マロカン(壱)

ショート・ショート
土曜日(ショート・ショート)

───私は今年で紀寿を迎える。

 共に時代を生きた人々は、すでにこの世から姿を消した。紀寿と言えば百歳なのに実感がまるで湧かない。すでに女房と息子は他界した。女房は九十三歳。息子は八十歳で天に召された。人として、ふたりとも長く生きられたと私は思う。人生なんて、それだけ生きれば十分だ。生きれば生きるだけ、長く辛い日々が続くのだから。年老いた動けぬ体で楽しいことなど何もない。長生きなんて先への不安が募るだけなのだが、私の事情は少し違った。

 五十歳を過ぎてから、私の見た目がまるで変わらないのだ。身体能力も変わらない。肉体労働だって普通にできるし、私の勇者も朝日と共に立ち上がる。私の意思に逆らって、毎朝、ビンビンに立ち上がるのだ。その秘訣を多くの人が聞きにくるのだが、私にもその理由が解らない。ゆっくりと、でも確実に……若返っている気さえもしている。とはいえ、この身体的特性が私の生活を支え始めた。

 仕組みは知らないのだが、友人の恵子の勧めでビジネスなんちゃらに登録した途端、私の銀行口座に毎月お金が振り込まれ始めたのだ。ちなみに恵子は、行きつけの定食屋の娘であり、私にSNSとやらを教えてくれた師匠でもある。とはいえ、私にとって仲のいい女子高生という位置づけだ。八十歳以上も歳の差があるのだから、私から見れば〝ひ孫〟の子どもの年頃だろうか?……うん、分からん! 小難しいことは考えない。それが、若さの秘訣である。

「小五郎ちゃんは、生きてるだけで丸儲けデス!」

 小五郎とは私の名である。

 恵子が言うには、私は日本で最年長のインフルエンサーらしい。毎日、食事の写真と一言コメントだけを書き残しているだけなのに、私のような年寄りには価値があるのだと恵子は言う。そんな私のアカウントのフォロワーが全世界で百万人を突破したらしい。その理由は単純明快。全世界の老人たちが、私の若さの秘密を探っているからだ。

 でもそれが───凄いことなのか……?

 それはともかく、写真を投稿するだけで、お給金を頂けるのはとても助かる。アルバイトの求人募集に応募しても、私は年齢で弾かれてしまうのだ。面接どころか会ってもくれない。だから八十歳の誕生日、私は小さな農地を購入した。こんな世の中と縁を切り、自給自足を目指したのだ。二十年経った今では、ほぼ自給自足の生活だ。月に一度の外食を除いて……。

 恵子との繋がりは、恵子の祖父にまで遡る。恵子の祖父の名前は洋三である。

 恵子の両親ですら、この世に誕生する以前から。私と洋三とは飲み仲間だった。私と比べて随分と若い洋三だったが、妙に馬が合う男だった。共に酒を酌み交わす。それだけで夜が楽しかった。その洋三も、とうの昔に他界した。洋三からの遺言は、たまには息子の店で飯を食べてやってくれ。だから月に一度だけ、私は洋三の息子の店で夕食を済ませるようになった。それから三年後。洋三の息子、洋平に娘が誕生した。それが恵子である。恵子の助言で安定収入を得られた私は、恵子に何かしらのお礼がしたくなった。

「恵子ちゃん。恵子ちゃんのお陰で、おっちゃんはお金持ちになりました。だから、お礼がしたいけど……何か欲しいものはない?」

 洋平の店でサンマ定食を食べながら、私は恵子に問うてみた。

「あ~……アレね。インフルエンサーも浮き沈みが激しいから、今のところ貯蓄に回してちゃん。三年くらいしてこのままだったら、車でも買ってもらおっかなぁ。それまでのお楽しみってことで、どう?」

 恵子は笑ってそう言った。

「でもね、恵子ちゃんの三年と、私の三年とは意味が違うから……」

 困り顔で私は答える。そうなのだ。普通なら……明日、私が目覚めなくても不思議ではないのだから。

「んもぅ~! なによぉー! 縁起でもない! だったら、小五郎ちゃん。毎日、うちにご飯を食べにおいでよ! これでも恵子、おっちゃんの心配してるんだぞ」

 恵子はプイっと厨房の中へ姿を消した。だぞって……〝私を甲子園に連れてって〟の女の子みたいな物言いだった。知らないよな、そんなの爺さんの時代の話だもんな。

「……ごめんね、洋平ちゃん。変なこと言っちゃって……」

 私は洋平に頭を下げた。

「いいんですよ、小五郎さん。でも、言霊って言葉もあるから……ね。恵子と同じで僕らだって、毎日でもお店に来てほしいですよ。死んだオヤジだって……それでお礼ということにしませんか?」

「そんなので……いいんですか? もっと、服とか、アレとか、コレとか……」

 女の子のお礼に服以外が思いつかない……歳だな。そんな自分がもどかしい……。

「お気になさらず」

 洋平は、そう言いながら私にお茶を出す。ここは洋平に従うか……なぁ、洋三さん。私は亡き友の姿を、頭で思い描きながら確認する。丁度、畑のじゃがいもが採り頃だ。明日は、畑の野菜を持ってこよう。

「では、明日もよろしくお願いします」

 そう言い残すと、私は厨房の恵子を気にしながら店を出た。明日、きちんと謝らないといけないな……そうそう。こんなときには菓子折りだよな。せんべいにしようか……それは違うな。若い女の子だもの。クッキーとかチョコとかだよな……あと、マ、マ、マ……マロカン! テレビで見た色とりどりのマロカンだったら……恵子ちゃんは喜ぶだろうか? それを思うと、私は少しだけうれしくなった。そうだ、目には目を、歯には歯を、女子には女子を。百貨店の地下デパのお姉さんに教えてもらおう! お金ならあるし(笑) 家までの帰り道、私は明日が楽しみになった。この歳で、明日が楽しみに思う日が来るとは……こんな気持ちは何十年ぶりだろう? 私はすぐさまSNSに投稿した。〝明日、マロカンを買いに地下デパへ買いに行きました〟と。明日、マロカンの名前を忘れても確認できるように……。

「椎名小五郎さんですね?」

 投稿を終えた私は、突然、見知らぬ二人組の男に声を掛けられた。

「えぇ、そうですが?」

 そして、私は消息を絶った。

コメント

ブログサークル