死神チハルのハンバーグ

土曜日(ショート・ショート)

 午前零時……死神チハルが仕事から戻ってきた。

「おっじ、さぁーん! 私はお腹が空いているのですよっ(笑)」

 いつもそう、いつだっそう。チハルは窓から飛び込んでくる。

「なぁ、チハル。ただいまは?」

「そうでした。ただいまでしたね。ただいまチハルは戻りましたですよ、へへへ」

 チハルは反省したような声で言ったけれど、満面の笑みが全てを物語っている。つまり、チハルは反省などしてない……。

「なぁ、チハル。それそろ玄関から入ってくれない? 急に窓から入ってくるの、毎回ビックリするんだけどなぁ……」

「ビックリはしないでしょ? 窓から隣の女の子が入ってくるのは、少年漫画の定番ですよ」

 いやいやチハルちゃんよ、現実は漫画じゃないし。普通、誰だって驚くからから!

「ここは私の家ですよ。自分の家に何処から入ったって良いじゃないですかぁ? 私は窓からがお気に入りなんですよ、へへへ」

 どういうワケだか、チハルは玄関から入ろうとしない。前世の記憶が無いのだから、無意識でそうしているのだろうけれど。それにはきっと、深い理由があるのだろう……な。

「はい、はい。今夜はハンバーグでよろしいかね?」

 ハンバーグはチハルの好物である。一番好きなのはエビフライだけれど、理由は知らない。

「分かってますねぇ、おじさんは。私、今日はハンバーグの気分なのです。ハート型とかにできますか?」

「チハルの頼みだからな、やってみるさ」

「そのセリフ。私も知っていますよ、シャア少佐。ぜひとも、ハートのカタチでお願いします! ちなみに私はヨッちゃん派ですよ」

 てっきり俺は、チハルはマッチ派だとばかり思ってた……。

「そっか、俺は聖子ちゃん派だけどな」

「へへへ。私と同じ髪型ですね」

 お前が聖子ちゃんと同じ髪型だろ? チハルは自分の髪を撫でながら続けて言う。

「おじさんは、ぶりっこがお好みなんですね。てっきりミーちゃん派だとばかり思っていましたよ」

「それ、ピンクレディな。昨日、テレビのニュースで解散発表してたぞ」

「ぎょえぇぇぇぇ!!!! 普通の女の子に戻りたいですか?」

 チハルはクリっとした瞳をパチクリさせた。一応、この場はツッコんでおこう……。

「それ、キャンディーズな」

 今夜のチハルはいつもと違う。

 仕事から戻ると、いつも不機嫌な顔なのに……今夜のチハルは上機嫌だ。だって、そうだろ? チハルの仕事は死神である。死を看取るのが仕事なのだ。笑って帰る方がどうかしている。その心中を察して、これまで俺は何も聞かずに過ごしてきた。チハルが口を開くまで。

「今日のご飯は不要ですよ……疲れたので、おやすみでした……」

 そう言い残すと、いつもチハルは寝てしまう。

 チハルは仕事が終わると食事を取らない。酷ければ数日の間、一切の食事を取らなくなる。彼女曰く、死神は食べる必要などないのだそうだ。生きている人間の真似事をしたいから、ご飯を食べるのだとチハルは言う。だが俺は、俺の料理を食べるチハルの顔が好きだった。カレー、チャーハン、ビーフストロガノフに納豆ご飯……何を作っても、それは美味しそうに食べるのだ。あの笑顔をされる気分は悪くない。

「おじさん、今日はとてもステキなことがあったんですよ」

「へぇ、珍しいな。チハルが仕事の話をするなんて……初めてだね?」

 そう言って、食事の支度をし始めながら俺は思う。どうやって、お肉をハートの形にしようかね……。

「ねぇ、おじさん。私の話を聞いてくれますか? てか、聞いてくれますよね?」

 ホントに今日はご機嫌さんだ。チハルからの問いかけに、俺は何故だか嬉しくなった。

「いいぞ、聞こうじゃないか。苦しゅうない! しっかりと存分に話せ」

 俺はミンチ肉をこねながら、チハルの声に耳を傾けた。男のくせして、チハルの母親にでもなった気分だ。

「エッとですね……今日はご老人のお迎えに参ったのですよ。私は胸がキュンキュンしちゃいましたよ。へへへ」

 うさぎが飛び跳ねるようなチハルの声が、俺にはとても心地よかった───ジジイにでも……惚れたのか?

