そろそろかい?追熟中のサツマイモを試して喰らう

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蒸したさつまいも
自家菜園

 事務所の奥の片隅に、ひっそりと置かれた段ボール。春には、相棒からの品々が入っていた。

 秋になると、それは収穫したサツマイモの寝床となった。新聞紙に包まれながら、僕に食べられる日を待っている。そう、先月十日に掘ったいも。ただいま絶賛追熟中なのである。

 去年の芋は、そのまま家に持ち帰った。さて皆さん、そしたらどうなったと思う?

「このいも全然甘くない! なんか思ってたのと違う」

 昨年の記事にも書いたように、不評の声が上がったのだ。僕の畑の前任者。そのオカンさえもが言うのだからトラウマだ。

 いくらド素人な僕だって、堀ったばかりのいもの糖度が低いことくらい知っている。

 さつまいもだってかぼちゃだって、収穫したら一ヶ月くらい寝かせて食す。人はそれを“追熟”と呼ぶ。そんなの江戸時代からの常識である。知らない方がどうかしている。

 そこの愚かなるキミ。なにゆえ……待てぬ? すぐ食べた?

 一からか? 一から説明しないとダメなのか? 気分は軽く怒髪天。来年の芋はもうやらね。俺が喰う。開いた口が塞がらなくて、今日もサヨリは元気です(笑)

 そう決め込んで、今年の“ブツ”をこっそり事務所で追熟している。あれから、そろそろ一ヶ月。少しは甘みが増しただろうか? ふと、そんな思考が働いて、お試しをしたい気分になった。

 だから今夜。さつまいもを蒸しちゃいます(笑)

 水道水で、ランダムに選んだ二本の芋をジャジャっと洗う。そのまま蒸し器で四十分が僕のスタイル。

 蒸したての芋を半分に割ると、ホクホクとした黄金色が顔を出す。ビジュアルだけなら合格点(笑)

 だがしかし、人も芋も見かけで判断してはいけない……。

 気になるお味。それは、甘いけれどいまひとつ。僕が欲しい味とは少し違う。

 だってそうでしょう? 「こ、これはっ!」的な感動欲しい。ごく希に、スーパーで買ったいもが予想を超えた美味さのような……あの舌先が唸るような感覚が欲しい。

 その欲しい味覚は“栗”である。大きな栗を食っている。そんな食感と、マロンの甘さが欲しいのだ。僕の欲しいのは激甘ではない。だから、“金時芋”の苗を植えたのだ。

 そのイメージに程遠く、誰かが普通に食べるのなら十分だけれど、寝かせ不足すら感じてしまう。もうひとがんばりさせてみよう。そう思いながらも、毎日食べるのだろうけれど(汗) 

 翌日に起きた、朝の営みのお話は明日以降に回すとして、この世界にただふたり。この写真をみて欲しい人物がいる。来年の芋の準備。それを、あの春の日からずっとやっていました。ショート・ショートのスイカと同じ悪巧み。この写真に込めた想い。きっと、ふたりは秒で理解するでしょう。そして、「がんばってるね」と褒めてほしい写真でもある。

 こいつを越冬。

 これが次のプロジェクト。小説同様、僕は友人を終わらせる気などないのです(笑)

コメント

  1. え、越冬? あ、もしかして…。うぅっ…(涙)

    • しっかり洗っているからって聞いていたけど、ダメ元で残した二本が六月にちょっと芽が出ていたんです。秘密裏に可能性に賭けてみたらいい感じになりました。冬が越せれば全米が泣きますね(笑)

      • それ、Stand by me? 主人公のゴーディ、作家になったよね。小説も畑も楽しみです(笑)

        • おお、我が師と仰ぐスティーヴン・キングの小説ですねぇ〜(笑)

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