僕の相棒は心配性である。とてもとても心配性である。それは、キャリアと経験に基づいて、僕よりもずっと先を見据えているから。著作権についてもそうである。とはいえ、何も知らない僕である。知らぬ間に、無意識に、ちょっとした思い付きで、僕がやらかす可能性だって否めない。その確率がかなり高くて、いつも心配ばかりかけている。だからいつもいつだって、感謝の気持ちで両手を合わせて、今日もサヨリは元気です(笑)
───その逆も。
僕はブロガーとして小説を書いている。書いたものをネットに送り出すのがブロガーのお仕事だから、書いたらポンポン更新している。そうしないとやる気が失せて、復活までに時間を要する。筆が止まるのが怖くて、書いては出すの繰り返し。それが彼の心配のタネであるのも理解している。盗用するよりされる側の目線から。きっと、過去に多くの悲劇を見たのだろう。彼の視点から考察すれば、その考えも至極当然。それについての僕の考えを、メールに書いて送ろうとも考えた。けれど長文になりそうなので、ブログにまとめておこうと思う。
───そりゃ、そうなるでしょ?
ぶっちゃけこれが、僕の結論なのである。
インターネットの黎明期から僕は記事を書いてきた。二十世紀の終わりから、アイディアのパクりパクられ問題を嫌というほど眺めてきた。もうね、パクられた側は大噴火。ホームページで吠えていたのを、昨日のことのように思い出す。吠えてる記事を読みながら、いつも僕は思っていた。
───そりゃ、そうなるでしょ?
と。
世の中のすべては有限である。アイディアだって、いつかどこかで飽和する。確固たる自分のスタイルや立ち位置を、確立させねば証明すら難しい。だって、そうでしょ? ひとつのアイディアに執着すれば、そりゃもう、パクった相手を憎んで恨むことになるのだから。
けれども、パクる側は気にしない。そんなの屁とも感じていない。どん欲に果てしなく、なんでもパクって伸びてゆく。そのどん欲な姿勢はある意味で正解だけれど、それも長くは続かない。猿まねからオリジナルへ。吸収して自分のモノにしなければ、続けられるワケがない。でも、それに気づかない。だから自然に消えてゆく。そう何年も続かない。金にならなきゃ、おさらばなのだ。
ぶっちゃけ、恋愛の基本パターンはシェークスピアが書いている。漫画の基本構成は手塚治虫先生が構築している。つまり、パクり問題を突き詰めれば、必ず過去の偉人の足跡へと向かうのだ。だから何を書いても、何かのパクりになると僕は思う。
───あぁ、それ。紫式部ちゃんだよね(笑)
みたいな。
完全オリジナルストーリーをガリガリと書ける人は、それこそ唯一無二の天才ですよ(汗) てか、アホな僕の頭で描くイメージなんて、かつて誰かが書いている。それを自覚しなければ、何も書けない。何ひとつ、怖くて僕には書けやしない。俺って天才! それどころか、俺って凄げぇ~! なんて、一度も考えたことすらありゃしない。そんなの恐れ多くてバチ当たりつーもんですよ(汗)
てか、桃太郎さんでも、かぐや姫でも。様々な側面があるように、視点と文章表現でどうにかなんねぇ~かな? と……かなり真面目に思っている。小麦、水、塩だけで作る讃岐うどん。同じように作れそうだが、職人が違えば味も変わる。つまり、小説の原材料は出尽くしていて、後は手加減とさじ加減の問題かなとも。
もし僕に、そんな文体表現ができたなら、誰も気づかぬ視点が持てたら……それはパクりたくてもパクれない。パクってもいいけど、それはしない方がよろしいかなと。今書いているのと、明日書くのとでは、違うことを書くだろうし。次に書く文脈が、ガラリと変わることもあるだろうし……未だ不完全。カタチ無き水みたいな僕の真似。毒にも薬にもなりません。
てか、知らない誰かに真似されるくらいでなければ、僕らの目標に指先すら届かない……日々精進しないとですね(汗)
コメント
紫式部ちゃんねって笑笑
さよりちゃんの小説は、パクってるか分からないくらい、ふんわりとアイデアをパクられそう。
でも、考えようによってはパクられる心配って凄い事だ٩( ᐛ )و
もうね、令和になったらAIつーパクリのプロもいるわけだから、
考えても仕方のないことかな? って、思っています(汗)