四月三十一日

ショート・ショート
ショート・ショート
この記事は約6分で読めます。

 目覚めてすぐにスマホを開く。SNSとメールチェック。それが朝のルーティーン。昨夜は飲みすぎたのだろう……どうも頭がボーっとしている。はっきりとしない意識の中で、いつものように顔を洗い、いつものように歯を磨き、いつものようにスーツに着替える。朝食はコンビニであんパンでも食えばいい……。

───ラッキー! 誰もいない。

 最初の異変に気づいたのは、マンションのエレベーターの中だった……どういうわけだか誰もいない。覚えてる。昨日は四月三十日だったはず。今日が何日であろうとも、水曜日に決まってる……なのにエレベーターには僕ひとり。もしかして……今日って祝日? それとも、ゴールデンウイークだから?

 大手さんは、先週末から連休なのかもしれないな。でも、うちの会社は弱小企業。あちらはゴールデンでも、こちとらブラック。休みたくても休めない……か。(いいよなぁ……大手さんは……)心の中で愚痴をこぼし、いつもの道を歩きバス停へ向かう。待ち時間は読書の時間。読書アプリを開く前、今日の日付が目に留まる。

───今日は四月三十一日か。今朝見た時には気づかなかったな……。

 にしても、空は抜けるような日本晴れ。こちとら仕事だっつーのによ。なんだか腹が立ってきた。イライラしたから現実逃避。小説の世界へとらばーゆ。

 スマホで物語を読みながら、今日の予定を組み立てる。あれやって、これやって……。おやおや。いつの間にやらゾーンに入ってしまったらしい。スマホで時刻を確認すると一時間が経過していた。僕の人生、終わったな。完全に遅刻であるのだが、いくらゾーンに入っていたとて、バスが来たなら気づくはず。てか、さっきから道路を走る車が一台もないのだが?

───何処かで見たな、この感じ……。

 頭の中で〝ゾンビ〟がスキップしながら歩いてる……え? マジで。それって、まさかのオブザデッド? この雰囲気なら、見知らぬ男がヨロヨロ歩いてきても不思議じゃない。リアルゾンビが全力疾走。その可能性も否めねぇ~! このままじゃ〝ゾンビに囲まれちまうっ!〟 僕は目に見えぬ恐怖と戦い始めた。にしても、この都会で誰とも会わないなんて。僕の独りよがりの妄想が、徐々に現実味を帯び始める。

───ちょっと待て。

 通りすがりの男に「すみません、他の人たちは何処ですか?」なんて話しかけたら「そもそも、この世界にはアナタしかいませんよ」……的な? 地球の時が止まったようなバス停で、知る限りの可能性。それを必死で考える。こう見えて、僕はSFマニアなのだ。ひと通りの知識なら持っている! 時間停止、異次元、パラレル……今のパターンならゾンビはないな。あらゆる可能性も出尽くして、最終的に二択が残った。

───何らかの理由で僕は死んだ……もしくは……僕の夢の中。

 生物が抜け落ちた異世界で、僕の結論はこれである。それが今だと認識した瞬間。髪の毛から足のつま先まで、僕の全身が震え始めた。きっとこれが、本当の恐怖なのだ。もはや遅刻など些細なことだ。震える右手でスマホを開く───四月三十一日を二度見する。

───四月って……三十一日まであったっけ?

 西向く侍……に、し、む、く、さむらい……二、四、六、九、十一……。四月は三十日まで。つまり、無いはずの今日に僕はいる? 迷い込んだと言うべきか? このままじゃ、死ぬまでゴールデンウイークになるんじゃね? それとも今日は、アリのように働き続けた社畜への、神様からのプレゼント?