☆☆☆☆☆☆☆

───1980年9月1日22時56分38秒。市民病院307号室。

 心電図の音だけが病室の中で響いていた。白いベッドに横たわり、老人が最後の時を迎えていた。その姿は、寿命というより病気であった。人の命の終わりの瞬間……その光景にも慣れたチハルは、淡々と業務に入る。まずは、マニュアルどおりの自己紹介と本人確認からである。

「初めまして、私はチハル。人間から死神と呼ばれる存在です。あなたのお迎えに参りました。もう少しだけ、現世でのお時間がありますけれど。正確には、23時03分12秒がお迎えの予定時刻です。あなたは、山本修二さんで間違いないですね?」

 これが、いつもの第一声。チハルを見ると、見た者は全て怪訝けげん面持おももちになる。その後で、決まってチハルに不平不満や後悔の念をぶちまける。その場で泣き叫ぶ者も少なくはない。きっとこの老人もそうなのだろう……チハルは、それがとても嫌であった。でもこれが、神様から与えられた己への罰だと信じ、チハルは死にゆく者の言葉を聞く。だが今日は、いつもと勝手が違うようだ……。

「おや? 私の知る死神とはまるで違うお姿ですね。人生の最後に可愛らしいセーラー服のお嬢さんが、私のお迎えにくるとはね……そうだよ、お嬢さん。私が山本修二です。この度はお世話になります」

 いつもなら、何で? どうして? 死にたくない! 死神───帰れ! そんな罵声を浴びせられるのに、老人の声は穏やかだった。

「何かお話することはありますか? 私は黙って聞くだけですけど?」

 これもマニュアルどおりの対応だ。死者の魂を落ち着かせるのも死神の仕事である。

「そうかい? 私にはね、心残りがひとつだけあるんだよ」

「それは何でしょう?」

 老人は、病室の天井を見つめながら静かに語り始めた。

「私を初恋の彼と呼ぶ人がいてね。この十年もの間……食事、散歩、お風呂、トイレ……私は彼女のお世話をしてきたのだよ。私にとって、彼女は初恋の人だったからね。彼女のお世話ができた日々……それはとても幸せな日々だった。でも……もう、私は死ぬのか。愛する彼女を残して死ぬのは辛いね……」

 そう言うと、老人は小さくため息をついた。

「とても大切な人なんですね、その方。お気の毒です……」

 これはチハルの本心である。

「私の名前は修二だけども、彼女は私を五郎と呼ぶんだ」

 思わぬ老人の言葉にチハルは驚く。そして、老人の顔を覗き込んだ。

「ど……どうしてですか? 山本さん」

「彼女は痴ほう症を患っていてね……私を初恋の彼だと思い込んでいるのさ。医者の話では、女学生時代までの記憶しか……もう、彼女には残されていないそうだ。だから、私との記憶は何処にもないんだよ。私の記憶は何もない。最初はとても辛かったけどね。でも……彼女はとても嬉しそうな顔で私を呼ぶんだよ、五郎さんって」

「はぁ……」

 チハルは返事に困った……。

「五郎というのは、彼女の初恋の相手だよ。片恋慕だったらしいが、とても好きだったのだろうね……」

 つまり……そういうこと? 状況を察したチハルは、もう何も言えなくなった。寂し気に老人は話を続ける。

「五郎さん、今年も桜がキレイねって。五郎さん、今日はお天気ねって。五郎さん、大好きよって。五郎さん、五郎さん、五郎さん……彼女の全てが五郎さんだった。私の名が呼ばれることなど、この十年間で一度もなかった。でも、彼女が幸せなら、あの笑顔に会えるなら。私はそれで構わない。私は彼女の笑顔が見られるだけで幸せだった。そう思いなから、私は五郎を……ずっと演じてきたんだ。本音を言えば、最後に私の名前で呼んでほしかったかな? あっ……そろそろ……お時間ですね。死神のお嬢さん」

 そう言って涙ぐむ老人に、チハルは何も答えられずにいた。老人に残された時間は残り1分を切ろうとしている。チハルは老人を見守るだけだ……見守りながら、チハルは腕時計を確認する……そろそろ天井に浮かばないと……。

