たこ焼きに楊枝が2本。それは至極当たり前。使いもしない片方を容器の隅に置き去りに。丸い熱々を口の中へと放り込む。口から出すことも、飲み込む事すらままならず。巧みな舌使いでコロコロと口の中で転がす快感。この熱さが癖になる。
少し冷えたらギュッと噛むと、それは口の中で弾けて、豊かな小麦の芳香と、出汁の旨味を口いっぱいに撒き散らす。それをら全て包み込むソースの味が堪らない。そのタイミングを狙い澄まして、口一杯にコーラを含む。炭酸の甘味とソースの辛味が合わさると、爽やかテイスティーの出来上がり。ニンマリとほくそ笑みを浮かべる僕の隣には、もの申したげなセーラー服と機関銃。
「もう。それ1本じゃないから。ようじは2本で使うものなんだぞ!」セーター服は、スッと残りの楊枝を僕の目頭へ突き出した。こいつ…殺す気か…。でも、これを使ったら…キミはどうやってたこ焼き食べるんだい?。その真意を悟った瞬間、僕の頬は茹でダコ色に染まった…。部活終わりの帰り道。明日から楽しい夏休み。蝉時雨がやけに煩くて、でも、何か芽生える予感がした。
みたいな、なーーー。
たこ焼きの二本の楊枝は両方使うのが正解
会津屋のたこ焼きは、昭和の初めに私の祖父が作り上げました。自分で値段を付けられる商売をしたいということで、小さな屋台から始めたそうです。祖父はとにかく毎日味の研究ばかりしていたように記憶しています。朝から晩まで毎食毎食たこ焼きを食べていたそうです(笑)
元祖たこ焼き 会津屋「会津屋の歴史」より引用
たこ焼きと言えば大阪。大阪と言えばたこ焼き。大阪たこ焼きの元祖は1933年(昭和8年)「会津屋」から始まる。店主の遠藤留吉氏が考案したと言われている。牛スジ肉やコンニャクを具材とするラジオ焼きとタコが入った明石焼きとのコラボから誕生した。それを、たこ焼きと称して販売したら大当たり。それ以降、たこ焼きは大阪の食文化の中に組み込まれる事になる。
その実、『牛肉の急騰による苦肉の策として、牛スジの代わりにタコの切り身を入れた』というのがたこ焼き誕生の真相だ。老いも、若きも、お子ちゃまも…今夜も何処のご家庭で、たこ焼きパーティーが繰り広げられる事だろう。レッツ、タコパ―♪。まだまだ日本は平和です。
多くの店のたこ焼きには、二本の楊枝が添えられていた。80年代が世界の中心の僕は、この楊枝に対して大きな勘違いをしていた。「これは、デートの時に食べるものだから二本がデフォ」勝手にそう思っていた。映画かテレビでそんなシーンがあったからだ。若い二人がひと舟のたこ焼きをシェア…。だったかな。その疑似体験から、たこ焼きは楊枝一本で食べるもの。もう一本はキミのもの。そう素直に受け止めていた。実際にそうして食べた甘酸っぱい記憶が無いでも無い。
時は流れ、銀だこにはお箸が。他の店では長い櫛が添えらる。久しく二本の楊枝が添えられた、そんなたこ焼きを食べる機会も無くなった。
スーパーの店頭の移動販売のたこ焼き屋。最後に食べたのはいつだろう…ラ・ムーの横の100円たこ焼きが最後だったか…。急にたこ焼きが食べたくなり、お昼をたこ焼きにした。たこ焼き屋の兄さんは大阪出身らしく、コテコテの大阪弁で応対してくれた。そこで何となく楊枝の事を訊いてみた。餅は餅屋だし、マックの笑顔と同じで訊くのはゼロ円。
「兄ちゃん。楊枝は何で二本なんだろうねぇ~」
被せるように返事が返る。大阪漫才の突っ込みのようだった。
「たこ焼きは楊枝二本で食べるものでっせ。一本やとたこ焼きがクルクル回わって、回って、回る~♪ですわ。」
ネットで調べると、確かにたこ焼きは楊枝二本で食するものだと記載されていた。知っているつもりで間違っている事も多いのだな…そう、失笑しながらたこ焼きを咥えた。
何が言いたいのかと言うと、円広志…スゲぇ~な。
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