───もぉーーーーダメっ!
わたしのストレスが限界だった。ハゲ課長にネチネチ言われるわ、残業は多いわ、給料が上がらないのに物価ばかり上がってさ。OL生活十年目。わたしの堪忍袋の緒が切れた───今日は無断欠勤してやる! 「課長、いつもお若いですね」って言ったらさ「若いと言われたら年を取った証拠だ」って何よ?! 「邪魔だ、ハゲぇ!」って言ったほうがよかったかしら? 考え始めたら余計にムカつく。
いつもの時間、いつもの駅で、いつもの電車に飛び乗って。わたしは、ステキなことを思いついた……それはとてもステキなことよ。だって「終点まで行ってみよう!」だもの。田舎の空気を吸い込めば、少しは気分が晴れると思うの。休みがなくてもゴールデンウィークしなきゃダメ!
「だからこんなの、今日はいらない」
スマホの電源を切りながら、わたしは電車の揺れに身を任せた。すると、わたしの疲れが一気に出たの? わたしはそのまま眠ってしまった。
───本日も御乗車ありがとうございます。次は終点、うえのぉ~、うえのぉ~。
あら、いやだっ! アナウンスの声に目を覚ます。車窓から見える景色に田畑以外は何もない。宮崎アニメのような光景に、過去に戻ったような光景に、わたしの心がわくわくしてる。のんびりここで、今日を過ごそう。
木で造られた無人駅を出で息をのむ。道路のアスファルトがボロボロだった。てか、人の姿がまるでない。ここの時間だけが止まってるかのように思えた。
「そうだ、あったかしら……?」
慌ててバッグの中をまさぐった───水オッケ! カロリーメイトも大丈夫。バッグの中の食料は急な残業用である。お店がなければ、今日はこれで乗り切ろう。駅から真っすぐに伸びた道を、わたしは山に向かって歩き始めた。山のふもとに温泉とかありそうだった。
一キロほど歩いただろうか? こどもが書いたような文字。立て看板が目に飛び込んだ。若葉農園と書いてある。ざっと、三十坪ほどの小さな畑で、小さな女の子がしゃがみ込んでいる。たぶん、あの植物はきゅうりかな?
「このこは、おみずがたりませんねぇ」
そう言うと、テテテとじょろで水をまく。その後で、
「このこは、マルチがうすいですねぇ」
そう言うと、テテテと草を抜いてナスの根元に草を敷く。その仕草がおままごと遊びのようで可愛く見えた。(わたしにも、あんな時があったのにな……。じゃぁ~ね。可愛いお嬢ちゃん)わたしが歩き始めようとすると、その女の子に呼び止められた。
「どこからきたの?」
鈴虫が鳴くような、可愛らしい声だった。
「えっと……電車に乗ってきたのよ。ずっと向こうの駅から」
女の子は、珍しそうな顔で言う。
「何しに来たの?」
何しにって……そうそう。あれだ。
「気分転換に来たの。会社でね、たーくさんの嫌なことがあったから」
すると女の子は、テテテと畑の隅で何かを採って戻ってきた。
「いちご。これ、わかばがつくったの。たべる?」
もみじのような手のひらに、大きないちごが二粒乗っていた。
「へぇ、すごいねぇ。わかばちゃん、いただくわ」
カロリーメイトで心細かったのも相まって、いちごを受けとり口に含んだ───「シェフを呼べ!」とは、この味だろう。わたしだって都会のOL。有名スイーツなら何度も食べた。けれど、このいちごの味には敵わない。
「どうやって作ったの? このいちご、すごくおいしいわ」
褒められたのがうれしかったのだろうか? 若葉はテテテ走り去り、もう二粒いちごを採って、わたしの前に差し出した。こんなの一生食べていられる……わたしは正直そう思った。
「あら、珍しいわねぇ。若葉ちゃん、おはようさん」
いかにも農家スタイルの老婆が、ひょこひょこと歩いてきた。
「チエばあちゃん、おはようさん」
若葉は老婆に向かって手を振った。あら、チエですって? わたしと同じ名前だわ……。
「どこから来たんだい?」
老婆は若葉と同じセリフを言う。
「東京からです」
わたしは答える。
「おや、ここだって東京だよ」
チエはにこやかにそう言った。わたしは思った。東京にも色々あるから……と。
「で、何しに来たんだい?」
同じ質問が二度重なった。この質問は、この田舎ではお約束なの?