「神様ぁ~。今日は僕へのサプライズですかぁ~? だったら、家に帰って寝てもいい?」

 何故だか僕は、天に向かって問いかけた。

「そうですよ。そのとおりです! へへへへ」

 振り返るとセーラー服少女が立っていた。

「うわぁ!!! 脅かすなよ。てか、近いって!」

 にゅっと顔を近づけた、少女の瞳と僕の鼻先まで数センチ。その目を囲む大きな丸メガネが印象的だ。高校生には幼いな……きっと、この娘は中学生。てか、出会ったばっかで馴れ馴れしい子だ……。

「君もこの世界に迷い込んだの? それとも、この世界に取り残されたと言うべきか?」

 この世界に残されたのは、僕らふたりだけならば?……そんなのアダムとイヴと同じじゃないか! てか、残念だ。僕は熟女好きなのだ。この娘では……シンデレラすぎて手が出せん! 違う、違う、そうじゃない。何を考えているんだ、僕は!……混乱とは恐ろしいものである。この奇妙な世界の中で正気を保つことは難しい僕に、少女はとんでもないパワーワードをぶっ込んだ。

「おはこんばんちは。私は、死神チハルちゃんですよ!」

 この青空のような、スカッと爽やかな自己紹介。中学生らしさが眩しく見えた。てか、こんなの言葉のグーパンチじゃないか!……でも、やっぱそうなんだなぁ……僕は死んだのか……。この子、自分を死神だって宣言したし……。でもこれで、アイツに会えるなら、それならそれで悪くない。

「ご心配には及びませんよ。今日は本業ではありませんから。でも、派遣でもありません───」

 チハルは口を横に開いて〝にぃー〟って感じの笑顔を見せた。それがとても楽しげなのだ。

「───バイトです! バイトの響き、いいですねぇ。こう見えて、私はマクドナルドでアルバイトをするのが夢だったのですよ。マックでバイトは女子高生のステイタスですからね。あの制服姿に憧れていたのです。自給だって、六百円も頂けます。さすがマックって感じです! 残念ながら、その夢は叶いませんでしたけれど……だから今日は、バイトの響きにワクワクしちゃっていますよ。お姉さん、って感じです! 照れちゃいますね」

 なんだよ、そのはにかんだ笑顔は? てか、お前の時給は格安だな? で、今日は何のバイトだよ?……とは言えない。相手は死神を名乗る者。化け物に変身するかもしれないし、何処に地雷があるやも分からない。

「で、死神様ともあろうお方が、いったい僕に何の御用で?」

 ここは丁寧に、丁重に……。

「えっと、これはですねぇ……神様の命令でして。そうそう、ご依頼主はアナタの彼女さんですよ。一日デート、されますか?」

 去年、旅立った彼女からの依頼だと? あるはずのない一日を、神が僕に与えたとでも言うのだろうか? なんで、なんで、なんで……も、もしかして。彼女が天国でも救ったとでも? 彼女ならやりそうだけれど……このままじゃ、僕の頭がどうにかなってしまう。

「……さ、されましょう」

 これが僕には精いっぱいの返事だった。

「彼女さーん、いらっしゃーい!」

 いちいちチハルは、昭和の空気を出している。『いらっしゃーい!』に呼ばれるように、バスが僕へ向かってやってきた。停車したバスの中。車窓から、僕に手を振る愛しい笑顔。相変わらず……小さいなぁ。

「キャー! 元気だったぁ~?」

 記憶と同じアニメ声。あの日と同じ高い声。僕の目頭が激アツだ。

「まぁ……元気だけど。ってか、お前は凄く元気そうだな? 背は相変わらず伸びてないのな」

 僕の身長イジリは、彼女に対する照れ隠し。

「あら、失礼ね。でも……うん♡」

 あ、ホントに彼女だ! 条件反射で、僕は彼女の頭を撫でまわす。彼女に触れる指先が、そこから伝わる感触が、僕のシナプスを刺激する。その感覚が現実にしか思えない。

「元気だったけどぉ、もしかして……お前さぁ、天国とか救った?」

 一応、これは聞いておこう。

「うん、救った! 救った!」

 彼女の大きな瞳が糸のように細くなった。頬のエクボも健在だ。

 で・す・よ・ねぇ~。みんなのヒロインだった彼女なら、天国くらい救うかも。

「天国を救ったご褒美に、四月三十一日を神様に作ってもらったの」

 無邪気な笑顔で彼女は言う。夢のような話だけれど、これは夢かもしれないけれど、小難しいことは抜きにしよう。今だけは、再会の喜びを分かち合いたい。

───ファンタジーも読んどきゃよかった……。

 小さな体を抱きしめながら、そう思う僕がいた。翌年も、翌々年も、その先も……僕のスマホは四月三十一日の文字を刻み続けた。

コメント

ブログサークル