「オレにはな……オレには……大切な仲間がいるんだぁぁぁぁ!!!」
とある夏の日。
少年の叫びがこだました。その声は、悲鳴にも似た叫びだった。
私の名は安藤導。
この子を将来へと導く男だ。少年の名は、尾辻正義。友人の間ではオッツーと呼ばれている。風の噂で聞いたのだけれど、そのあだ名には〝おつじ〟の響きと、彼の挨拶が「オッツー(お疲れ)」だったのが起因らしい。立場上、私は彼を尾辻君と呼んでいるのだか……。
では、話を五分ほど前に巻き戻そう。
「もう、帰ってもいいですか?」
ダルそうな声で少年は言う。
「ダメに決まっています」
私は彼を帰さない。一歩たりとも譲歩はしない。それが私の役目なのだから。
「ところで、尾辻君の夢は警察官……でしたよね?」
そう、私は彼に問いかけた。
「そうだけど?……それが何か?」
またもや、ダルそうな返事である。先ずは、彼を落ち着かせなければ……。
「どうして君は、警察官になりたいのでしょう?」
私は彼の事情を知っている。家庭の事情さえも知っている。それを知っていての質問だった。
「正義を守るために決まってる」
真っすぐな目で彼は私に答えた。保身と欲望。それが、まかり通る世の中である。〝金がすべて!〟と言わんばかりに、堂々と、ド正論のように動画に流して金にする。大の大人が、彼のような子どもが見ている目の前で……。
誰しもが金は欲しい。車が買える、家も買える、うまいものも、時間でさえも。その気になれば、なんでも買える金が欲しい。だが私は、その風潮が嫌いだった。彼のように正義感溢れる大人が増えれば、少しはマシな世の中になるのだろう。彼と出会ってから、いつも私はそう考えている。同僚に理想論だと失笑されながら……。
「それは素晴らしい意見ですね。でも、今の君が警察官になれるとは……とても私には思えませんが?」
今の彼が警察官になるのは無理に思えた。私の立場を離れて客観的に見てもそうである。
「どうして?」
私の言葉に彼の目が一瞬で曇った。お構いなしに容赦なく、間髪をいれずに畳みかける。子どもだろうと妥協はしない。
「今の君には何もないでしょ? 気持ちや気迫だけで警察官になれると思っているのは大変な間違いです。ご都合主義もほどほどにです。正義を守る前に、君にはやるべきことが山ほどあります」
「何言ってるのか、よく分からない……」
彼は私に反抗的な態度をとった。睨むような目で私を見ている。
「子どもの君に何があるというのでしょう? 君には、何ひとつありません。そんなふうに私には見えますよ? 口だけなら、誰にでも言えますからね。なんだって言えますよ。君に何がありますか? 尾辻君、答えてください」
彼はしばらく俯いた……そして、顔を上げて私に告げた。今にも泣きだしそうな顔である。
「オレには仲間がいる。大切な仲間が。だから、オレはあいつらを守る。警察官になって町を守る!!!」
それは子どもの〝じゃれごと〟である。大人として、私は事実を告げた。
「君の言葉だけで世の中の平和が守れるのなら、今頃はきっと、よき世の中になっているでしょうね。警察という職業など存在しなくなるほどに。簡単な話ではないのですよ。それは理解できますよね? 今の君に仲間が守れますか? 守り切れると言えますか? 守ろうとする気持ちだけでは、どうにもならないこともありますよ?」
彼の手のひらが拳の形に姿を変えた。ドン! 彼は両腕で机を叩く。そして、私に向かってこう叫んだ。
「オレにはな……オレには……大切な仲間がいるんだぁぁぁぁ!!!」
彼の叫びがこだました。その声は、悲鳴にも似た叫びだった。いつもそう、いつだってそう。この時ばかりは、「君は、ゴムゴムの海賊ですか?」そう、ツッコミたい気持ちをグッと抑える。
「だったら今、やるべきことをやりましょう。私が君を全力でサポートします。そのために私はいます。そのために君はここにいるのですよ。さぁ、始めましょう」
「オレ……やってみる。辛くても耐えてみせる」
ギュィィーーーーン!
彼の心と命のベルト。彼のやる気スイッチがようやく入った。
「では、これから補習を始めます!」
「はい! 安藤先生!」
夏休み、我々の毎日がこれである。
───バカだけど、警察官にオレはなりたい……。
夏休みの補習は、彼の申し出から始まった。とはいえ、このご時世。父兄に特別扱いだと受け取られかねない。だから校長の許可を得て、クラス全員に〝夏休みの補習日程表〟のプリントを配布した。
この試みは、父兄にも好評だった。
ところが、ふたを開けると最後まで残ったのは彼だけであった。参加者が減った理由は、家族旅行、学習塾、スポ少などである。
これまでの一連のやり取りは、彼のやる気を奮い立たせるべく、雰囲気作りで補習の最初にやり始めた子芝居である。これをやると、不思議と彼の集中力が倍増するのだ。夏休みの間に彼がどこまで伸びるのか? 私の興味はそこに向かった。
だがしかし、毎度、同じセリフでは飽きてしまう。だから、セリフを考える。それが、私の楽しみにもなっていた。そして、彼の能力に気づいてしまう。いつも落ち着きのない彼の内に、優れた記憶力が備わっていることを。私は彼に記憶のコツを叩き込んだ。正義の少年の可能性を信じながら。
───記憶とは頭で覚えるものじゃない。強く心に刻み込め!……と。
真っすぐ生きようとする彼ならば、きっと、立派な警察官になれるだろう。
「───尾辻君。今日も気持ちのいい天気ですね(笑)」
教室から窓の外を眺めると、抜けるような青空と海に浮かんだ入道雲。そして、校庭を歩く飛川親子……そうだった、そうだった。これから、飛川君は校長室か……カブトムシの一件で。
「あ、サヨっちだ!」
大親友の飛川君を見つけると、彼の中の集中力が途切れてしまった。こりゃ、今日は最初からやりなおしだな(汗)
「ところで、尾辻君の夢は警察官……でしたよね?」
私は同じ言葉で問いかける。
彼の未来に期待を込めて……。
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