9月7日はCMソングの日

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青空 太陽
雑学・トリビア・うんちく
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9月7日はCMソングの日。1951年(昭和26年)、BGMに日本で初めてのCMソング「ボクはアマチュアカメラマン」を流したラジオコマーシャルがオンエアされた。放送局は、中部日本放送(CBC)・新日本放送(NJB))。商品は、さくらフィルムである(小西六写真工業株式会社 現:コニカミノルタ株式会社)。ちなみに、民間ラジオ放送がスタートした9月1日は「民放ラジオ放送開始記念日」である。

「どこまでも行こう」は、僕が初めて覚えたCMソング

作詞作曲家。小林亜星さんが亡くなる。2021年(令和3年)5月30日。死因は心不全。大きな体で西城秀樹を豪快にぶん投げる「寺内貫太郎一家」が水曜日の夜の楽しみ。リアルタイムにテレビの前で見た世代として悲しいニュースだった。

そんな小林亜星さんが作詞作曲家だと知ったのは、そんな水曜日の夜から5年以上も経ってからだった。番組名は忘れてしまったのだけれど、番組内で小林亜星さんが手掛けたテレビCMの特集をしていた。そこで怖いおじさんから音楽の先生へと、僕の小林亜星さんの存在が変わる。衝撃なのは、ブリジストンCMで流れた「どこまでも行こう」の作詞作曲者が小林亜星さんだった事だ。

お父ちゃん
お父ちゃん

マジか…

テレビを見ながら夕食の箸が止まったのを僕は今でも覚えている。何を隠そう「どこまでも行こう」のCM。僕の記憶の中で最も古いTVCMだったからだ。月曜ロードショーのスポンサーの中にブリジストンがあり、映画の合間のコマーシャルを見て幼心に覚えたのだろう。

そのコマーシャルは、故鈴木ヒロミツさんが、汗だくでガス欠のクラッシックカーを押すというものだった。どこま~でも、行こう~♪と歌が流れるとテレビに目が行く。どういうわけか好きだったのだ。その当時、僕が幾つだったのかも定かではなく、「どこまでも行こう」「ブリジストン」「鈴木ヒロミツ」と、ネットを調べても確たる情報は得られなかった。1968年(昭和43年)~1970年(昭和45年)の頃だと思う。

「どこまでも行こう」は5番まである。その歌詞は現在でもブリジストン公式で見る事が出来る。あの日、あの時、テレビから流れたCMソングが強く心の残っている方々には是非とも読んで頂きたい歌詞である。小林亜星さんのように、おおきくて、おおらかで、まえむきな、心に染みる歌詞でした。

「寺内貫太郎一家」で息子役の西城秀樹さん、「ジュリーぃぃぃぃぃぃ~」の樹木希林さんと今頃再開している時だろうか…。故、小林亜星さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

お父ちゃん
お父ちゃん

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謎のお姉さん
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サヨリさん
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