 チハルの体がふわりと空中に浮き上がる。すると、ガシャリと病室のドアが開いた。そして、老人のベッドに老婆が近づき問いかけた。

「わたしの名前を知っていますか?」

 老人は驚いた表情で老婆を見つめた。そして質問に答えた。

「幸子だよ。君は自分の名前まで忘れてしまったのかい?」

 老人は寂しげに答え、老婆は更に問いかける。

「あなたの名前は何ですか?」

 老人は哀し気な目で老婆に答えた。

「何を言ってるんだい? 私は君の初恋の相手じゃないか? 五郎だよ(笑) ずっと、君が愛している……私は初恋の相手だろ?」

 チハルは思った……あれは優しい嘘なのだと。最後まで見ず知らずの他人を装い、この世を去るつもりなのだと。チハルは老人の顔を見ていられなくなり、そっとふたりに背を向けた。老婆は老人の手を握りしめ、ムッとした表情で語尾を強めた。

「何を言ってるの! 修二さん!!」

 私の名前を? 老人はハッとした。

「私のことが……分かるのかい?」

「分かるも何も、アナタはわたしの旦那様じゃないの! ずっと修二さんは、わたしの旦那様でしょ? 忘れたの?」

 老婆は左手の薬指を老人の顔に近づけた。

「ほら……この指輪を交わした日のこと……アナタ忘れちゃったの? わたしの花嫁姿……忘れちゃった? ねぇ、修二さん。ずっとずっと大好きよ。あなたと結婚して幸せだった……」

 最後の力を振り絞り、老人は老婆の顔をやさしく撫でた。シワシワになった手のひらに、老婆は頬ずりをしながら涙を流す。幸せを噛みしめながら……。

「ありがとう……幸子……」

 老人の顔から笑みがあふれ、その目から涙がこぼれた。

「修二さん、わたしはとても幸せでした」

「私もとても幸せだったよ、幸子。向こうで待ってる……」

 それが老人の現世で最後の言葉になった。

 記憶を取り戻した老婆に看取られながら、眠るように老人はこの世を去った。チハルは思う。真っすぐに生きた老人へのご褒美に、ひと時だけ神様が老婆の記憶を戻してくれたのだと。

 ……神様、やりましたねっ! 

「では、参りましょう! 今回は、1分だけサービスしました。後で始末書を書かされちゃいますけどね。山本さんにだけ……特別にですよ。それと天国の階段、途中で耳がキーンとなりますよ。だから、耳抜きが必要です。でも、山本さん……とてもステキな人生でしたね。死神のお仕事で、初めて私は感動していますよ。山本さん、カッコいいです。へへへ」

 ふたりに背を向けていたチハルは、振り返りながらそう言った。振り返ったチハルの顔は、とても明るい笑顔だった。

☆☆☆☆☆☆☆

 歌は歌って初めて歌であり、鐘は叩いて初めて鐘であり、愛は……愛は与えて初めて愛である……か。

───ジュー!!!!!!……あちぃ!

 俺はハンバーグを焼きながら、チハルの話に涙ぐんだ。老人の人生に、同じ男として遠い憧れすら感じていた。それは俺にとって、もうあり得ない未来だけれど……。

「おじさん特製、スペシャルハンバーグの準備が整ったぜい!」

 湿った空気に、俺は明るい声を出す。

「わぁ~い! ハートだ。おじさんって、天才ですか? シェフを呼べな気分です!」

 俺の作ったハンバーグに、チハルは女の子らしい反応を見せた。続けて俺はこう言った。

「今日のデザートはリンゴだぞ。ほれ見てみ? うさぎさんだぞぉ~」

 俺はチハルに、うさぎカットにしたリンゴを見せた。二本の耳は、いつもよりもピョンと立てた。我ながら上出来だ。

「やったぁ~! ウサギさんだぁ!!! へへへ」

 チハルの大きなメガネの奥で、クリっとした瞳が細くなる。指でつまんだうさぎのリンゴに、チハルは今日一番の笑顔を見せた。

「なぁ、チハル。修二さん……あの世で幸子さんと逢えるかな?」

 ハンバーグを目の前に、ご満悦なチハルに俺は問う。

「あたりまえですよ、それが絆というものです。おふたりの愛は本物でした。だから来世でも逢えますよ。これから先は、チフユさんの出番です。もう、死神の出番はありません……あっ! その前に、山本さんと一緒に幸子さんのお迎えに行かなくてはでした……へへへ。ねぇ、おじさん。このカタチ、おふたりのお気持ちのようですね」

 そう言って、チハルはハンバーグを指さした♡

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