「気分転換です。会社で、嫌なことがあったんです」
わたしが言うと、チエの表情が一瞬だけ険しくなった。
「会社ってあるんだねぇ……」
不思議なことを言う老婆だ。若葉はニコニコ笑っている。
「この子はねぇ、ここで最後のこどもなんだよ」
きっと若者たちは故郷を捨てて、この土地には老人ばかりが住んでいるのだろう。少子高齢化のお手本みたいな村である。
「でも、アンタも珍しいほうだね。だって、すごくお若い。三十路くらい? わたしにも、そんな頃があったのにねぇ~。年は取りたくないもんだ」
「そんなことありませんわ。とてもお若く見えますわ」
それはもちろん、方便だ。
「そうかい? うれしいことを言ってくれるねぇ。でもね、若いと言われたら年を取った証拠って言うしねぇ……この夏で八十だしのう~、女人としては複雑じゃ。ところで、アンタ。アンタの住む田舎には、若い子がおるのかい?」
はぁ? 田舎? わたしは都会で生きてきたのだ。このド田舎で田舎者扱いされる筋合いなど、どこにもない! チエの言葉が、わたしのプライドを傷つけた。忘れてたハゲの顔まで思い出す……ムカつく。
「失礼ですけど、こちらの方が随分と田舎ですわよ」
「そうかのう……」
チエは不思議そうな顔をしている。ここよりも都会はないでしょ? と言わんばかりだ。きっと、このおばあさんはボケているのだ。お気の毒な人……だから、わたしが優しくしてあげないと。
「そうですよ。わたしの街の駅前にはビルもあるし、お店だって沢山ありますから」
すると、チエは笑い始めた。
「何を寝ぼけたことを言ってるのかねぇ。今の日本にビルなんてあるわけねぇ。全部、無くなっちまった。ビルどころか、こどもだってこの子だけじゃ。おまいさんは、令和みたいなことを言うね。もしかして、外国からのお客さんかい? 日本語が上手だからてっきり……」
「令和みたいって、令和ですよ。今は……」
話がまったくかみ合わない。それがとても気持ち悪かった。
「そうかい。なら今は、西暦何年なんだい?」
「二〇二四年ですが……何か?」
わたしに向かってチエは大笑いをし始めた。チエの笑いにつられて、若葉までもが笑い始めた。……てか、わたし……変なことなんて言ってない。
「いいことを教えてあげよう。今はね、二〇七四年だよ」
「そんな……バカな……」
わたしはスマホの電源を入れた。不思議なことに電波が通じない。そして、日付を見て唖然とした───二〇七四年五月四日。これが、未来の……上野なの? チエはわたしに向かってとどめを刺した。
「日本はね、随分前に終わってしまった。あれだけ勝手なことをやられたからねぇ……終焉は一瞬じゃった。でも、アンタは元の時代に戻れるよ。それは、わたしが保証する。だって、アンタはわたしだもの。二、三日、ゆっくりして帰ればいいさ」
今、わたしは小説を書いている。未来の日本を伝えるために。でも、未来が変わることなどありえない。それは、未来のわたしが証明している。なのに未来のわたしは、わたしに託した。
「繰り返し続けば、どこかで世界線が変わるかもしれない。だから、みんなに未来を伝えておくれ。アンタがダメだったら、次のアンタに伝えるのが役目だよ」
わたしで未来が変えられるのだろうか? それは、やってみないと分からない。だからやる。これが未来のわたしとの約束だから……。
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