲しいこともあるのだろう。できることなら楽しい思い出ラッシュに期待したい。ちなみに俺がカワラケに書いたのは“アクセスアップ”の文字である。ゆきは“噴水”と書いていた。ツクヨと桜木の願いは謎のままであった。
屋島山上からの帰り道。
下り坂の山道で、俺たちは休憩を取った。老いたじいちゃんと幼きツクヨのために。地面に腰を下ろしながらじいちゃんは、シワクチャな笑顔でツクヨの頭を軽く撫でた。
「オッツー君か……」
じいちゃんの呟きを、俺の耳は聞き逃さない。
屋島で投げたカワラケは、幼女の恋文だったのだ。幼きツクヨの恋心。それを、オッツーが知る由もない。俺が懐かしみながらオッツーに語るのは、今から随分先の話である。
「ツクヨっち! ここからの眺めがキレイだぞ!」
幼女に手招きする中学生。
「オッツー! どこじゃ!」
甲高いツクヨの声が、屋島の山でこだました。
俺たちの物語は未来に進む。
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