麻婆豆腐は好物である。
ピリッと辛いの向こう側、舌先が軽く麻痺るくらいの辛さが好きだ。けれど、兄弟分の麻婆茄子を口に入れた記憶がまるでない。僕の本能が拒否るから。だってそうでしょう?、紫色したグジャグジャを口に入れろって方がどうかしている。この感覚が分かるアナタ、そりゃもう、お友達です。(笑)
嫁に喰わすなより俺に喰わすな。
茄子と呼ばれる野菜を口にするまで、僕には四十年以上もの歳月が必要であった。美味いと感じたのは数年前から。つまり、五十を越えてから。そのきっかけは他でもない、忖度である。
「晩ご飯食べてかない?」
「喜んでぇ!」
お客さん宅での出来事。夕食に振る舞われたのは地獄の焼き茄子。僕にとってのエイリアン。一本まるごと大物である。男には負けると分かっていても、戦わねばならぬ時もある。
「喜んでぇ!」
喜ばなければ良かった。
言った建前、喰わねばなるまい。人生には避けて通れぬ道もある。たとえそれが茨の道でも。黒ずんだ紫色の上で鰹節が舞い踊る。喰って良いのは、喰われる覚悟のある奴だけだ。腹を決めてかぶり付く。
何コレ美味い、シェフを呼べ!
なんだかそんな気分になった。これは美味いという感覚なのか? 状況がそう思わせたのか? 僕の脳が回答に困る。けれど、一本まるごと食べてしまう。美味いのだろうな、たぶん。それ以降、普通に茄子が食べられるようになる。居酒屋で焼き茄子を注文するほどの好きさではないのだけれど、出されたら残さず平らげる。嫌いではないのだろう、たぶん。
そんな茄子を頻繁に食べるようになったのは畑を始めてからである。思いのほか、茄子はボコボコ採れる。せっかく作った茄子である。食べなければ可愛そう。食材を成仏させたい気持ちがそうさせた。昨日も茄子、今日も茄子、明日も茄子。毎日が茄子。そんな日も珍しくなかった。去年は、野菜三昧の夏を過ごした。
今年も茄子の季節がやってきた。
手に取れば秒で察する。今年の茄子は上物だ。さて、初物。何にして食べようか? そのタイミングで出会ってしまう。辛口の丸美屋の麻婆豆腐の素。そして我思う。麻婆豆腐も麻婆茄子も本質的には同じでしょ?
メニューは決まった。
半額だった丸美屋の麻婆豆腐の素。それを躊躇なく購入し、容赦なく調理した。縦方向に茄子を切り、一緒に採ったピーマンもぶち込む。冷蔵庫の中には賞味期限切れの豆腐があった。うん、まだイケる。豆腐も一緒に混ぜ込んだ。今日の米は友人一号。米袋のメモ書きに『大味でカレーとかにあう』と書いてあったから。
だから今夜は、麻婆豆腐茄子ピー丼で。(笑)
栄養価も高そうである。エビデンスなんて知らねぇーよ。炊きたての米にスペシャル麻婆。ゲッ! 映えてない! 何ともグロテスクなビジュアルである。もっとこう、お上品に盛り付ければ良かったな。軽く後悔。でも、美味いはず。
不味い飯屋と悪の栄えた試しはない!
そう自分に言い聞かせながら、どんぶりに喰らいつく。うんめぇ~じゃん! 予想以上の出来である。もう少し辛さがあれば百点満点。今日のところは八十八点。それでも居酒屋の味を軽く越えてきた。勢いで入れたピーマンも悪くない。むしろ、あった方が美味いかも。三日くらいなら麻婆が続いても構わない。そんな満足度があった。ごっつあんデス。(笑)
人を良くすると書いて食べる。
翌日、体の調子が良く感じた。外食続きの不摂生で、体に足りない栄養素が補充されたのだろう。今年は十年に一度の猛暑と言われてる。畑の野菜を食ってりゃ、夏の猛暑も物価高も乗り切れそうだ。食材は無限ループに入ったのだ。
───野菜だけじゃなくて、タンパク質もしっかり取ってね。
そうだった、そうだった。先日もらった、友人からの手紙にそう書いてあった。重厚な肉の海。次回は一緒に盛り込んで、今日もサヨリは元気です。
コチュジャン買っとこ。(笑)
コメント
こういう料理は見た目じゃないんですよね~。絶対、うまいっ!に決まってるもん。豆腐もタンパク質だし栄養バランスもいいですよね。あ、余談ですが…昨日の僕の夕飯はナスとトマトのカレー。しかも、米が食べたいのに「チャパティー」でした。
ナスとトマトのカレー…僕は食べた事がありません。トマトが入っているから甘酸っぱいのかな? イメージが全く湧かない異次元のカレーですね(笑) チャパティーも知らなかったので調べました。そっかそっか、チャパティーか。語彙がひとつ増えました。どこかのタイミングで使います(笑)